蒼き花 散りて星 |
〜 星生まれの咏 〜
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「アスレイーン」 名を呼ばれて、アスレインはふと我に返った。 張り詰めた気持ちを緩ませるように深く息を吐き出してから、そっと顔をあげてみると、ファゼイオが明るい笑顔でこちらに手を振っているのが見えた。 腕試しの試合にはファゼイオが勝ったのだろう。彼の嬉しそうな表情と、対峙していたディーンが苦笑を浮かべながら木刀を拾い上げていたことで、試合を見ていなかったアスレインにもそうと分かる。 けれども、駆け寄って行ってそれを祝すには、まだ気持ちの立て直しが出来なかった。 「……驚いた。俺を負かす子供がいるなんてな」 一見動きにくそうな裾長の上着を羽織り、ディーンは軽く両手を広げてみせる。彼がファゼイオの得物を叩き落そうとしたところを、逆に絡め取られてしまったのだ。 それはファゼイオが意識的にやったと言うよりは偶然性の強い、まぐれともいえる動きだったけれど、それでも勝ちは勝ちだ。 ファゼイオは胸を張るように、にっと笑った。 「ふんっ。そんなふうに相手が子供だなんて思ってなめてかかるから負けるんだぜ。それに俺は子供じゃない。もう十七歳だからな」 そう言ってくるりと後ろを向くと、叔父の手から紅玉石の胸飾りをひょいっと取る。 「叔父さん、賞品もらうぜ」 「……まったく。仕方ない。約束は約束だ」 大陸を歩き回っている自分でもなかなか手に入らない宝飾を無造作に扱う甥っ子に、ゼンは苦笑に似た笑みを浮かべ、からかうようにその額をおもいっきり小突いてやった。 「で、それはアスレインちゃんにあげるのかな?」 「彼女以外には似合わないからなっ」 恥ずかしげもなくそう断言すると、ファゼイオはアスレインのもとへと走っていく。 あまりに気恥ずかしいこと堂々と言われたので、聞いていたゼンの方が照れてしまったほどだ。 彼女自身を前にしなければ、どんな言葉も素直に言えるらしい。ゼンはくすりと笑って、甥っ子の健闘を祈るように、そのうしろ姿を見送った。 「はい、これ。アスレインにやるよ」 叔父の前とは打って変わって照れを隠すように茄子色の髪を無造作に掻きながら、ファゼイオは胸飾りを幼なじみの少女に手渡した。金色の台に花をかたどるように散りばめられた緋の石が、陽の光に反射して深い煌きを放ち、まるで太陽の欠片のようにさえ見える。 「ありがとう。綺麗だし、可愛いねぇ。これ」 水伯の言葉で冷えていた心を癒すように、アスレインは無理やり笑顔をつくる。そうでもしなければ不安で不安で。心が押し潰されてしまいそうだった。 「うん。可愛い」 そうとは知らないファゼイオは僅かに頬を赤らめ、口許をほころばせた。 本当はアスレインの笑顔の方が胸飾りよりも可愛いと思ったけれど、そればかりは恥ずかしくて口には出せなかった。 「強いんだね、ファゼイオ」 アスレインはにこりと蒼い目を笑ませてファゼイオを見やると、試合を見ていなかったことを隠すようにそう言った。 ファゼイオは子供のように瞳を輝かせ、嬉しそうに笑った。 「まあな。さっきのは、ちょっとまぐれくさかったけどさ。でも俺はいつか世界一強くなるんだ。それでな、どっかに『 「……クニってなあに?」 アスレインの瞳がきょとんと丸くなる。国家というものがなんなのか、彼女にはわからなかった。 人の世が創られてから百年。国という秩序や概念は、生まれたばかりのこの世界にはまだ存在していなかったのだから。 「国っていうのは、町がいーっぱい集まったやつだよ。去年の降臨祭でさ、水伯様がおっしゃっていたんだ。人が多くなれば自然と国というものが出来るだろうって。国はそれを動かす人間によって、人を守る盾にもなり、そして殺す武器にもなる……ってさ。だから、俺は盾になるような国を造りたいと思ったんだ。どうせ国ってやつが出来るんなら、その方がいいだろ」 ファゼイオは顔いっぱいに笑顔を広げ、遠くを見るような瞳でそう言った。 水伯は時折、神殿を訪れた者に対して姿をあらわし話をすることがある。 それがどういった基準で為されているものなのか。女神官たちには分からなかったけれど、かの神はこう言っていたことがあった。 ―― まだ出来たばかりのこの人世を育てていくために、人にはそれぞれ役目が与えられているのだと。 もしかすると、その中でも特に大きな役目を持った者に声をかけているのかもしれない。 国家というものの話を聞いた時、ファゼイオは全身に電気が走るような感覚を覚えたものだった。それを自分が造ってみたい。純粋で、そしてとても大きな、それは 「……夢なんて、見るだけ無駄だよ」 アスレインは拗ねたように言った。ファゼイオの夢が素敵だなと思う反面、やはり夢など見るものではないという気持ちは自然と沸き上がってくる。 それは、ほとんど習慣的な思考だった。 「…………」 ファゼイオは一瞬きょとんとアスレインを見つめ、そして柔らかな笑顔を作った。何故彼女がそんな事を言うのか、おおよその見当は付く。 海の遥か向こう。他大陸との交流を夢見て海に挑んでいたアスレインの両親が、造船中に事故に遭い夢を諦めざるを得なくなったことも。そして失意のうちに没したこともファゼイオは知っていた。 彼女の両親の心が弱かったとは思わない。けれども、夢を見ることを諦めさえしなければ、今もきっと元気に生きて、アスレインも幸せなままだったはずだ……とは思う。 「アスレインさあ、親父さん達のことを振り切るのに夢を否定するのは逆効果だよ。夢は人間にとって大事なものだと思うぜ。大きくても小さくても、夢を持っているだけで生きることに張り合いが出てくんだよ。確かに親父さんたちが亡くなったのは、その夢のせいかもしれない。でもさ、俺、アスレインの親父さんたちが夢に向かって動いてた姿、今でも覚えてるぞ。憧れだったからな」 ファゼイオは焦茶の瞳を片方だけ閉じ、いたずらな笑みをつくると、アスレインの肩を軽く叩いた。 「だからさ、アスレインももう一度夢を信じてみろよ」 「……ファゼイオも、ユライアと同じようなことを言うんだね。ユライアは、人は夢がなければ生きられないって、いつも言うよ」 そう言って、アスレインはふわりと笑った。 夢を見続けることは確かに難しいかもしれない。けれども、夢を見ているとき人は幸せでいられるから。そして夢を現実にする強さを、人は持っているから。諦めずに夢を見ていよう ―― 。 そう自分にやさしく言い聞かせるように微笑むユライアの表情が、ふと瞼の裏に思い描かれる。 とても寂しそうに……けれどもどこまでも優しく、心の傷を癒すように包み込んでくれる、ユライアの静かな静かな薄紫の瞳。 「…………」 ファゼイオは、幸福そうにユライアのことを話すアスレインを見て、ある種の嫉妬に駆られていた。 彼は気が付いたのだ。ずっと『夢』を否定してきた彼女が、今、夢をその胸に育んでいるということを。 それは、ほんの小さな夢にすぎないかもしれない。けれども人にとっては欠かせない……そして最も得難い、暖かな愛という名の夢 ―― 。 ファゼイオは一瞬迷ったように視線を遊ばせ、そしてアスレインの瞳を覗き込んだ。 「あのさ、アスレインにとってあいつ……ユライアってどういう存在なんだ?」 緊張を隠したように、さばけた口調でファゼイオは思い切ってそう尋ねる。 アスレインの表情がふっと強張った。 「……どうしてそんなこと訊くの?」 「いや……三年も一緒にいるし。だからよっぽど気が合うのかな……なんてさ」 しどろもどろにファゼイオはそう応えた。自分が嫉妬しているということだけは、知られたくなかった。 アスレインはほうっと息をつくと、何事かを考えるように瞳を閉じた。そして再び目をあけると、自分の金色の髪を軽く指に絡め、いたずらな笑みをその瞳に宿した。 「そうね。『お母さん』ってところかな」 本当はもっと違うことが言いたいのだけれども、未だに自分の気持ちがよく分からない。だから、わざと無邪気に笑ってみせた。冗談のように、そういう答えしか言えなかった。 「おか……さん!? それはちょっと、あいつが可哀相じゃないか? ユライアってまだ二十代だろ? しかも男だぞ」 「うん。今年で二十五歳だって言ってたよ」 にこっと、アスレインは罪のない笑みをつくる。 「でも、一緒にいると安心するもの。無条件で守ってくれる……っていうのかな。ユライア優しいから。お母さんじゃないとしたら、『自然』かもしれない」 空を翔ける風。潤いもたらす水。安らぎの草原や森林。あらゆる優しい自然たち ―― 。 「…………」 かなわない。瞬間、ファゼイオそう思った。今日こそアスレインに自分の気持ちを告げるつもりだったのに、そんな言葉を聞いてしまえばもう、言えそうにはなかった。 幼馴染みとしてずっと一緒にいた自分が、ほんの三年前に、ふらりと現れたユライアにこんなにも『存在』で負けているのだ。 ユライアが憎らしいとも思う。けれどもそれが自分の力不足なのだと、今のアスレインの表情から納得するしかなかった。 「ねえ、ファゼイオ。自然がなくなっちゃったら、人ってどうなるのかな」 水伯に言われた言葉が脳裏によみがえり、アスレインはぽつりと呟いた。ユライアがいなくなったら、自分はどう思うのだろう? ユライアのいない自分というものを想像するのが怖くて、アスレインはファゼイオにそう尋いた。 「そりゃ……生きていけないんじゃないかな」 突然の質問に、ファゼイオは思わず真正直に応えてしまう。 「…………」 アスレインは軽くうつむくと、今にも泣き出しそうな微笑を頬に刻んだ。 ―― まずった! ファゼイオは瞬間的にそう感じた。自分の無神経さが腹立たしく思えてくる。『ユライア』を『自然』だと、彼女は今そう言ったばかりではないか! 「で、でもさ、自然がなくなることなんて、絶対にないと思うぜ」 くしゃっと少女の金の髪を軽くかきまわし、ファゼイオは笑ってみせる。 彼女と水伯の会話を知らないファゼイオは、アスレインが今そこに在るものまでも否定しようとしているのだと、そう思った。それだけは、させたくない ―― 。 だからファゼイオはいつもより幾分語気も強く、そう断言してみせる。 そんな幼馴染みのぶっきらぼうな優しさに、アスレインの瞳がちょっとだけ笑みを取り戻す。 「うん。……そうだね」 「そうさ」 ファゼイオは気を取り直させるようにあざやかな笑顔を浮かべて見せると、アスレインの背中を軽くぽんと押して歩きだした。 緩やかな坂道をのぼった向こうに、きらきらと太陽の光を浴びて輝く総硝子張りの優雅な建物が見える。それは『水伯宮』の中心、水の神殿と呼ばれる建物で、水伯が住んでいるといわれる場所だった。 昨年の降臨祭のときファゼイオはそこで水伯に会い、『国家』の話を聞くことができたのだ。もし再び会えたなら、今度はアスレインを元気付けてやってほしい。そう思った。 「ごめん、ファゼイオ。私もう帰るね」 あの建物の中に水伯がいる。そう思うと、アスレインの足は竦んだ。 それに……急に胸騒ぎがした。ユライアがどこかに行ってしまう。そんな不安が、強く心に沸き上がった。その恐怖は、ユライアの姿を見るまでは消えそうになかった。 「ごめんね!」 そう叫ぶと、アスレインはファゼイオの 「…………」 ファゼイオは引き止めようと手を伸ばし、そして、諦めたように溜息を吐いた。 小さくなっていくアスレインの姿を見送りながら、不甲斐ない自分に腹が立ったように地面を強く蹴り、ファゼイオはやるせなさそうに天を見上げていた。 |
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