爽やかな初秋の風が吹き抜ける優雅な庭園の一角に、十人ほどの人間が気もそぞろな様子で座っていた。 集まった者たちの年齢や装いはバラバラだったが、彼らは皆、カスティナからの招請を受けてこの地に集まった西大陸連盟軍に属する各国の使者たちだった。 それぞれがゆったりとした空間を保てる席が用意された白く大きなテーブルには、彼らをもてなすかのように多種多様の高貴な菓子と香り豊かな茶が施され、それがさらに人々の気分を困惑させる。 「まさか、こんなに穏やかな雰囲気とは思わなかったのう」 まるでティータイムでも楽しむかのように設えられた会談場を見まわしながら、口髭を丁寧に整えた初老の紳士がぽつりと呟くと、周りの男たちもため息をつくように頷いた。 王都シェスタを奪われ、更には軍神と謳われていた将軍が寝返り、隠れ都市までもが もっと切羽詰まって連盟軍に招集をかけてきたのだと思っていたのだけれども ―― 。 「やはりカスティナは大国だということでしょう。海岸部の多くの土地を帝国に奪われたとはいえ、我ら小国が束になってもまだまだこの国の国力には到底敵いませんから」 末席近くに座していた若い男が静かに言葉を紡ぐ。使者たちの中では最も年齢が下に見えるその青年は、穏やかそうな青い瞳にどこか人懐こい笑顔を浮かべていた。 「もちろん、この和やかさは我ら同盟国に対する虚勢かもしれませんけれど、その虚勢を張るだけの余力はまだあるという事です」 にこりと笑んだ青年のその言葉に、周囲は再び重いため息をついた。 「カスティナが今でも強大なのは間違いない。……それでも、招請に応えたのはこれだけなのだ。これをフィスカ王がどう思うことか」 全世界を統一するなどという"邪悪"な意志を宿したラーカディアストから国土を守るために、このシューム大陸の大小合わせて二十数ヶ国が集まって結ばれた協定が西大陸連盟軍だった。 その盟主であり、最も強大な国家であるカスティナ王国の王であるフィスカからの要請を受けてこの地に集まったのは、けれども連盟国の半数ほどしかいない。 その半数とて、快く最初から招請に応じた国は少なかったという話も彼らは己の主君から聞いていた。 「多少はがっかりされるかもしれませんが、顔ぶれを見れば納得は出来るのではないでしょうか」 青年は周囲の人間たちを見やり、何でもない事のように笑う。 集まった国々を見てみれば、それぞれカスティナ王国に恩がある国 ―― これまでに帝国に攻められた経験のある国々だった。 帝国が西側諸国に侵入するたび、ユーシスレイア率いるカスティナ騎士たちを主軸とした連盟軍がそれを撃破し各国を救ってきた。だが連盟に属してはいても未だ攻められたことのない国はカスティナに恩を感じることもなく、今回の招請には応えてこなかったのだろう。 「まあ、確かに。恩知らずは居なかったと分かっただけでも、少しはマシだろうか」 初老の紳士は自分自身が納得するように頷きながら、末席に座る自分の半分ほどの年齢だろう青年を見やった。先ほどから彼の場違いとも思えるにこやかな態度に、いったいどこの国の将だったかと記憶を思い返すように探す。 「貴公は確か、ナファスの第三海兵士団長……海統士のフォリアどの、でしたかな」 東西両大陸間の中心にある海上国家ナファス。二年前のナファスの海上戦でユーシスレイアが帝国の碧炎の軍を殲滅して以来大きな戦は起きていないが、小さな戦は何度も起きている。 帝国からシューム大陸へ渡るのに一番良い航路の通り道であるため、最も多く帝国からの襲撃を受けている国でもあり、もはやカスティナ領となった方がいいのではないかと囁かれる程に、カスティナからの救援を多く受けているのが海上国家ナファスという国だった。 海を尊ぶ彼の国に他国のような『騎士団』は存在せず、海兵士と呼ばれる者たちが国を守る。海兵という名称がついてはいるが海上戦だけでなく馬に乗った陸上戦も巧みな者たちであり、その中で他国の騎士に相当するのが『海統士』と呼ばれる者たちだった。 それをようやく思い出したというように老紳士が言うと、隣に座っていた恰幅の良い男が失笑したように口元を隠した。先ほどからあの穏やかそうな青年がカスティナを庇うような発言をしていたのはその為かと、哀れみにも似た視線を向ける。 「ナファスと言えば最もカスティナからの恩を受けている国でしたねぇ」 「……ええ。ですので、もちろん我が国は最初から招請に応えておりますよ。"あの"情報を頂く前から」 どこか小馬鹿にしたような男の視線を受けて、ナファスの第三海兵を率いる海統士の青年 ―― リーフ・フォリアはいつもの穏やかな碧眼にほんの少しの毒を含んでそう応える。 太古に人魔の間で起きた戦を終戦へと導いたもの。劣勢だった人間が魔族に打ち勝つことができたその切り札を今もカスティナが所持しているというその情報を受けてから、他の国々は招請に応じたのだという事を彼は知っていた。 確かにナファスは何度も西大陸連盟軍からの救援を受けてはいたが、そのような弱腰な国に馬鹿にされる謂れはなかった。 「いやいや。ナファスの海兵が勇猛果敢なことは、みな良く知っておる」 青年のにこやかな表情の中に混じる確かな棘を感じて、初老の紳士は仲裁するように言葉をはさむ。ここで味方同士で険悪になるのは避けたかった。 「何しろ、ユーシスレイア殿もナファスの海兵士の質の高さは評価しておら……」 「ロ、ロネックどのっ!」 反対側から飛んだ慌てたような静止の声に、ロネックと呼ばれた老紳士は己の失言に気付いたようにハッと口元を抑えた。みな、互いに気まずそうに視線を交わし、俯くように無言になる。 これまでならば英雄として讃えることが常だったその名は、今は地に堕ち、このカスティナでは禁句と言ってもいいだろう。いまだカスティナ関係者がこの場所に現れていないことが救いだったと、ロネックは胸を撫でおろした。しかし ―― 「何故……あの方は寝返ってしまわれたのだろうか」 ぽつりと、ロネックは呟いた。それは、ここに集う皆が思う疑問だった。彼らは皆、ユーシスレイアとともに馬を並べて戦った経験を持つ将たちだ。 自分たちの国に救援として来てくれたユーシスレイアは、軍神と讃えられても驕ることなく真摯な態度を崩すことは一度もなかった。取り入るために巨額な金銀財宝や美女をあてがおうとしても、一切受け付けることもなかった。 そんな彼を、ラーカディアストは何を以って引き抜くことが出来たのか。自分たちが知るあの高潔な騎士に、寝返りなどという不名誉で不義理な行動をさせることが可能な条件というものは想像もつかなかった。 「何か思うところがあって出奔したのだろうが……」 ロネックの言葉に、周囲もため息をつくように首を振る。普通ならば寝返った者など悪し様に罵られるのが常なのに、彼らの言葉や表情からは、裏切り者であるはずのユーシスレイアを惜しむような心情が見え隠れしていた。 もちろん、それは自分たちが裏切られた当事国の人間ではなく、所詮は他国事だからこそ生まれ得る感情なのだろうが ―― 。 「誰も、彼が"私利私欲に走った"と思わないところが、あの方の強みですね」 にこりと、リーフは笑った。これまで周囲に確実に築きあげてきた信頼と清廉な印象は、それだけでも大きな武器となる。 そういうリーフ自身も、ユーシスレイアのことを"悪"だとは思っていなかった。それどころか、”帝国"というものに興味さえ出てきていた。 邪悪で恐ろしい悪魔のような国家。併合されればあるのは恐怖と制圧的な地獄のような統治のみ。ラーカディアスト帝国に対するその認識が、もしかすると間違いなのかもしれないとさえ思う。何故ならば、"あの人"がそんな国を己の生きる場所として選ぶはずがないのだから ―― 。 だからこそ、今後のカスティナの行動や状況如何によっては、ナファスの方向性を決める大きな決断をすることもあるかもしれないと、リーフは密かに思っていた。 「ですが、もうこの話はやめた方がよさそうです」 こちらに向かってくるカスティナ国王と宰相。そして数名の護衛騎士たちの姿が宮殿から中庭にわたる渡り廊下の先に見えはじめていた。 それに気づくと各国の使者たちは緊張したように表情をこわばらせ、そうして深く息をつく。このあとは絶対にその名を出してはいけないと肝に銘じながら、彼らの来訪を静かに待った。 「遠いところをご参集いただき感謝いたします」 カスティナ国王が空いていた中央の盟主の席へゆったりと腰を下ろすのを見届けてから、宰相リファラスは集まった者たちに謝意を示した。すでに参集した国は連盟の半数であることは知っていたが、顔ぶれを見れば然もありなんというところだった。 隣で穏やかな表情を見せる国王フィスカも救援を求める弱者としてではなく、同じ目的をもち協力し合う同盟国の盟主としての威厳を保った様子で集まった他国の将たちを見やっていた。 それがたとえ虚勢だとしても、そうは感じさせないほどの活力がみなぎっていることは、"軍神"を失った戦への不安を少しは減じてくれる。 「此度のカスティナの災禍、フィスカ陛下のご心痛お察し申し上げます。我ら連盟国一同、少しでもお役に立てますよう参集いたしました」 参集国の中ではカスティナの次に大きいとされるベルータ王国の将。先ほどから会話の中心となっていた老紳士のロネックは、フィスカの機嫌を取るように首を垂れる。各国がそれぞれ引き連れてきた兵は千五百から二千人程度。十ヶ国集まってもようやく一万八千に足りるか足りないかの兵力だったが居ないよりはましだと、フィスカは苛立ちを抑えるように強いて口元に笑みを宿す。 「西大陸連盟の二万近い精鋭を増強できたことは頼もしく思う」 これまでカスティナが救援の際に出してきた兵力と比べれば少なすぎるが国力の差は致し方ない。フィスカはゆっくりと、気を鎮めるように手元に置かれた香しい紅茶を一口飲んだ。 この連盟軍を誰にまとめて指揮させるか ―― そう考えて、今までその任を担ってきた"男"のことを思い出して更に怒りが増してくる。けれども、ここで激高するわけにもいかなかった。 「まずは、今なお戦闘が続いているシャルナ地域を死守してそこの帝国軍を追い返したのち、他地域の奪還作戦を行う予定です」 静かに笑みを浮かべて、リファラスはそれぞれの国の使者一人一人に目を向ける。 「今現状ではカスティナは不利な状況に置かれていますが、魔を解き放ったこと、ラーカディアストは後悔することになるでしょう」 「 ―― !」 自信に満ちたリファラスの言葉に、一瞬溜息にも似たざわめきが起こる。彼らがいま、最も興味があるのはそのことだった。 「詳細な作戦や配置については、明日開かれる軍議にてそれぞれ話をして頂きますが今この場はただの顔合わせです。明日からまたいろいろと頼むこともありましょうが、今日は長旅の疲れをお癒しください」 笑みを湛えたまま、リファラスは口を閉じる。彼らがカスティナが所有する”切り札"の詳細を聞きたいのだと分かっていたが、最初から教えてやる義理はない。リファラスの笑みの中に浮かぶ有無を言わせぬ眼光に、ロネックたちはお預けを食らった犬のように肩を落とした。 招請を受けて救援に来た立場であってもなお、カスティナの一挙手一投足を気にしている自分たちが少しだけ惨めな気がした。 「それで、君はどうしたいんだ。アリューシャ?」 自分がもたらした情報を聞いて、窓の外を見上げたきり無言になった少年に、男は穏やかそうな青い瞳を細めて声をかける。 告げたのは"裏切り者の妹"であるという少女の所在。ヒューイという騎士の監視下で過ごしているらしいという話を、先ほど仮王城から戻る際に仕入れてきたのだ。 「……このままだとシリアが危険だって、俺もわかってる。でも……悔しい」 ぐっとこぶしを握り締めて、アリューシャは苦しそうにうつむいた。しばらく切っていないのだろうと思われる無造作に伸びた亜麻色の髪が、その表情を覆い隠すように落ちる。 リュバサが そのときシリアを国王の傍から離すようにと、アリューシャは強く頼まれたのだ。自分にそう頼む彼の表情を見れば、もちろんそれが彼自身の為ではなくシリアの身の安全を思ってのことなのだとは分かる。けれども、自分がよく知るユーシスレイアならば。シリアのことを誰かに任せっきりにするなんてことは有り得なかった。必ず自分で動くはずだった。 「わかってる。今のユールにそれは無理だって。でもさ、シリアの存在が一番じゃないなんて……ほかに優先するものがあるユールなんて認められない。……悔しい」 まるで駄々っ子のようだと自分でも思う。けれども。アリューシャは自分がどうするべきなのか迷っていた。 ヒューイの許に居るからには、今すぐ身の危険があるわけではないとは思う。けれども。確かにこのままシリアがカスティナの中枢近くに居るのは危険なのだ。しかし、自分がシリアを連れ出してどこに向かうべきなのか ―― それが分からなかった。 己だけなら何とでもなるが、カスティナから追われる身となれば、自分だけでシリアを守り抜くことはさすがに難しいと思った。だからと言ってユーシスレイアのもとに……ラーカディアストに行くことなどは矜持が許さなかった。 それは明らかにカスティナへの裏切りであり、利敵行為にもなる。でもシリアをそのままには出来ない……。答えを見つけることが出来ないまま頭の中でぐるぐると堂々巡りな思考がうずまいて、アリューシャは頭を掻きむしるように呻いた。 「……それなら、うちに来るか?」 穏やかな眼差しとともに優し気な声がアリューシャの耳に静かに届く。アリューシャは、ゆっくりと顔をあげた。 「カスティナでもラーカディアストでもない国ならば、考える時間もできるだろう。行くべき道を二人で決めるまでは匿ってあげられる」 にこりと、男は笑った。 現在の駐屯地であるライラックの砦からカスティナの王が仮に居を構えた城があるこのティートの町に向かう途中で拾った少年。ぼろぼろになりながらも前に進もうともがく淡い水色の瞳が、子供には似合わぬ深い苦悩を宿しているのを見て思わず手を差し延べた。 一度その手を掴んだからには、途中で見捨てるつもりもなかった。 「……なんで、そこまでしてくれるんですか? あなたには何の関係もないことなのに」 不思議そうにアリューシャは男の青い瞳と人懐こそうな笑顔を見やる。 ほんの数日前に、本当に偶然通りすがるように出会っただけの縁だった。 カエナの港から碧焔の騎士が乗った船が出港した後、アリューシャは何人かの捕虜とともに解放された。 そのあとは、迷いながらもシリアを追うようにティートへと向かったが、帝国や魔物の目を避けながら一人で行動するのは容易ではなく、精神的にも肉体的にも限界寸前で座り込んでいた時に声をかけてきたのがこの男だった。 「確かに君と出会ったのは偶然だったけれど、私も、私の祖国も。ユーシスレイア殿には大きな恩があるからね。彼の身内のことならば、まったくの無関係ではないさ。たとえ彼が、今はどこに居るとしてもね」 穏やかな青い瞳を軽く笑むように細めて、青年 ―― 海上国家ナファスの将であるリーフ・フォリアはアリューシャの頭をくしゃくしゃとかきまぜた。 |
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