蒼き花 散りて星 |
〜 星生まれの咏 〜
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「振られたみたいだな」 不意に、背後から低い声が降りそそいだ。硬質な声音のわりには、からかうような響きを持ったその口調に、ファゼイオはムッとして振り返った。 「うるさい……な!?」 そこに先程の腕試しで対峙した赤金髪の男を見出だし、ファゼイオは一瞬面くらった表情になる。 「ディーン……だっけ? 何だよ」 赤金髪の青年はふっと笑うと、まるでだだっ子を諭すようにファゼイオの頭をぽんぽんと叩いた。 「いや、さっきの彼女に振られていたようだったからな。慰めに来たのさ」 その言葉に、ファゼイオの表情が一層ムッとしたものになる。 「余計なお世話だ!」 そう怒鳴ると、ファゼイオはぷいっと横を向く。その子供っぽい反応がおかしかったのか、ディーンは楽しげに笑った。 「まあ怒るな。本当は気になる言葉が聞こえたから、確かめに来ただけだ」 「気になる言葉?」 ムッとしていたことも忘れ、ファゼイオは身を乗り出すように男の顔を見る。 ディーンは軽く頷くと、長い蘇芳の上着を風に靡かせながら周囲を見渡し、人気のない場所へとファゼイオを促した。 出店のある通りや催しが行われている広場から少し離れた木陰に来ると、ディーンは手頃な岩に腰を下ろし、静かにファゼイオの瞳を覗き込んだ。 「お前たちの会話の中に、『ユライア』という名称が聞こえたが、それは……もしかしてユライア=ソーリエのことか? 薄藍の髪と瞳をした、若い」 慎重を期すように、ディーンはゆっくりと言葉をつむぐ。 「そうだけど? それがどうかしたかよ」 「………」 あっさりと答えてくる少年に、ふうっと深い溜め息がひとつ、ディーンの口から漏れた。 「俺の知り合いかもしれんと思ったんだ。やっぱりそうだったか。ユライアという名は珍しいからな……」 「 ―― ユライアの知り会いっ!?」 ファゼイオは驚き、目を見張った。こんなところでユライアの知り合いに会うとは思いもしなかった。 なにせ、ユライアは名前以外は自分のことを語ろうとはしない。だからこそ、彼がアスレインの側にいることが心配だったのだ。 その、まったく素性の知れなかったユライアの過去を、この青年は知っているという。ファゼイオは勢い込むようにディーンの腕を掴んだ。 「いや、知り合いといっても、そんなに詳しいわけじゃない。一週間くらい一緒にいただけだ。あいつがいきなり行方をくらましたからな」 余りに過剰に反応したファゼイオに、ディーンは少し苦笑して、そう付け加えた。 「行方をくらまし……?」 「ああ。しかももう十年近く前のことだ。……そうだな当時ユライアは、今のおまえよりもひとつふたつ若かったんじゃないかな」 ディーンは思い出すように遠くを見やる。 「ふーん。そんな昔から、あいつ一人なんだなぁ。でも、行方をくらましたって、あんた何かしたのか?」 あまりユライアのことは好きではなかったけれど、今の彼を見ている限り、そんなことをしそうには思えなかった。だからファゼイオは不思議そうに青年の顔を見やる。 「いや、特には何もしてない。ただ、なんだかほっとけなくていろいろ世話焼いたりはしたが、それが気に障ったのかもしれんな。ま、俺も若かったしな」 ディーンは軽く頬を歪めるように笑った。 「それで……あいつは、ここにどれくらい居るんだ?」 「ユライアなら今はアスレ……さっきの彼女の家に住んでるぞ。三年くらい前から」 ファゼイオは溜息をつくようにそう教えた。 アスレインのユライアへの感情に気付いてしまった今、心はジクジクと痛んだけれど、だからといってそれに引きずられるような陰湿さは彼にはない。 「……ほう。じゃあ、もう問題は片付いたんだな。良かった」 ディーンはしきりに顎をさすりながら、自分自身が納得するように頷いた。 「どういう意味だよ、それ?」 男のその言い方が気になって、ファゼイオは眉間に皺を寄せる。ディーンはふっと笑うと、過去を思い出すようにゆっくりと天を仰いだ。 「そうでもなければ、あいつが同じ町に何年もとどまるわけはないからな。俺がユライアに会った頃、あいつは追われていたんだよ。この大陸の西側……西海の人間にさ。禍神の化身だとか言われてな」 「禍神っ!? あいつがか?」 思わずファゼイオはすっとんきょうな声を上げた。 どう考えても、ユライアにそんな呼称は似合わない。まだ聖なる神だと言われた方が納得できる。ファゼイオはユライアの柔らかな表情を思い浮かべ、そう思った。 「……髪と瞳が、あの色だろ。おまえたち北海地方の人間にはわからんだろうが、色を重視する西海の人間には、あれは禍々しい色なんだよ」 言って、ディーンは薄い唇を歪めた。彼自身も西海の人間である。しかし、そんなことはバカバカしい迷信でしかないというのが、ディーンの持論だった。 少年時代にユライアに出会って以来、その思いはいっそう強くなった。 「確かに珍しい色だけど、綺麗だと思うけどなあ? 夜になる直前の天空みたいでさ」 そうファゼイオが言うと、ディーンは鋼玉のような瞳に苦笑を刻んだ。 「だからだよ。あれは夜……深淵の闇を呼ぶ色。そう思っているのさ。人世を創り賜うた神聖五伯のあるじ、神聖太陽王を押し退け、禍いを生む『闇王』を連れてくるのが薄藍の翼を持った魔鳥だと、西海では信じられている」 傾き掛けた太陽を眺めながら、ディーンはそう言った。 既に、東の空にはユライアの瞳や髪を連想させる静かな薄藍色の天翼が、ゆっくりと広げられている。それは、もうすぐ辺りが深淵の闇に包まれるという確かな兆し。 闇夜を 祭りに浮かれていた周囲の人間たちは、朱に染まる西の空を見ては家路を急ぎ、両脇に並んだ出店もいそいそと店終いを始めている。 ただ、西海の人間の方が『色』そのものに対する考え方が過敏なだけだった。 「……魔鳥の色を纏ったユライアは、禍神の化身だと思われているってことか」 ファゼイオは息を詰めるように、ディーンの顔をじっと見つめた。 ディーンは風向きが変わって顔にまとわりついてくる自分のはちまきを邪魔そうに手で払ってから、軽く肩を竦めた。 「まあな。だが考えてもみろ。黒髪黒瞳の人間を『闇王の化身』だ、なんて言う奴はいないだろ。なんでユライアの色だけが悪いのか、そんなのおかしい。意図的に何かが作用しているみたいだ。俺がそう言ったら、ユライアはただ苦笑しただけだったけどな。十五・六歳の子供が持つとはとは到底思えない、諦めの笑みさ。……あんな笑みは一度見たら忘れらんないぜ」 僅かに唇を曲げ、ディーンは言った。 「で、その翌日にはもう姿を消していたってわけだけどな」 しかし、すぐにさっぱりするように大きく伸びをすると、ディーンは軽く笑った。 「でもまあ、その問題は解決したみたいだし、俺が気にする必要はなくなったってことだ」 「……ユライアに会いに行くなら、家まで連れて行ってやろうか? あの小川の向こうの、庭に真っ白な花がいっぱい咲いてる家だ」 ファゼイオはアスレインの家の方向を視線で示しながら、そう言った。 口ではああ言いながらも、この男がまだユライアのことを気にしているのだと、ファゼイオはそう思った。もしかすると、彼は今までユライアを捜していたのかもしれない。そんな気がした。 ディーンはしかし、苦笑を浮かべてゆっくりと首を横に振った。 「いや、いいよ。今更会っても仕方がないからな。あいつは覚えちゃいないだろうしな。それよりさっき、おまえ面白いことを言っていたな。そっちの方が俺は興味あるんだ。良ければ聞かせてもらいたい」 「……おもしろい事?」 ファゼイオは怪訝そうに首をかしげた。ディーンは、白い歯を見せて明るく笑った。 「国家がどうとか言ってだだろ。あれだよ」 「ああ。そのことか」 ファゼイオの瞳が覇気を帯びた笑みを宿し、今までの『少年』の面影を残した表情が一気に『男』の表情になる。 「いいよ。じゃあ、うちに来いよ。ゼン叔父さんもどうせ今日はうちに泊まるんだろうしな」 ファゼイオはあざやかな笑みを頬に刻み、そう言った。そうして二人は肩を並べると、さっきアスレインが走り去った坂道をゆったりと下りて行く。 それを、木陰に佇むように見ていた一人の老人がいた。老人は二人の姿が見えなくなると、にたりと陰湿な笑みをその口許に浮かべ、乾いた笑い声を上げた。 「白い花の咲いた家、か。ようやく探し当てた。 もしこの老人を今見ている者がいたとすれば、そのあまりに加虐的な表情に怖気がたったかもしれない。そう思わせるほど、老人の表情は狂気的なものだった。 「ふふ。あとは皆と落ち合うのみだ。今度こそ……逃がさん」 老人は狂信的な光を宿した瞳でファゼイオが指し示した方角を眺めやり、痰の絡んだ咳を繰り返しながらそう呟くと、足早に皆との集合場所へと向かって行った。 |
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