蒼月の涙  - 降り頻る月たちの天空に 外伝 -

第8話 『それぞれの思惑』


「ふっざけんじゃねえよ! 知らないって、どういう事だ!」
 ダンっと机を叩き、アスカ=ハイウィンドは目の前に居る男を睨み付けた。
 三日前に総帥となった金髪白瞳の男。それまでは総帥補佐をしてきた、旧総帥の親友。いったいどんな経緯があって彼が総帥になったのかなどということは、アスカには興味がなかった。
 ただ、あの日以来幼なじみのティアレイルが帰ってこない。同じくセファレットも姿を消し、ようとして行方が分からない。それを、いくら就任したばかりとはいえ、総帥であるロナが感知しようともしないことが彼には許せなかった。
「何と言われても、私にも彼らの居場所は分からない。ティアレイル導士については、シホウ前総帥が最後に何らかの任務を与えていたようだが、記録には残っていないし、前総帥も不在なので確かめることは不可能だ。……が、本当にティアレイル導士に任務が与えられていたのなら、それを遂行し次第帰還するだろう。そう憤るものではない。落ち着いて帰還を待っているのだな。アスカ導士」
 能面が話しているのではないかと錯覚するほど無表情に、新総帥は声を発した。己の感情を悟らせない抑揚のないその口調は、ひどく冷酷な印象さえ受ける。
 アスカはぐいっと唇を噛んだ。もう、何を言ってもこの答えしか返ってこないだろう。ふと、そう思う。まるで、良く出来た"お喋り人形"にでも話し掛けているようだ。
「……よくわかりました。ロナ新総帥。お騒がせ致しまして申し訳ございませんでした。では、わたしはこれで失礼させていただきます」
 思い切り嫌味な口調でそう言ってやると、アスカは冷然と微笑って辞儀をした。それでもロナは表情ひとつ動かさず、ただ目礼をしてそれに応えた。
 ―― 埒が明かない。
 紺碧の瞳を苛立たしげに波だたせ、アスカは鋭く舌を打つ。そうして苛立ちを抑えきれないように、激しい歩調で総帥室を出て行った。
「…………」
 アスカの姿が扉の向こうに消えると、ロナは能面のようだった表情をにわかに崩し、嘆くように天を仰いで深い吐息を吐きだした。
「私は……選択を間違えたのか? おまえを捕らえ……裁かねばならないのだろうか……?」
 その答えは今、ここにはない。
 ただ、魔術者としての感性が。未来を知る白色の瞳が。変貌を遂げつつある"ひとつの存在"を確かな脅威として、ゆっくりと朧げに描き出している。
 それは、ロナにとっては耐え難い未来視。そして避け難い ―― 予知だった。
「親友……か」
 シホウと出会ってからこの十年近く。いつも一緒に居たし、互いに支えあってきたのだと思っていた。けれども ―― 肝心なことは、何一つ話し合ってこなかったのだと思う。
 自分が二代前の総帥であったことも、シホウの苦悩も。大事なことは何も話すことなく、ただ上辺の楽しさを過ごしていただけなのだ。
「私に……シホウの親友だと言う資格はなかったのかもしれないな……」
 彼が独りで何かを苦しんでいることに気が付いた時、無理に聞き出そうとはしなかった。何かあればそれとなく助ければ良いと思っていた。
 しかし……シホウが話をしてくれるのを待つのではなく、自分からもっと踏み込めば良かったのだろうと今になってそう思う。
 こういう己の傲慢さや怠慢。そして至らなさは、何歳いくつになっても治らない。ロナはそんな自分を罵るように、強く唇を噛み締めた。
 苦しげに細められた白色の瞳に、窓辺に飾られた紫苑の花がゆうるりと映りこむ。
 その淡い紫色の花に、ふと、ロナは哀しげに微笑んだ。紫苑という花の持つ言葉が、何の前触れもなくただ痛みを伴い脳裏に浮かんだ。
「『追憶』……そして『あなたを忘れない』……か。セファレット導士はこのことを知っていたわけではないのだろうが……因縁めいているものだな」
 花の持つ言葉がこのさき訪れる未来への兆しのように思えて、ロナは深い溜息をつく。
 この花を持ってきた少女……今は行方が分からなくなっているセファレットは、おそらくティアレイルと行動を共にしているのだろうと思った。
 ティアレイルがシホウにどんな任務を受けたのか、その詳細をロナは知らない。けれどもあの時のシホウの言葉を思い返してみれば、それは……正気だった彼の"最後"の願いでもあるのだろうと思う。だからこそ、ロナは二人を探そうとは思わなかった。
「ん? これは……」
 淡い紫の花が咲く幾つものプランターと壁の隙間に、何か小さな物が落ちていた。
 そっと手を伸ばして拾い上げてみると、それは以前ロナがシホウに贈った、美しい純白の羽根に瑠璃石の付いた根付だった。おそらくあの日……シホウが総帥服を脱ぎ捨てたあのときに、こぼれ落ちてこの隙間に入っていたのだろう。
「……シホウの傍に戻れ。あれが自分自身を……心を手放す前に。頼む……」
 ロナはゆっくりと目を閉じた。そうして手にしていた純白の美しい羽根に祈るように言葉を紡ぐ。
 その白い羽根が、ふわりと小さな鳥になった。
「まだ……間に合うと思いたい」
 ロナはそっと窓を開けた。真っ白な小鳥は力いっぱいに羽ばたきながら、見る見るうちに空の彼方に消えていく。
「 ―― 後悔している暇はない。私は……ただ為すべきことを為し、流れ行く不安定な現在を確実に導いてゆくしかない」
 再び能面のような無表情となったロナの、青褪めた口唇から呟きが漏れる。その内心を窺い知ることが出来るものは、ここには誰もいなかった。


「どうした? 荒れてるな、アスカ」
 やって来るなり苛立たしそうにソファに腰を下ろした友人に、ショーレンは訝しげに声をかけた。普段は明るい悪戯な眼光が浮かんでいるはずの紺碧の瞳に、刺々しいものが揺らめいている。
 そんな友人を見ることは珍しく、ショーレンは首を傾げていた。
「……ったく、本当に埒があかない。ティアが帰ってこないことも、ハシモトがいなくなった事も何も気にしてないんだ、あの男は」
 イライラと両の手を胸の前で打ち合わせながら、アスカは大きく首を振る。先ほどの新総帥とのやり取りを思いだして、さらに苛立ちが増した。
「まあ……おまえが幼馴染みを心配する気持ちも分かるけどな、もうちょっと様子見たらどうだ? おまえんとこのアカデミーもいま大変そうだからなぁ。あんな総帥の交代劇は、前代未聞だろう?」
 それまで操作していたコンピューターに背を向けて、ショーレンはくるりとアスカに向き直る。
 自分の所属する科学技術研究所も、明日の創世記念から総統が代替わりすることが決まっていた。しかし、それは正規の会議を経たうえでの通常の交代だ。魔術研究所のように急な変事ではない。
「ああ、それは分かってるんだ……」
 創世記念のセレモニーが明日に迫っている今、新しく就任したばかりの総帥が忙しいのだということは分かる。しかし、そういった理由ではなしに、ロナが二人の失踪をわざと見て見ぬ振りをしているように思えて、アスカは腹立たしかったのだ。
「……で、科技研の新しい総統はどんな感じなんだ?」
 苛々を抑えるように深い溜息をついて、アスカは自分の気を逸らせるように話題転換を試みる。新たに科技研の総統となる人物は、女性だということぐらいしかアスカは聞いていなかった。
「ああ、ルナさんはかなり優秀な人だぜ。まあ……一部の幹部なんかは『ラスカード女史は奔放すぎる』なんて文句言ってるけど、一般の所員には人気があるからな、科技研はうまく立ち行くさ」
 ショーレンは藍い海のような瞳を細めて快活に笑った。
「でも魔術研おまえのとこは前総帥がかなり人気も実力もあったみたいだからなぁ、新しい総帥にはかなり厳しい環境だと思うぞ」
 このアスカも前総帥を慕っていたのだと知っているショーレンは、わざとそう言ってみせる。その辺りの好悪の感情のせいか、アスカがいつものような冷静な判断を出来ていないような気がした。
「……ちっ。ショーレンに説教くらうとは思わなかったよ」
 本来ならば敵対関係にあるはずのアカデミーに所属する友人の、意志の強さを伺わせるその眼差しにアスカは色素の薄い髪をかきあげるように苦笑した。
「ふふん。俺もおまえに説教できるとは思わなかったよ」
 にやりと笑って、ショーレンはアスカにぽんっと冷たい水の入ったボトルを投げ渡す。
「まあ、それでも飲んで落ち着いたらさ、ティアレイルを探しに行けよ。なんなら、うちのレーダーであいつの生体波動を探しても良いぞ。もちろん幹部おえらいさんには内緒だけどな」
「さんきゅ、ショーレン。でもまあ、俺もいちおう魔術者だからな。探すんなら自分で探せる」
 科技研の友人がくれたミネラルウォーターを一口飲んでから、アスカはにやりと笑い返す。今までそれをしなかったのは、そこまで切羽詰った状態ではなかったからだ。
 しかしやはり心配なものは心配なのである。ショーレンの言うとおり、探しに行ったほうが手っ取り早いし自分のイライラも解消するというものだ。
「あ、アスカくん来てたんだ?」
 不意に耳に心地よい女性の声が聞こえて、アスカとショーレンは扉の方を振り返る。そこに小柄な女性の姿を見つけて、二人は明るく笑みを浮かべて出迎えた。
「ルフィア、最近忙しそうだな。どうしたんだ?」
 機器の修理や調整をする技術班に所属している女性技師は近ごろ何かと走りまわっていることが多く、こうしてショーレンの部屋にやって来たのも、ちょっとした休憩なのだということが分かる。
「うん。なんかね、この三日くらいおかしな故障が多いのよ。各支局にあるコンピューターがいっせいにフリーズしたり、火を吹いたりしてね。とくにべセルに在る支局のコンピューターなんかひどかったんだよ」
 昨夜までその調整に駆りだされ、今朝ようやく修理と調整を終えて帰って来たばかりなのだと、ルフィアは笑いながらソファに腰を下ろした。
「あーあ。早く開発チームに入りたいなぁ」
 大きく伸びをするように言いながら、ルフィアは隣に座るアスカに目を向ける。何故かアスカの表情が不意に険しくなったように感じたからだ。
「どうかした?」
「……いや。今のルフィアの言葉を聞いて、なんだか嫌な予感がしたんだ」
 気難しげに眉根を寄せて、アスカは宙を睨むように目を細める。彼女の言葉の何かが、アスカの魔術者としての感性に引っかかったらしい。
「開発チームっていう言葉? それとも……ベセル、とか?」
 魔術者の"意識"の中で縺れているであろう糸をほぐすのを手伝うように、ルフィアはそう言ってみる。ふと、アスカは瞳を細めるように笑った。
「ああ……そうだ。ベセル……か。あとは三日前……うん。そうだな……」
 自分の魔術者としての感性に訴えかけてくるその言葉の持つ"意味"を捉えるように呟きながら、アスカは紺碧の瞳に意志の強い笑みを浮かべる。
「ありがとな、ルフィア。助かった。……じゃあショーレン、俺はそろそろ行くわ。あいつの居場所が分かったような気もするしな」
 ソファから立ち上がり、アスカは軽く片目を閉じて見せる。
 そうしてひょいっと軽く手を振ると、アスカはそのまま宙に溶け込むように消えていた。
「……へえ。あいつもホントに魔術者なんだなぁ。転移できるとは思わなかった」
 思わずショーレンは可笑しげにそう呟く。今まで付きあってきた中で、アスカが魔術研究所の導士らしい行動を取るのを見たのは初めてのことだった。
「そりゃあ、導士だもの。出来るわよ」
 妙な事に感心している同僚に、ルフィアはくすくすと笑い声を上げる。
「でも、ベセルに何かあるのかな? 今朝まで私もそこに居たけれど、特に何もなかったと思うなぁ」
 もちろん自分はただの技師であり、魔術などを扱えるような人間ではないので分からなかっただけかもしれないが ―― 。
「うーん。たぶん、ティアレイルがそこに居るんじゃないかな。あいつ、探しに行くって言ってたからな」
 何気なく、ショーレンはそう応えた。
「……ティアレイル導士って、十七歳で魔術研に入ったっていう?」
 ふと、ルフィアが驚いたように訊き返す。ショーレンは闊達に笑うと、大きく頷いた。
「ああそう、その導士。アスカの幼馴染みなんだよ。……って、意外だなルフィア。ティアレイルのこと知ってるのか?」
「えっ!? し、知らないけど……うん。魔術派の雑誌で見たことあるから」
 どこか慌てたように、ルフィアは大げさに顔の前で両手を振った。その頬が少し赤らんで見えるのは気のせいだろうか? ショーレンは驚きのあまりまじまじと彼女を見やった。
「もう、ホントになんでもないってば。……でも、ベセルには居なかったと思うよ。あそこ人が少ないしアカデミーの導士が居れば目立つもの」
 今朝まで居た街の様子を思い出しながら、ルフィアは表情を切り替えるように言う。あの町に彼が居たのなら、それを見落とすわけもないと思った。
「……ふーん。まあいいか。何にせよアスカのやつ、ティアレイルに会えるといいけどな。あいつにとっては弟みたいなもんでさ、意外なくらいに過保護なんだよなぁ」
「そうなんだ? それは本当に意外かも」
 ルフィアもくすりと笑った。時々このショーレンの部屋で会う飄々とした印象の青年にそんな一面があるなど、とてもそんなふうには思えなかったが、それだけ大切な存在ということなのだろう。
「あっ。じゃあ私、まだ仕事があるからもう行くね」
 ちらりと壁にかかる時計を見やり、ルフィアはソファから立ち上がる。忙しい身に与えられたほんの僅かな休憩も、もう終了ということだろう。
「さってと、じゃあ俺は惑星流体力学の研究にでも取り掛かりますかね。総統が代替わりすれば認めてもらえる機会も増えるしな。ルフィアも開発チーム、行かれるように頑張れよ」
「うんっ。じゃあ、またね」
 ひらひらと手を振って、ルフィアはショーレンの部屋から出て行った。
 それを笑顔で見送ってから、ふと、ショーレンは深い溜息をついた。
「 ―― ホントに、何事もなきゃいいんだけどな」
 黒髪を両手で上に撫で付けるようにかきあげながら、ショーレンは先ほどアスカが消え去った空域を眺めやる。アスカが消える前にこぼした「嫌な予感」というのも気になったし、魔術研で何かが起きているのだろうというのも推測できた。
 しかし ―― 自分たちがどうにかできることではないだろう。だからショーレンは、誰も居なくなった部屋で再びコンピューターに向きなおるしかなかった。
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