文官武官上層部の多くが集まる大広間に誇らしげに響いた先触れの後に。静かに。そして力強い歩調で碧焔の騎士が姿を現した。 彼の髪色に合わせたかのような銀糸の刺繍が施された大きな外套は、薄藍からあでやかな紺碧のグラデーションがかかり、風に流れるように美しいひだを見せる。 青を基調とした碧焔の騎士服を彩る装飾品は僅かであったけれど、壮麗という言葉がその姿にはよく似合い、まっすぐに前を見据えて颯爽と皇帝の元へと歩むその雄姿には、周囲から深い感嘆の吐息が漏れた。 向かう玉座には漆黒の服を身にまとう皇帝が堂々とした居住まいを見せ、すぐ斜め後ろには美しい側近が控えるように佇んでいる。 そして向かって左側に緋炎。右側に紫炎と白炎が整然と並んでいた。本当ならば、緋炎の横には橙炎がいるはずだったのだろう。 「炎彩五騎士がひとり、碧焔。陛下のご命令に従い、国軍そして我が私軍『氷鏡』とともにカスティナの湖底都市リュバサを落とし、ただいま帰還いたしました」 静かに片膝を床に突き、ユーシスレイアは毅然とした表情で型通りの復命をこなす。 「ご苦労だった、碧焔。半日でリュバサを陥落させるとは、予想以上の働きだった」 切れ上がるようにあでやかな笑みを頬に刻み、エルレアはグレイの双眸を凱旋の将へと向けた。 「この功を以って、正式におまえを炎彩五騎士の一員と認め、居館として蒼昊の宮を与えよう」 既に触れは出してあるその事項を、エルレアは改めて本人に直接告げる。それは、エルレアの意を直接に衆目に認めさせることにもなった。 「謹んで、お受けいたします」 ユーシスレイアは表情は動かさず、ただ深く頭を下げた。 「残念ながら橙炎は任務中ゆえ欠席となったが、炎彩五騎士は皆おまえの戦功を祝し、帰還を歓迎しよう」 緋炎の騎士が五騎士を代表するように言葉をかける。黒豹のように力強い琥珀の瞳が、僅かに笑むようにユーシスレイアに注がれていた。 その毅然とした中に浮かぶ柔らかな緋炎の騎士の表情は珍しいもので、人々は思わず目を見張る。 「これでまた五人そろったわけだし、やっと堂々と炎彩五騎士って言えるよな」 今までは四人で五騎士だったのがちょっと虚しかったからなと、白炎が苦笑するように言葉を添えれば、更に周囲に微かなざわめきが起こった。 皇帝と、緋炎と、白炎と。この三人の言動は、敵国カスティナ王国軍将であったユーシスレイアに対して未だ反感のようなものを抱えている者にとっては痛い牽制ともなり、また、己を納得させる"助け"ともなる。 先だっては白炎の騎士がルセラの港に赴き、碧焔を認める発言をしたということも人々の耳には既に届いていた。 「白炎……」 思わずラディカは白い髪の同僚を見やる。碧焔がユーシスレイアだと知ったその時は烈火のごとく怒り狂っていた白炎の騎士は、何かが吹っ切れたような穏やかな表情をしていた。 そんな紫炎の眼差しを感じて、白炎はいささかバツが悪そうに唇を尖らせた。 「ふん。別にユーシスレイアを認めたわけじゃないからな。ただ、あいつは碧焔としてふさわしい働きをした。だから『碧焔』のことは認めたんだ。もし、あいつが炎彩五騎士にそぐわないと感じたら、すぐに俺は奴を射殺すかもしれないぞ」 つんっと紫炎から顔を背けて、同僚にだけ聞こえるように小さくそう告げる。 その呟きは或る意味本心ではあるのだろう。けれども、仇と思ってきた相手を仲間として受け入れた白炎の覚悟に嘘はない。最年少といえど、やはり彼は皇帝陛下が選んだ炎彩五騎士なのだと、ラディカはゆるりと笑んだ。 「この度の碧焔の騎士様への戦勝褒賞はこちらの目録に書かれております。お納めください」 恭しくユーシスレイアに対して厚い書状を差し出してきたのは、軍務長のタイラという初老の紳士だった。 こうして改めて公式な褒賞目録が渡されるということは、先ほどの蒼昊の宮は公式ではなく皇帝からの私的な褒美なのだろうと思われた。 「褒賞へのご不満やご不明点等ございましたら、のちほど私のほうへお申し出ください」 にこやかに渡されたその目録の厚さに、思わずユーシスレイアは目を見張った。中には隙間なく文字が書き連ねられ、一人の将が受けるような褒賞の量ではないことが外側からでも伺えた。 一瞬口を開きかけ ―― けれどもすぐに、それが氷鏡の分も含んだ褒賞の数々なのだと悟る。 氷鏡は碧焔の騎士の私軍なのだ。それは、彼自身が氷鏡の者たちへと褒美を出すということだ。だからこそ、この褒賞品をどう配分するかで碧焔という人間性が試されることにもなるのだろう ―― 。 厄介だが面白いと、ユーシスレイアは小さく笑んだ。 「氷鏡ともども、有難くお受けいたします」 鋭く鮮やかな笑みが刻まれたその表情。自然体の中に、毅然とした覇気と自信を漲らせるユーシスレイアの姿は、周囲に心地よさを与えるように静かな風となって大広間に笑顔を広げていった。 「では、碧焔。これを」 切れ上がるように鮮やかな笑みを浮かべ、皇帝エルレアが美しい玉の杯をユーシスレイアに手渡した。 まるで月のかけらを散りばめたように美しいその杯には、どこまでも透き通る液体が半分ほど注がれ、その中に一粒、小さな星のような形をしたものが浮かんでいる。 それは『金平糖』という砂糖菓子なのだと、こちらに来てから身の回りを世話してくれた少女から教わったことがある。 星々を従える夜空の月。そんな印象を持つような美しく芳しい杯だった。 「我らが尊き月の神に、此度の勝利を捧げん」 よく通るエルレアの声が大広間につややかに響く。その言葉に合わせて、ユーシスレイアは杯の中身を一気に飲み干し、人々の歓声が上がった。 貴族たちも交えてだらだらと宴を開いたり、演舞などの催しを観たりというカスティナのような華美な式典とは違う。 無駄を嫌うエルレアの性格を反映したようなさっぱりとした式典は、カスティナの時間ばかりかかる式典に慣れていたユーシスレイアにとってはひどく新鮮で、そして心地よいものに思えた。 「今後もおまえの働きを期待している」 意志の強いグレイの瞳をユーシスレイアに向けて、エルレアは笑む。 「我が力の及ぶ限り」 その笑みから発せられる鋭い覇気の心地よさに身をゆだねながら、ユーシスレイアも強い笑みを宿し、そうして深く頭を垂れた。 柔らかな漆黒の翼にくるまれつようにルセラの港街を発ってからほんの僅かな時間。ふわりと舞い降りたのは、青白く凍て付く森の中のようだった。 「ミレザさま。申し訳ありませんが、ここからは少し歩いてくださいませね」 目的地まで己の翼で運べないことを詫びるように、魔族の女性は僅かに困ったように首を傾ける。その表情から察するに、ここから先は翔べないのだろう。 「ああ、別に構わないよ。散歩をするのはけっこう好きなんだよ、私はね」 ミレザは鷹揚に笑んでやると、美しい黒翼の女性にいざなわれ、ゆったりと見知らぬ大地を踏み歩いた。 木々や草花。大地も泉も。空から降りそそぐ陽光や流れる風の気さえも。すべてが静寂の中に凍りつき、何かを悼むように儚くきらめいて見える。 風にそよぐ凍てついた草花はミレザが知る草原の柔らかな葉擦れの音ではなく、硝子を打ちあうような玲瓏とした硬い涼音を周囲に響かせ、どこか耳に心地好い。 そんな冷気そのものであるような森の中を歩いているというのに、ミレザには寒いという感覚がなかった。 おそらく隣を楚々と歩む金髪黒翼の魔族が何らかの処置をしてくれているのだろう ―― 。そう思い、ミレザは薄く笑った。 「ここは魔界……いや、リンシアかい?」 手近にあった凍える葉をやんわりと摘み上げて、穏やかに問う。 溶けることを知らない万年氷のような蒼白い世界に覆われた土地。そんなのは太古に封じられたという魔族の住む大陸『リンシア』以外には在りえない。 訪れるのはもちろん初めてだったけれど、不快な感じはまったくない。それどころか、どこか懐かしく感じられる不思議な景色だった。 「いいえ。まだリンシアではございません。ここは……人々には"境界"と呼ばれておりますわ」 「ふうん、そうかい。それならエルレア陛下が未だ封印をといていない"境界"ということだね」 ミレザは軽く目を細めて、笑みにも揶揄にも似た表情を浮かべた。リンシアの凍結は封印と同義であり、皇帝エルレアによって封印が解かれた境界ならば、ここまで氷に覆われていることはないはずだった。 「……ええ。なるべく人間たちには知られないよう通路を選んでおりますので」 「じゃあ、イルマナの境界を突破したのも、そういう趣旨を持つ君の仲間たちってことだね」 ミレザは形のよい唇に更に深い微笑を浮かべ、有翼の女性を見やる。 「よく、ご存知ですこと。もしかしてそのことが聞きたくて、私についてきてくださったのかしら?」 「うん? 君が、私に話があると言ったんじゃなかったかな」 くすくすと、ミレザは笑う。 その表情だけをみれば、まるで邪気のない穏やかな優しい笑みだ。これで実際には食えない性格だというのだから面白いと、黒翼の女性は己の隣に立つ男の天使のごとき笑みをまじまじと見やった。 「ふふ。そうでしたわね。私たちの話を聞いてくだされば、他の有翼人たちのことも分かっていただけると思いますわ」 「だといいねぇ。話を聞き終えた瞬間に、君を含めて周りにいる魔族たちすべてを排除にかからなきゃならない……なんてことは避けたいから」 「多くの有翼人を相手に、ミレザ様お一人で戦うと仰るのですか? 無謀なことをお考えですわね」 話の内容が気に食わなければ皆殺しにするとでも言わんばかりのミレザの言葉に、黒翼の女性は苦笑した。いくら炎彩五騎士が強いとはいっても、たった一人で多数の魔族にかなうはずもなかろうと思うのだ。 もちろん現時点では、自分たちがミレザに襲いかかる予定などはないけれども。このまま好き放題に言われていてはさすがに癪に触るというものだ。 「無謀かな? やってみてもいいけれど」 くすりと笑うと、ミレザは腰に佩いた鞭の柄を撫でるように軽く触れる。 その双眸に浮かぶのは研ぎ澄まされた強い意志。他者が"狂気"のようだと言うその眼差しが、けれども彼女にはひどく美しいものであるように思えた。 いったい何が彼をここまで戦いに駆り立てるのか。『ミレザ=ロード=マセル』という個を形成している核は確かに貴公子然とした優雅な その内の深い深い奥底には、いったい何が潜んでいるのだろうか? まるで眩しいものでも見たように目を細め、そうして彼女は小さく息をついた。いくら考えてみたところで、自分に初対面の男の内面までも見透かせるわけがなかった。 「物騒なことはおっしゃらないで。ミレザさまを怒らせるような要素は、おそらくございませんから」 「おそらく、ね」 ミレザは軽く口端を上げた。『絶対にない』と言わないあたりが曲者だと思ったが、そういう言い草は嫌いではない。 鞭にかけた手をゆったりと離し、そのまま前髪をかきあげる。ぱらぱらと長い指の間からこぼれた落ちた紅茶色の髪が、とても柔らかそうだった。 「それで、目的の場所はあれってことかな?」 ふと前方に霞むように見えてきた大きな影に気づいたように、ミレザは視線を向けた。 蒼白く儚い光に包まれて浮かび上がるその影は、白亜の壁におおわれた大きな宮殿のように見える。遠目からでもはっきりと分かる、各々の窓に嵌め込まれた美しい玻璃の細工が、凍れる光を受けて静かな輝きを放っていた。 黒翼の女性は一度前方の影を見やり、ミレザに視線を戻す。そうして、優雅に微笑んだ。 「ええ。あちらに ―― 「 ―― 破鏡、か。意味深な名前だね。私をラーカディアストから切り離すつもりかな」 「ただの名称ですわ。お気になさいませんよう。……それにしても、魔文字をよくご存知ですのね。"音"を聞いただけで文字をあてられるのですから」 破鏡という言葉には『片割れの月』ひいては『別れ』という意味合いがある。そのことを瞬時に悟ったらしい橙炎の騎士に、感嘆と警戒の二つの感情が混ざった思いを抱かずにはいられない。 「知識と想像力、そして洞察力だね」 「あっさりそう言われてしまいますと、少し悔しいですわ」 僅かに拗ねたように唇を尖らせると、有翼の女性は賢しい青年を上目遣いに見やる。 「まあ、真名文字はうちの旧い国字でもあるからねえ」 ミレザは可笑しそうに目を細めると、軽く天を仰いだ。 見上げるほど高いその位置に、上弦の月のレリーフが刻まれた美しく巨きな門が、静かに二人を出迎えるように佇んでいる。 その荘厳な美しさにしばし視線を奪われ、そしてミレザは小さくため息をついた。 門に刻まれたレリーフを眺めながら、なぜだか妙な感覚が胸郭を満たしていた。自分はここに来てはいけなかったようにも思え、そしてまた、来るべき定めであったようにも思う。 「どうかされましたか?」 ミレザを先導するように歩んでいた魔族の女性は、そんな彼の一瞬の戸惑いに気づいたように、微かに強い笑みを刻んで振り返った。 「いや、美しい門だと思っただけだよ」 ちりちりと微かに肌を刺すようなこの感覚は、いつも己に危機を報せてくれる"気"に近い。けれどもそれを避けるよりは、挑むべきだと本能が告げる。 ミレザはさらりと微笑んで、導かれるまま門の下をくぐり抜けていった。 |
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