蒼月の涙  - 降り頻る月たちの天空に 外伝 -

第9話 『立ち向かう勇気』


 ここは何処だ。私はいったい何をしているのだろう。
 私は目を開いているのだろうか? 閉じているのだろうか? まわりは真闇だ。何かが聞こえる。人の声? いや、風の音? 悲鳴? 恐怖? 哀しみ? それとも優しさ? 慈しみ?
 ああ……。
 白い月が……終末の閃光が生まれる。すべての生命いのちが溶ける。消えて……ゆく。逃れるすべもない狂暴な光に……喰われてゆく……。
 私はどうかしているのだろうか? ―― わからない。ただ……ここは懐かしい。ひどく……哀しい。
 ここはいったい何処なのだろう。
 私は……いったい何者なのだろう ―― 。

*****

「ねえ、ティアレイル。どうしたの? 顔色悪いよ」
 この三日間行動を共にしていた同僚の顔色が、今朝はどこか青褪めて見えた。
 居なくなったシホウ総帥のこと、そして災害が起こるというベセルについての対策をいろいろと二人で考えていたのだが、その途中いきなり押し黙ったまま、ティアレイルは唇を噛み締めているのだ。
「何か、予知とかした?」
 思わずセファレットはそう訊いてみる。ここ数日の間で、一歳年下のこの同僚の雰囲気が変わったような気がするのだ。
 その身にまとう気配……魔力の気配だろうか。それが少しずつ……今までとは比べ物にならないほどに大きく、少年を取り巻いているような気がした。
「そんなはずは……ないんだ」
 絞りだすような声で、ティアレイルはそう言った。
「重なるなんて、有り得ないよ……」
 じっとセファレットを見やる翡翠の瞳は、ひどく苦しげに揺れている。その瞳がいったい何を見ているのか、セファレットには分からなかった。
「重なるって、何が?」
「…………」
 問い掛ける少女に、ティアレイルは躊躇うように眉根を寄せる。
「ねえ、ティアレイル。ベセルの任務も、総帥のことも、一緒にやろうねって言ったでしょ」
 やんわりと、セファレットは答えを促すようにティアレイルの顔を見た。ここで話してもらえなかったら、何のためにこの三日間を過ごしてきたのかも分からなくなってくる。
 その言葉に深く息を吐きだすと、ティアレイルは心を決めたように、強い意思を込めた翡翠の眼差しを彼女に向けた。
「僕が総帥の風鏡から得た情報は……ベセルの町に襲いかかる暴風と高波。そしてシホウ総帥の結界の三つだったていうのはもう話したよね。そこで視たものの関連性を……僕は結界の力が弱まったことで、危険な環境を持つといわれる『D・E』から溢れ出る"脅威"を結界が防ぎきれなくなった為に起こることだって判断してたんだ。でも ―― 」
 いちど言い淀むように彼は言葉を切る。ゆっくりと深呼吸をする時間だけ沈黙が訪れた。そうして、ティアレイルは思いきったように再び口を開いた。
「でも……さっきハッキリと見えたんだ。ベセルの町に起こる災害が……シホウ総帥によって起こされる人災だと……。総帥の結界が、その意志によって嵐を生み出す温床へと転じていた」
 D・Eとこちら側とを隔てる為に、惑星に張り巡らされたシホウの結界全体が、大きな嵐を生み出す温床となっていた。
 総帥がベセルを恣意的に破壊しようとしている訳ではない。ただ、最も結界に近いベセルの町が壊滅的な被害を受ける。
 三日前に風鏡から得た時のような断片ではなく、ハッキリとつながりを持って未来が視えたのだ。
「 ―― !?」
「僕の未来視が正しいかどうかは分からない。でも……重なってしまったんだ。総帥を探そうとして巡らせた魔力の途と、ベセルを救うために模索していた魔力の糸が。……僕たちは、ベセルを救うために動く過程でシホウ総帥に会うことになる……」
 目を見張る少女に、ティアレイルは苦しげに言い切った。
「そんな……未来……私には視えないわ。あなたの勘違いだよ、きっと……」
 あんまりなその未来視に、セファレットは悲鳴のようにそう呟いた。あの気さくで優しい総帥が、なぜ結界を強暴な嵐へと転じさせるのか。そんなことをするはずがない。
「うん……」
 自分の視た予知を真っ向から否定されたというのに、ティアレイルは怒りはしなかった。むしろほっとしたように、小さな笑みを浮かべる。
「そうだと、いいな」
 翡翠の瞳を少し哀しげに細めて、ティアレイルはふと天を仰いだ。
 なぜ自分がこんなにも鮮明に未来が視えるようになったのか分からなかった。だから ―― 勘違いであってくれたら良いと思った。
「……ティアレイル……」
 その表情が、彼の予知が真実であると物語っているように思えて、セファレットは唇を噛むように俯いた。今までの彼であったなら、自分もそんなふうには思わなかったかもしれない。
 けれども ―― 今のティアレイルからは大きな魔力を感じる。そんな彼の視た未来が、勘違いであるはずもないと、感情とは別の"理性"がそう思ってしまうのだ。
「もう一度、ベセルの町に行ってみない?」
 だからセファレットは、そう言ってみた。ベセルの町に居るだけでは救う方法が見つからないからと、二人は魔術者としての感性が己に"視せて来る"様々な場所を訪れ、その方法を模索していた。
 今まで訪れた場所では、科学派の施設でなにやらトラブルが起きているようで慌しい空気はあったけれど、総帥について得られた情報は何も無かった。
 だからもう一度、原点に戻ってみようと思ったのだ。もし先ほどのティアレイルの予知が真実ならば、そこで自分も何かを視ることが出来るかもしれない。そう思った。
「……そうだね。行ってみようか」
 にこりと、ティアレイルは笑った。笑うことしか出来ない。そんな表情だった。


「探したぞ。……ったく、アホどもが」
 二人がベセルの町に転移すると、いきなりアスカの声がした。
 驚いて声の方を振り向くと、木に寄り掛かったアスカが腕を組むように立っていた。この町でティアレイルたちを探していた際に、二人がこの場所へ転移してくるという気配を感じて先回りして待っていたのだろう。
「あっちゃん……」
「三日も連絡ナシに帰ってこないからな。仕方ないからこっちから来てやったよ。まったく」
 アスカは怒るでもなく、呆れたようにただそう言ってにやりと笑う。
 いつもと変わらぬアスカのその飄々とした表情と言葉が、何故だかひどく懐かしく思えて、ティアレイルはくしゃりと笑った。
「ごめん……でも何で、僕らがベセルに居るって思ったのさ?」
「ああ、ルフィアがこっちのコンピューターがおかしくなってるって話をしてた時にな、ベセルって言葉に引っかかったからさ、来てみたんだ」
 アスカは紺碧の瞳に可笑しそうな彩を浮かべて笑った。
「また……科技研に行ってたんだ?」
 心底嫌そうに眉をしかめて、ティアレイルが睨むように見やると、アスカは苦笑を浮かべて肩をすくめてみせる。ティアレイルの科学嫌いはよく知っていた。
「はは。まあそんな細かいことは良いだろ。……で、総帥の方はどんな感じなんだ、ティア?」
 紺碧の瞳を凛と光らせて、アスカは幼馴染みを見やる。ティアレイルとセファレットが二人で行動していたのならば、それはシホウのことを探しているのに違いないと思った。
 ティアレイルはふと表情を曇らせた。逡巡するようにセファレットと目を合わせて、ゆっくりと蒼銀の髪を揺らすように首を振る。
「どこにいらっしゃるのかは分からない。でも……」
「ティアレイルが受けた任務に重なってしまったって」
 言い淀んだ同僚のあとを取るように、セファレットが静かに言う。
「そうなのか?」
 確認するように自分を見つめてくる紺碧の瞳に、ティアレイルはゆっくりと頷いた。
「おまえが受けた任務はなんだ?」
 二人のあまり穏やかではない表情に、その任務と総帥探しが重なることは嬉しい状況ではないのだろうと分かる。
「ベセルの町を……救うことだよ」
 ふと、ティアレイルは笑った。どこかぎこちないその微笑に、アスカは軽く溜息をつく。こういう表情をしたときの幼馴染みが、精神的にいっぱいいっぱいな状況なのだということは、付き合いの長いアスカには良く分かるのだ。
「ばっかだなぁ」
 殊更に呆れたような声を出しながら、アスカはひょいっと幼馴染みの顔に向けて両手を伸ばす。そうしてティアレイルの両頬を軽く捻りあげた。
「な……っ?」
 思わぬアスカの行動に、ティアレイルの翡翠の瞳が驚きにまるくなる。その頬を摘んだ張本人のアスカは、驚く幼馴染みを尻目に意志の強そうな紺碧の瞳を細めるように笑っていた。
「そんな顔してたんじゃ救えるもんも救えなくなるぞ、ティア。シホウ総帥が救えって言ったんだろ? それなら、しゃんとしてな」
 絶句している幼馴染みのわずかに癖のある蒼銀の髪を、今度はぽんぽんと叩くように手を弾ませて、更にアスカは強い笑みを宿す。
「そこに重なってきた未来があるなら、一緒にそっちも救えばいいだろ」
「 ―― !?」
 大きく目を見張り、ティアレイルはアスカを見やった。
 さすがはアスカだと思った。この年長の幼馴染みは信じられないほどに、迷いがなく強い。
 ぽんと無造作に頭に乗せられたアスカの手の重みが、不思議なほどに自分を安心させてくれる。以前シホウが『彼が支えになってくれるだろう』と言ったことを思いだし、本当にその通りなのだとティアレイルは可笑しくなった。
「うん。……そうだね。任務と総帥が重なったのなら、ひとつに集中できてよかったのかもしれない」
 敬愛する総帥によってレミュールに被害が起きる。今まではその予知を認めたくなかった。あの優しく穏やかな総帥が、そんなことをするなどと信じられなかった。
 けれども ―― 総帥はベセルの町を守るようにと、そうティアレイルに言ったのだ。
 もしかすると彼はこうなることを知っていたのではないだろうか? 自分自身では止められない何か大きな理由があって、ティアレイルにそれを望んだのではないか?
 そう考えると、最後に会った時の総帥の様子にも納得がいくような気がした。
「僕がシホウ総帥から受けた、最初の任務だからね。ちゃんとやらないと」
 翡翠の瞳をゆるやかに細めて、ティアレイルはにこりと笑った。
「よし、じゃあ……まずは俺にも詳しい話を説明してもらおうかな。ハッキリ言って、俺は今までの経緯をほとんど知らないわけだからな」
 それでああも偉そうなことを言うあたりは、さすがと言えばさすがである。思わずティアレイルもセファレットも顔を見合わせて笑いだした。
「とりあえず、どこか落ち着ける所にでも行くか。この町を救うってことは、何かが起きるってことだよな。もしかするとルフィアが言っていたコンピューターの不調も何か手掛かりになるかもしれないし、お互い知ってることは全部話そう」
 意志の強い紺碧の瞳を片方だけ閉じてみせて、アスカは二人を促すように歩き出す。
 その先の未来に ―― 何が待っているのか。微かな痛みをともなう予感を抱えながら、ティアレイルはしかし、もうその予知から逃げたり誤魔化したりしようとは思わなかった。
 知っていればこそ、変えられる未来もあるだろう ―― 。
 その翡翠の瞳に強い意志を浮かべ、同僚の少女と顔を合わせる。そうして力強く互いに頷きあうと、アスカのあとに付くように、ゆっくりと歩き始めた。
Copyright (C) Maki-Kazahara. All rights reserved.