蒼き花 散りて星 |
〜 星生まれの咏 〜
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ユライアは深い溜息を吐くと、追憶から脱却するようにゆっくりと頭を振った。 自分の話を聞いたアスレインがどんな感想を抱くのか、その反応を見るのが少し怖い気がした。 これまでに自分は多くの人に不幸をもたらしてきた。もちろん故意的になどでは決してない。けれども……否、だからこそ。自分はおそろしい禍を呼ぶもの。禍神の化身と呼ばれるのかもしれない。 アスレインはただただ静かにユライアを見つめていた。静かな。けれども真摯な蒼い瞳と、ユライアの薄い藍色の瞳がかちりと交錯する。 刹那、アスレインは自分の身を投げ出すようにユライアの胸に飛び込んでいた。 「ユライア、ユライア、ユライア……」 何が言いたいわけでもない。ただ、こうして自分の存在を伝えたかった。 いつも穏やかなユライア。わがままも悲しみも優しく包み込んでくれる、草原のような匂いを持った人。自分の中で欠くことのできない大切な存在になっている……ユライア。 この、溢れるようなユライアへの想いはどうすれば彼に伝わるのだろう? 「……アスレイン」 きゅっと、自分を抱きしめてくるアスレインの細い腕に、ユライアはなんともいえない不思議な感情が湧き上がった。とても ―― 暖かかった。 こんなに頼りなげな華奢な腕が、自分をひどく安心させるのだ。 それは不思議な感覚だった。今まで自分がこの少女を守っていたつもりだったのに、いつのまにか立場が逆転していた。 自分の存在を認めてくれる……いや、必要としてくれてさえいる少女。そんなアスレインの存在に自分がどれだけ救われていたか。この三年間、考えたこともなかった。 こうなってみて、別れが近くなって初めて気が付くとは ―― 。 「咲夜の蒼い花。アスレインと一緒に見たかったな。私は自分に架せられた運命を変えるために。そして君には……夢は叶うものなのだと教えてあげたかった……」 淋しげな笑みが、端正な頬に刻まれる。 ユライアの言葉はすべて過去形。そのことが、アスレインはとても悲しかった。 彼は既に自分の心の中で、ここを立ち去るということを決めている。それが、良く分かるのだ。 「やっぱり夢なんて見るだけ無駄じゃない。ユライアがいてくれたら、わたしはそれでいいのに。ずっと一緒にいられるって、そう思ってたのに……。そんなちっちゃな夢だって、叶わないんじゃない!」 綺麗な蒼い瞳にすべての意思を込めて、アスレインはユライアを睨み付けた。否、涙が零れ落ちないように、必死に耐えていたのだろう。その瞳いっぱいに涙が溜まっていた。 初めからいなくなると分かっていたら、こんなにも心を預けたりしなかっただろうか? 否……きっと変わることなく、彼に心を預けてしまったことだろう。 たくさんの陽を浴びてゆるやかに広がる草原のように、とても優しく暖かなのだ。 惹かれずにはいられない。自分が孤独なときは、なおさら ―― 。 この時初めて、水伯の言葉の意味がアスレインには分かったような気がした。ユライアの優しさは『罪』だと、そう言った水伯の言葉が。 けれどもアスレインは、必死に水伯の言葉を打ち消した。彼の優しさは罪ではない。自分は……その優しさにいつも救われていたのだから。絶対に、罪なんかではないのだ ―― 。 「わたしに夢は叶うものだってこと……教えてくれるんでしょう? だったら……だったらここにいて。わたしのそばに居てよ。そうしたら信じるから。夢は願えば叶うんだってこと……信じるから!」 こらえきれなくなったのか、アスレインの大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。どうしても、彼を引き止めたかった。ユライアがいなくなること。それはあまりに悲しい。 「……アスレイン」 そうしてこらえきれずに涙をこぼす少女があまりにいじらしくて、ユライアは思わずアスレインの肩を抱き寄せた。 抱き寄せて、そして自問した。 自分は、この少女から離れて耐えられるのだろうか? 再び新しい町。新しい人の間を彷徨し続けること……彼女が自分の隣にいない日々を、耐え得るのだろうか、と。 否と、自分の心が自分に告げる。その結論にユライアは自身で戸惑った。 誰かと出会ってもすぐに別れることになる。その現実に、今まで他人と距離を置くようにしていた。それが自分にも、そして相手にも良いことだと、そう思っていた。 こんなにも誰かを大切だと。必要だと。そう思うことがあるなんて思いもしなかった。その感情がこんなにも暖かく……そして切ないものだということに、ユライアは初めて気が付いた。 「……私は君を巻き込みたくない」 優しい薄藍色の瞳をそっと少女に向けて、ユライアは諭すように言った。 アスレインと一緒に居たい。けれど、それは許されないことなのだ。 「ユライアと一緒にいることがわたしの夢だって言っても? わたし分かったの。水伯様にユライアがいなくなるって言われた時、やっと分かった。ユライアがいなくなったら、わたしはだめなの。……夢がないと人は生きられないってユライア言ったじゃない。だから……わたしはあなたと一緒にいないとダメなの。ユライアが居なくなることが、他のどんなことよりも怖いの」 アスレインはしっかりとユライアの服を掴んだまま、一気に心の内を告げる。 言ってみて、改めてユライアのそばにいたいと、アスレインは痛感した。もし本当に自分が巻き込まれて傷付きでもしたら、ユライアがどれだけ嘆き苦しむか。 それはアスレインにも想像できた。けれども、それでも一緒にいたいのだ。わがままかもしれない。でも……ユライアがいない現実はどうしても考えられないのだ。 「…………」 ユライアの口から深い吐息が漏れた。こうまで素直に自分の心をぶつけてくるアスレインに驚き、そして戸惑った。 戸惑いながら自分の心を見つめ、彼女の言葉を反芻する。そうしてユライアはひとつ、ゆっくりと瞬きをし、静かに笑った。 この三年間の中で、いつのまにか自分の心を満たしていたアスレインへの愛情。それは、今まで自分が持ち得なかった強い感情だった。それが……ゆるやかに芽生えた強い感情が、ユライアの迷う心を一歩踏み出させる。 「……今まで私は自分の運命に立ち向かっているつもりで、逃げていただけなのかもしれない。追手から逃れ、花を咲かせればいいと、そう思っていた。私がそんな弱い心だったから、咲夜蒼花は咲いてくれなかったのかもしれないな」 ユライアはアスレインの髪を優しく撫で、静かに言葉をつむぐ。 それが自分への応えなのだと、アスレインは分かった。それが悲しい応えでないことが、彼女をほっとさせた。 「咲夜蒼花……咲けばいいね、ユライア」 にっこりと、アスレインは明るく笑った。 「アスレイン……」 初めてアスレインが咲夜蒼花の存在を信じる言葉を紡いだことに、ユライアは一瞬驚き、そして、嬉しそうに微笑する。 「ああ。そうだね」 「ねえユライア。咲夜の種を植えた場所に、わたしも連れて行って。一緒にお花の世話しようよ。ね?」 はしゃいだように、アスレインはぴょんとユライアの腕から跳んだ。 「これからかい?」 くすりと笑い、薄藍色の瞳を細めると、ユライアは少女をからかうように窓の外を指す。 月の明かりがうっすらとさすだけの、怖ろしい夜空。それを怖がるふうもなく、アスレインは綺麗な蒼い瞳をくるりと笑わせた。 「うん。だって、夜に花は咲くんでしょ?」 「種を蒔いたばかりだよ? ……でもいいか。なにせ、まだこの世に咲いたことのない花だ。どんなふうに育つのかわからないからね」 「そうだよ! だから行こう」 アスレインはユライアの右手を掴み、まるでおねだりをする子供のように左右に振ってみせる。 「外はとても暗いから、灯りを持って行かないとね」 ユライアはにこりと笑った。彼女にあの、美しく優しい場所を見せることが出来るのが嬉しい。 「うん。じゃあ そう言って居間に行こうとしたアスレインをユライアは穏やかに押しとどめ、どこか不思議な眼光を宿した微笑で少女を庭にいざなった。 「炎を持っていくと、草木が怖がるからね」 庭に咲く真白い大きな花を一本優しく手折ると、ユライアはそれに軽く口付けをする。 不思議なことに、花はほのかな灯をともしたようにポウッと穏やかな輝きを生んだ。 月の明かりがその花弁に映ったかのように優しく暖かな銀色の光。真闇の夜をほのかに照らしてくれる、静かな輝き。 真闇の王がすべてを支配する闇夜を出歩くときは、必ず 咲夜蒼花を咲かせる為にどうしても闇夜の下に出なければならないユライアに、その闇から身を守るすべを教えてくれた ―― 。 八つの歳で町を追われ、逃亡生活を繰り返すようになってから今まで考えたこともなかったけれど、自分はあの老神官に愛され、そしてずっと守られてきたのだ。今なら、そう思うことが出来る。 そう気付くことが出来たのも、アスレインのおかげだとユライアは思った。 「花が……光? いつもユライアはその灯りを持って、花を探していたの?」 きょとんと目を丸くしたアスレインに、ユライアはくすりと笑った。そうしていたずらな少年のように。おどけるように。ぱちりと片目を閉じる。 「アスレインの生まれて初めての夜の散歩に、この花灯りをもってユライア=ソーリエがお供いたしましょう。この手を……放してはいけないよ」 「うんっ!」 そっと自分に差し出されるユライアの右手を嬉しそうに取って、アスレインは晴れやかに笑った。 そうしてゆっくりと、二人は森の中へと歩いて行く。祈るようにユライアが蒔き、そして動物たちの見守る美しい森の奥。咲夜蒼花の種が眠る、その場所へ ―― 。 |
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