いっせいに、三人の視線が驚きとともに緋炎を見やり、そして反対側の碧焔にそそがれる。 「こいつが出る……のか?」 クォーレスは不満そうに、隣に座る碧衣の青年を見据えた。 初めから出陣する者が決まっているなど今までに一度もないことだった。誰が戦に出て、誰が国内の情勢を糺すのか。それは常に協議の上で決めてきたことなのである。それをあえて無視するように碧焔が指名されたことはすぐには納得がいかなかった。 「…………」 周囲の視線にさらされながら、ユーシスレイアはしばらく無言のままだった。軽く円卓の上で組んだ両手に額を載せるよう目を閉じ、そうして再び白金の瞳を開く。 「それは、リュバサ攻略に関して、すべておれの采配に任せるということか?」 「無論。五騎士はすべて己の判断で行動をする。他の誰の干渉も受けんよ」 緋炎はにやりと口元を笑ませた。自分はいちおう五人の中で主座ではあるが、それは便宜上のことだ。実際には五騎士の立場に上下など無い。他の者に意見をすることはあっても、決して干渉はしない。それは暗黙の了解といってもいい。 「……碧焔が出るのはいいとしても、『国王が逃げ込んだリュバサ』とはどういうことなのかな、緋炎? 私たちにも分かるように説明して欲しいね」 翠色の瞳を穏やかに細めて、橙炎は軽く首を傾けた。 自分たちが行方知れずだと思っていたカスティナ国王の、現在の居場所を知っているふうなルーヴェスタの言葉がとても興味深かった。リュバサといえば、確かカスティナの王都シェスタから程近いアリナス山麓にある大きな湖の名前ではなかったろうか? 「リュバサの湖底には、街がある。小王都と言っても良いような立派な街らしい。そこにカスティナの王は逃げ込んだのだよ」 「 ―― !?」 橙・白・紫の三人は信じがたい事実に顔を見あわせ、そして驚愕の視線を再び緋炎に向けた。湖の底に街が在るなどと誰が思うだろうか。いや。そんな街の存在が人の技術で可能なのかどうかも疑わしい。 「それは確かなのかよ、緋炎? 俺はアリナスの方にも遠征したけどさ、そんな気配どこにもなかったぞ。まさか湖の中に飛び込んで見なきゃ分からないとでも言うのか?」 白炎は長く伸びた白い髪をうしろに払い除けながら、じっとルーヴェスタの琥珀の瞳を見やる。彼が嘘を吐いているとは思わないが、あまりに突拍子もない話だと思った。 「湖にもぐっても、何も見えはせんよ。街への入り口は他にある。……これはカレンからの情報だ。間違いはなかろう」 ちらりと。誰にも気付かれないほどさりげなくユーシスレイアを見やる。カレンに……否、皇帝にその情報を与えたのは、おそらくこの碧焔なのだろうとルーヴェスタは思っていた。 「カレン、か」 深く呼吸をするように、白炎はその名を反芻してみせる。 カレン=ダルティニス。聡明で、物腰柔らかな麗人。常に皇帝エルレアの傍に居て補佐をしている忠実な側近の名前である。その容貌の美しさに皇帝の『寵姫』だと言われることもあるが、何かと有能な腹心であることは確かだった。 ただ、カレンにはひとつ厄介な点があった。それが、白炎の複雑な表情の原因でもある。 それは ―― カレンが『人』ではないということ。人間とは異なる強い力を持ち……けれども遥か昔にこの大地から消え失せたはずの、『魔族』と呼ばれる存在。 エルレアによって魔界の封印がとかれるずっと以前より、カレンがこのラーカディアストの地に居たことから、おそらくその中で最も強力な種族といわれる『生粋の冥貴人』であろうというのが、緋炎や橙炎の一致した見解だった。 もちろん、そんな事実を知っているのは皇帝と炎彩五騎士だけだ。他の人間たちの目には、カレンは美しい"姫君"としか映っていなかったのだから ―― 。 どうして魔族であるカレンがラーカディアストの皇帝に忠誠を誓っているのか。その理由は本人たち以外にわかることではない。ゆえに、五騎士は最初からカレンを信用していたわけではなかった。 カレンが『魔界の封印を解き、魔をラーカディアストに従わせよう』と皇帝に献言したとき、炎彩五騎士は即座に反対したものだった。魔などにしゃしゃり出られて自分たちの戦いの場が減るのは好ましくなかったし、それに何よりカレンの狙いが魔界の封印を解くことにあると感じたからだ。 遥か昔に人間の手によって施された封印は、同じく『人』でなければ解くことは出来ない。そんなことに自国の皇帝が利用されるというのは、五騎士としては嬉しくなかった。 しかし、皇帝はその言を受け入れた。そして、封印を解いたあと急変するだろうと思われたカレンの態度は相変わらずで、皇帝への忠実さに少しの変化もなかった。それで彼らはいささか、カレンという人物を掴みかねていたのである。 「カレンは信用に値すると、そう思うんですね?」 紫炎ラディカは確かめるように問うた。五騎士の主座である緋炎の判断を信頼している。彼が信じるというのであれば、自分もそれを支持しようとラディカはそう思っていた。 「ああ。あの者は陛下の不利になるようなことはせんよ。決して、な」 自信ありげにルーヴェスタは応え、ふと笑むように口端を吊り上げる。その琥珀の瞳が強い意志を示すのを見て、紫炎は納得したように小さく頷いた。皇帝エルレアとカレン。双方の関係について、緋炎は何か知っているのかもしれない。 「……緋炎がそう言うのであれば、僕もカレンを信じましょう。カスティナの王は、リュバサの湖底都市にいる。そういうことですね」 あざやかな戦意を紫の瞳に浮かべ、紫炎は窓の外を見やった。そこからは王宮の中庭にある小さな泉が滾々と水を湧き出している様子が良く見えた。 「カレンの情報だっていうのは分かった。俺も別にあいつが嫌いなわけじゃない。信じてやってもいい。でも、なんで出るのが碧焔って決まってるんだよ?」 リュバサの湖底都市などという前代未聞の街を攻略するならば自分も出たい。それは五騎士共通の思いだ。問われた方の緋炎でさえも、そう思わないではない。 けれどもこれは、皇帝じきじきの指名だった。 「仕方あるまい。エルレア陛下のご指示だ。『碧焔の騎士』復活と、ラーカディアストが再び本気で動きはじめたことを世界に喧伝するための まさか、碧焔がもとはカスティナの将だからリュバサの内情を詳しく知っているとは正体を隠している手前言えず、ルーヴェスタは適当にそう言った。 「陛下のお考えなら、仕方がないね。今回は碧焔に花を持たせてあげるよ。……まあ、私は久しぶりに実家の領地にでも帰って、のんびりさせてもらおうかな」 穏やかそうな翠色の、すこし目尻の下がった優しい瞳をゆるやかに細め、橙炎は軽く伸びをするように両手を広げてみせる。 強大な権力のもとに好き勝手やっているように見える炎彩五騎士だが、皇帝のことばに逆らうことはほとんどなかった。皇帝に匹敵する地位と権力を持ちながら……いや、持っているからこそ、彼らはエルレアを敬愛し、また信頼もしていた。 「確かに 紫炎は慎重に言葉を選ぶように言いながら、じっと碧焔の顔を見やる。それをやる自信がおまえにあるのかと、無言の問いかけをしているようだった。 なにせ碧焔の実力を判断する材料が少なすぎるのだ。あるのは、緋炎の推挙で五騎士になったという事実くらいだ。それだけでは諸手を挙げて賛成するとはさすがに言えない。 ユーシスレイアは溜息混じりにルーヴェスタへと顔を向けた。 「準備期間は、どの程度もらえるんだ?」 「特に決まってはいない。だが……まあ、作戦立案・兵の調練・補充もかねて、ひと月以内というところが無難な線であろうな」 「……ひと月か。なんとか間に合うといったところだな」 ユーシスレイアは苦笑に近い笑みを浮かべた。 かつて西大陸連盟軍を率いる将として自国以外の、多国籍であまり協調性のない軍を束ねたこともあった。そのときは、自分の手足のように動く直属の部隊がいたけれど ―― 。 まだ碧焔直属の人事すらまともに終えていない今、慣れない軍を率いて一ヶ月足らずで実戦までもっていくのかと思うとさすがに厳しい気もするが、出来ないということはあるまい。 「そんなに帝国軍には人材が少ないかい? 碧焔の目にかなう者が一人も居ないほどに」 柔らかそうな紅茶色の髪を軽くかきあげながら、ミレザは可笑しそうに碧衣の青年を眺めた。 彼が新たに碧焔の騎士となって既に一ヶ月あまりが経つ。しかし未だに幕僚さえ定めていないということは周知の事実だった。 時折、彼が兵舎や官舎などに出入りしているらしいという報告は部下から受けていたけれども。一向に人事が進んでいる気配はなかった。 「ふ……ん。そういうわけではない。大体のところを見てから、最終的な判断をしたかっただけだ。もう数名はリストアップしてある」 口許だけをわずかに笑ませて、碧焔は淡々とそう告げる。 「だが、そう悠々と構えているわけにもいかなくなったようだな。悪いが、今日はこれで下がらせてもらう。リュバサ攻略の準備に入りたい」 やおら椅子から立ち上がり、ユーシスレイアはそのまま部屋から出て行こうとする。 しかし、ふと、途中で何かに気付いたように緋炎を振り返った。 「ひとつ確認したい。リュバサを陥落させたあと、帝国は湖底都市を使うのか? それとも単に町を落とし、国王フィスカを捕らえることだけが目的か?」 「その返答によっては出陣を断るか? 五騎士には出陣を拒む権利もあるからな。まあ、行使する物好きはいないが」 ルーヴェスタは軽く笑いながら視線を皆に巡らせた。もしユーシスレイアが旧主の攻撃をためらい出陣を拒むのであれば、ここにはそれを喜ぶ人間しかいないだろう。 「何故こばむ必要がある? ただ、目的によっては町を攻撃する手順が変わってくるから聞いただけのことだ。他意はない」 ぱらぱらと額に落ちかかる銀色の髪をかきあげながら、ユーシスレイアは鋭い笑みを口許に佩いた。 見たものすべてを射抜くように閃く白金の瞳の強烈な眼光に、四人は不本意ながらも思わず見惚れた。この男を緋炎が強く推し、そして皇帝も認めた理由。その一端が他の三人にも分かったような気がする。 それは闘うことの強さだけではない。狂気と、戦意と、激しい憎哀。それらをない混ぜにした強烈な意志。この男のそれは、確かに炎彩五騎士の名に相応しいものだ ―― 。 「湖底都市は、帝国が使う」 緋炎はそんなユーシスレイアに満足げな笑みを浮かべ、そう応えた。彼が元の主君であるカスティナの国王を、ためらいもなく『フィスカ』と名で呼び捨てたことも小気味よかった。 「そうか……。面倒な方だな。まあいい。それを前提とした策を立てよう」 「どっちにしても、碧焔の軍はまだ調練途中だろ。俺の精鋭『 銀灰の瞳にふっと真剣さを帯びて、クォーレスは立ち去ろうとする青年に声をかけた。 正規の軍のほかに、みずから編成した直属の私軍を五騎士はそれぞれ持っている。その絶対数は少ないが、五騎士が自ら仕込んだだけのことはあり、かなり腕が立つ優秀な者たちだ。 その私軍の協力投入を、白炎は提言したのである。 「干渉するわけじゃないぞ。もちろん、現地では碧焔の指示を最優先させる」 どこか拗ねたような、しかし鋭い戦意をうかがわせる強い表情を浮かべ、クォーレスは言う。 どうしても、リュバサ攻略に加わりたかった。 国王が逃げ込んだというその街には、カスティナの軍神と謳われる"あの男"もいるに違いないのだ。そう思うと、このまま黙って本国に留まることを了承するなど出来なかった。 「…………」 ユーシスレイアは振り向きもせず、ちらりと、視線だけで白炎を見やった。 「じゃあ、部隊だけ借りて行こうか」 「冗談っ! 光嵐は俺の指示じゃなければ動かないさ」 まったく話にならないと、白炎は頭を振った。自分が一緒に行かなければ『ゼアの仇』にまみえることが出来ないではないか。それでは何も意味がないのだ。 「なら、必要ない」 きっぱりとユーシスレイアは白炎の言い分を却下する。そして、もう見向きもせずに今度こそ部屋を出て行った。 「……ったく、腹のたつ奴だよ」 クォーレスは苛立たしげに床を蹴った。 申し出を断られたことにも腹が立ったが、それよりも自分に対するあの男の態度が更に苛立たしい。 何故だか知らないけれど、碧焔は特に自分に対して容赦がないと白炎は思う。緋炎や橙炎などと話をするときは、もう少し穏やかに接しているというのに。 「絶対あいつ、俺のこと嫌いだよな。俺が何したっていうんだよ。ったく」 考えれば考えるほどに腹立たしくなって、白炎はガンッと、隣の椅子を蹴飛ばした。 「まあまあ、シロ。……彼は"碧炎"ではないんだよ?」 「……っ!? そんなこと、おまえに言われなくたって分かってるんだよ! あんな性格悪いヤツとゼアを一緒くたにすんな、馬鹿」 むっと口を真一文字に引き結び、クォーレスは橙炎を睨みつける。 「そうか。それは悪かったね」 にこりと。ミレザは駄々っ子をなだめるように軽く笑った。 「まあ、とりあえず、いまは彼のお手並み拝見というところかな。協力を要請してくれれば、喜んで手助けするんだけれどね」 穏やかな口調で言いながら、橙炎ミレザは腰に佩いた愛用の鞭に手をかける。不意に、普段からは想像できないような……怖しいほどに優しい狂気の笑みが彼の口元を彩った。 彼は戦場で剣も槍も持たない。この鞭のみで敵を屠る。ひと振りで敵将の首三つを落としたという伝説的な経歴さえ持っているほどだ。 戦場で戦うこと。敵を倒すこと。それはミレザにとって、何よりも楽しい快楽だった。 「有り得そうにないですね。さっきの白炎への返答をみても」 危険な笑みを宿した橙炎にそう水を浴びせかけてから、紫炎は、どちらにしてもまた自分は出陣できないのかと深い溜息を吐く。 橙炎は極端にすぎるが、五騎士の中で戦いを厭う者は誰一人いなかった。 「そんなに戦いたいなら、その辺の小国攻略にでも加わってみるか? 紫炎」 前回のカスティナ戦で帝都守備に残されたことがよほど不満だったのだろう。あからさまに出陣したがっている紫炎の様子が可笑しくて、ルーヴェスタはくっくっと笑いながら金髪の青年をからかった。 「……弱い敵は嫌いです。僕の翠珠槍が可哀相じゃないですか」 愛用している槍の銘を溜息交じりに呼びながら、紫炎はふうっと肩を落とした。 世界でも希少な翠の黒曜石で作られたその穂先は、エルレアから賜った紫炎の宝だ。それを、弱い敵あいてなんかに対して使いたくはないというのがラディカの本音だった。 「ならば、我慢するのだな」 黒豹のような琥珀の瞳を紫炎に向け、ルーヴェスタは楽しげにそう諭す。そして、自分の大剣をひょいと背負うと、本日の五騎士会議を終了させ、すたすたと部屋から出て行った。 |
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