降り頻る月たちの天空に-------第4章 <1>-------
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 ▲ 第4章-------<1>----------------▼


 ゆるやかなリズムを刻むように、さまざまな電子音がその空間を支配していた。
 ショーレンはじっとコンピューターと向き合ったまま動かず、いつものように闊達な表情はほんの少しも見受けられない。
 ただただ強大な獲物を前にした獅子のように、静かに、けれども毅然と相手の動向を伺っているのである。
 初めて流月の塔に入った時、ショーレンたちは自分の目を疑ったものだ。
 塔の内部は、一階から天辺までがずっと吹き抜けになった広い空間だった。フロアの中央あたりにゆるやかな螺旋を描いた階段が設えられていたが、それ以外の床や壁面はあらゆるコンピューターたちで埋め尽くされていた。
 ティアレイルがいっていた『機械仕掛けの塔』という言葉が、ようやく腑に落ちる。これが魔術文明時代に建てられた塔だとは、にわかには信じがたかった。
 けれども、コンピューターだけがそこに在ったわけではない。カイルシアがすべての魔力を込めて創り出したといわれる珠がある。
 振り仰げば、天井近くに大きな球形の光が浮かんでいるのが見えた。
 アルファーダを見下ろすように、ゆらゆらと仄かな輝きを放っているあれが、カイルシアの魔力の結晶なのだろう。
 この流月の塔の内部にひしめく、一見奇妙で不可思議な組み合わせがいったい何を示しているのか。一瞬彼らは計りそこねた。けれど、すぐに気がついた。
 コンピューターと魔力。その双方がほどよく干渉し合っているのだ……と。
 魔力がコンピューターの際限ない原動力となり、そしてコンピューターが黒水晶の魔力をカイルシアの意志プログラムどおりに作動させる。しかも黒水晶は現実の空間にはなく、コンピューターが造り出す仮想空間に存在しているようだった。
 塔の最上階へのぼり、水晶に手を伸ばしてみても、ホログラフのように触れることは出来ず、ただ空を切るだけなのだ。
 もしそうでなかったら、イディアが憎悪を解放したあの時、彼のその感情だけで、簡単にカイルシアの黒水晶は破壊されていたのではないだろうか ―― ?
 そう思い、ショーレンは思わず身震いした。
 当時、世界最強の魔導士だったはずのカイルシアが何故、『過去の遺物』であるはずの『科学』に手を出していたのか。ここに在るコンピューターと黒水晶の相互関係を見て、ショーレンには分かったような気がした。
 純粋な魔力だけならば、カイルシアはイディアよりも数段劣っているのだ。けれども『科学』という相対するはずの力が加わって、黒水晶の魔力は異常な程に高められていた。
 魔術と科学は相対するものではなく互いの短所を補いあうものなのだと、ショーレンはアスカと今までに何度も話をしてきた。
 どちらか片方だけが突出してしまうと、かかる負担が大きすぎて必ずどこかで破綻を来たす。例えば環境汚染。そして自転停止のように ―― 。
 だが、逆に二つの力を併せることが出来たならば、なにものも及ばない大きな力となるだろうということ。それはショーレンとアスカが熱中していた思想の軸だった。
 アスカが科技研を訪れるたびに自分たちはそれを話し合い、そして少しずつではあったけれど研究も進めてきた。そんな自分たちの考えが、こんなところで証明されるとは思いもしなかった。
「ショーレン、何とかなりそう?」
 珍しくコンピューターの扱いに苦闘している様子のショーレンを気遣うように、ルフィアはそっと声を掛けた。
 ショーレンはディスプレイを睨みつけていた藍い瞳をふっと和ませると、同僚である女性技師に皮肉げな笑みを向けた。
「ったく、何てプログラムをしてるんだよ。これじゃ下手にいじれないぜ」
 額にうっすらと浮かぶ汗を軽く拭い、ショーレンは深く息を吐きだした。
 黒水晶が惑星に与えている干渉と影響を無くすためには、まずその魔力を増大させている『科学』の力を取り除く必要がある。
 そうしなければ、とうていカイルシアの魔力を止めることなど出来そうにはない。
 だが、コンピューターと魔力の相互干渉に異変があれば、その時点で強制的に流月の塔は発動されるようにプログラムされていた。
 もし何も考えずにコンピューターを停止させようとすれば、300年前すべての生命を喰らい尽くしたあの閃光が、再び否応なく発動されてしまうのだ。
 そこに、あくまでもアルファーダを犠牲としてレミュールを救うという、カイルシアの妄念とでも言うべきものを見出だし、ルフィアは寒気を覚えたように身を震わせた。
「何でここまでする必要があったんだろう。まるで狂気だわ」
「それだけカイルシアにとって、イディアが生まれてくるということが脅威だったんだろう。なにせ、神の御子と手を携えて自転停止を阻むことよりも、みずから自転を止めて、御子を生み出すアルファーダを消滅させることを選んだんだからな」
 ショーレンはうんざりしたように、息を吐き出した。
「……うん。そうだね。きっと、大切な人を守りたいと思う気持ちが、カイルシアの魔導士としての視野を曇らせちゃったんだろうね。だから……本来なら協力し合うはずだったイディアという存在を、脅威だと思ってしまった。イディアは知っていた『自転停止を防ぐ未来』が、カイルシアには見えなかったんだもの」
 どこか哀しげに、ルフィアはホログラフのようにゆらゆらと浮かぶ黒水晶を見た。
 カイルシアの、大切な人を想う気持ちがすべての歪みの発端なのだと思うと、やりきれない気分でいっぱいになった。
 誰も、好んでアルファーダを滅ぼしたわけではない。ただ、大切な人を守りたかっただけなのだ。その方法が偏り、そして間違えていただけで。
 だからといって、カイルシアの行為が許されるはずもなかったけれど ―― 。
「けど、そのカイルシアの妄念で、現在いまのアルファーダを滅ぼすわけにはいかないさ。それに、レミュールもな」
 ショーレンは強い意志を宿した双眸をわずかに細め、天井に浮かぶ水晶を仰ぐ。
 水晶は変わることなく、ほのかな輝きを周囲にまとわせながら、ゆうるりと世界を見下ろしていた。
 まるで、己の意志に逆らうものを睨めつけるような光だと、ショーレンは思った。
「……大事なのは、過去の人間の想念なんかじゃない。現在いまを生きている、俺たちの意志だ」
 ゆうらりと浮かぶ光の珠に、ショーレンは言い放つ。あれはカイルシアの魔力の結晶であって本人ではない。分かってはいたけれど、そう宣言したくなった。
 イディアがこの西側世界を救うために行っていた行為を止めさせるため……自分たちをこの土地へと導いた、カイルシアに ―― 。
「まあ、カイルシアも導いた人間が悪かったよな。ここに来た奴らはみんな、誰かの思惑通りに動くようなタマじゃないからな」
 にやりと人の悪い笑みを浮かべ、ショーレンはルフィアに両手を広げて見せる。
「そうだね。今ごろ、私たちをここに導いちゃったことを後悔してるかもね」
 イディアを止めるどころか、カイルシアの意思に反して流月の塔を止めようとしている自分たちの立場を考えて、ルフィアもくすりと笑った。
「さてと。おしゃべりはこれくらいにして、さっさと『科学の力』を取り除かないとな」
 ショーレンは気分を取り直すように頭をひとつ振ると、コンピューターに向き直る。その横で、ルフィアはショーレンが弾き出す情報を目で追った。
「ねえ、ショーレン。それは?」
 見覚えのある波形と図式がディプレイいっぱいに現れたので、ルフィアは軽く目を見張った。この奇妙な形によく似た図式を見たのは、つい最近のことだ。
「うん? ああ……これか。このコンピューターが黒水晶に与えている『力』の種類を解析して、図式化してみたんだよ。たぶん、これであってると思うが」
 ショーレンは軽く溜息をついた。
「でも、図式にしてみたからって、何がどうなるって訳じゃないんだけどな」
 これがどうかしたのか? ショーレンは両手で前髪をかきあげながら、ルフィアに顔を向ける。
 ルフィアはちょっと考えるようにうつむいた。
「似てるのよ、それ。光壁が生まれる時に出る力の波形と」
「……光壁って言うと、二重結界のか?」
 こくんとルフィアは頷いた。
 レミュールからこちら側に来る際、その光壁を生み出す装置があまりに古すぎたために巧く扱えず、彼女は自分で手を加えて装置を作り直したのだ。
 その時に、光壁を形成するための力の配分を間違えないようにと、細かく確認したのだから間違いはない。
 ルフィアの言葉に、ショーレンは低く唸った。何かを考えるようにこめかみを指先で押さえ、じっとディスプレイを睨み据える。
 そうして、思いつくままにショーレンは手元のキーを操作した。己の知識を総動員して、いろいろな仮説や式を組み立てているのだろう。
 普段はコンピューターばかりいじっているし、さばさばとしたスポーツ選手のような印象をもつショーレンだったけれど、こういう姿を見ると研究に没頭する科学者に見えなくもない。そう思い、ルフィアは楽しげに笑った。
 特に彼の専門は惑星流体力学。『力』の伝播や波動の研究だ。少し種類は違うけれど、得意分野といっていいかもしれない。
「なあ、ルフィア。イファルディーナの動力部を、光壁を作り出す装置と同じように作り替えられるか?」
 ふいと視線をディスプレイから外し、ショーレンは優秀な技師である友人に問い掛けた。何かを考え付いたのか、その藍い瞳には楽しげな色が広がっていた。
 ルフィアはじっとその目を見返し、ややしてあざやかな笑顔を見せた。
「出来ると思うよ。そうなるとイファルディーナは使えなくなっちゃうけどね」
 現在自分たちの唯一の移動手段であるイファルディーナが使えなくなると言うこと。それは、レミュールに戻れないかもしれないということだ。
「でも、あれ以外こっちに使えそうな機械ものなんてないしね」
 迷いのない、まっすぐな眼差しがショーレンに向けられ笑んでいた。
「そうそう。それに、ルフィアならまた元に戻すことだって出来るだろ」
「まったく、簡単に言ってくれるよね」
 くすくすと笑いながら、ルフィアは軽く肩をすくめてみせる。しかし出来ないと言わないあたり、ルフィアにもその自信はあったのだろう。
「科技研きっての技師の腕を信頼してるのさ」
 ショーレンは明るく笑い、ルフィアの頭に手を置いた。おだてるようなその言葉を、はいはいと軽くいなしてから、ルフィアはふと、天井の水晶を見上げた。
 誰かが、見ているような気がした。
 分かれて行動している魔術派メンバーの誰かが、カイルシアの魔力を調べるために上にあがったのかとも思ったけれど、それらしい人影はない。
 ルフィアは不思議そうに首を傾げ、そしてショーレンに天を指し示した。
「何か、視線を感じなかった?」
「……あの水晶だろう? 俺もずっと、あれが気になってるんだ。まるで、誰かに見られてるみたいな感じでさ」
 軽く眉を上げて、ショーレンは嫌そうに言った。ここに長くいればいるほど、その感覚は強くなるのだ。
 最初は、この塔が自分たちの生命力を奪おうとしているせいで、そう感じるのかと思った。けれども、小夜や左京が消えたときの感覚とはどこか違うような気がして、ショーレンも首を捻っていたのだ。
 自分たちが魔術を解さない人間だからなのか、この感覚がどういうものなのかまったく分からない。しかし、本当に誰かの視線がまとわりついてくるようで、あまり心地好いものではなかった。
「まあ、何でもいいさ。カイルシアの魔力を強める『科学』は取り除ける。そうなれば、あんなものは意味もなく浮かぶホログラフみたいなもんだからな。あとはティアレイルたちにバトンタッチだ」
 力強い口調で言うと、ショーレンは大きく伸びをして立ち上がった。
「そろそろアスカたちに合流して、取り掛かろうぜ」
 意志の強そうな笑みを口許に佩き、ショーレンはすたすたと歩き出す。
 ルフィアはもう一度だけ天に浮かぶ水晶を見上げ、そうして軽く頭を振ると、ゆっくりとショーレンの後を追って塔の外へと出て行った。




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