▲ 第4章-------<2>----------------▼
レミュールの空へと戻ろうとしている蒼月が、青く澄んだ空と色を失った大地の狭間で白く揺らめいていた。
もともと存在していた古月以外のすべての月を排除することで、カイルシアの魔力からこの惑星を解放し、自転を再開させようという彼らの計画が、流月の塔で着々と進められている。
ティアレイルとセファレットは蒼月の軌道を確定させるべく魔術を行使し、ショーレンやルフィア、そしてアスカは慎重にコンピューターに挑んでいた。
イファルディーナのメインコンピューターを塔のコンピューターにリンクさせ、そこから水晶の思考を司るプログラムに侵入して支配してしまおうというのだった。
その上で、カイルシアの魔力を高める塔のプログラムをすべて消去する。それが科学派である彼らの役目だった。
黒水晶の魔力とコンピューターの相互干渉に少しでも異変があれば、強制的に閃光が発動されてしまう。
しかし、その干渉と同じ『力』を作り出すよう造り替えたイファルディーナの動力部を使い、本物と少しも変わらない『偽』の干渉を黒水晶に与えてやればいい。
危惧を示した仲間たちに、ショーレンはそう嘯いた。
ルフィアにイファルディーナの動力部を改造してもらい、そして自分はそのためのプログラムを昨日徹夜で組み立てたのだ。失敗することなど、思いもつかない。
実力に裏づけされた大きな自信が、ショーレンの意志の強い双眸に閃いていた。
ただひとつ、心配事もあった。
イファルディーナと塔のコンピューターを接続させる際、どうしても塔のシステムがほんの一瞬だけダウンしてしまうのだ。その僅かな時間は、黒水晶への力干渉も途切れることになる。それが、強制閃光を誘発する危険性がある ―― 。
けれどもショーレンは様々な状況を想定し、そして幾度も試算や演算をした結果それはないと判断した。
それどころか、システムダウンを逆手に取ることを思いついた。
瞬きする間もない、コンマ一秒にさえ満たない僅かな空白の時間。システムダウンするほんの一瞬間に、水晶に対する力干渉を本物から偽物へとすりかえる。
そのうえで、黒水晶を塔のコンピューターから隔離し、魔力を発動させるプログラムなど何もないイファルディーナへ移すというのが、彼の計画だった。
一瞬途切れた『力』が再び水晶に干渉を与え始める時、カイルシアの魔力は、与えられるコンピューターの干渉が今までと違う偽物なのだと気付くことはないだろう。
ショーレンは自信ありげにそう言った。
そしてその言葉どおりに、彼は難なくそれらのすべてをクリアしていた。
流月の塔から、イファルディーナという別なものが作り出す空間へと移されたにもかかわらず、黒水晶の魔力が異変を察知して閃光を発動することはなく、今までどおりそこに在り続けている。
ショーレンとルフィアは顔を見合わせ、嬉しそうに笑みをかわすと、互いの右手をぱんっと弾いた。
あとは、塔のコンピューターのプログラムすべてを消去すれば完了だ。
「さすが科技研でコントロールタワーを預かってるだけのことはあるよな。見事だねぇ」
友人の鮮やかな手際に、アスカは感心したように短く口笛を吹いた。
信頼していたからこそ誰もショーレンの提案に反対しなかったのだが、やはりその成功をみれば嬉しくもなる。
「カイルシアの魔力の結晶といったって、それを動かす『思考』がなければ、ただ強いだけの力だからな。あとの始末は魔術者でどうとでもしろよ」
ショーレンはにやりと笑ってアスカを見やる。
「ただ強いだけ、ねえ。まあそれもショーレンくんの腕しだいだよな。頑張ってあいつの魔力を増長させる厄介な科学を取り除いてくれよ」
アスカは大仰に両手を広げ、笑った。
こんな時でも軽口をたたきながら余裕に構えていられるというのは、この二人の凄いところかもしれない。
「黙って待ってな。すぐ終わらせるから」
自信たっぷりという口調で、ショーレンはあざやかな笑みを刻んだ。
「ねえ、それより蒼月の軌道は? アスカくん、こっちに居ていいの?」
ルフィアは隣で悠々と笑っているアスカに楽しげな笑みを向けて、そう訊いた。
魔術研所属であるはずのアスカはずっと自分たち科技研組を手伝っており、蒼月の軌道を定めるのに協力している様子はまったくないのである。
「おまえって、入る研究所を間違えたよな」
ショーレンも手は休めず横目で友人を見やり、くすくすと笑った。
「あいつらの魔力は系統が似てるからいいけど、まったく違う俺が入ったら、魔力の方向性を攪乱しちゃうだけだからな。これでいいんだよ」
アスカは科技研の友人達にしゃあしゃあとした笑顔でそう応じる。
そうして、精神を集中させるように窓際で静かに瞳を閉じているティアレイルとセファレットに視線を向けた。
「 ―― !?」
ふっと、ティアレイルの翡翠の瞳が見開かれた。
ゆっくりと背後を振り返り、吹き抜けの天井に顔を向ける。まるで鋭い刃のように、ティアレイルの瞳が黒水晶の浮かぶ空間を睨み据えていた。
今までにないほど強く、誰かの視線と気配がそこには在った。
見上げた先には誰の姿もない。けれど、睨むような……哀しむような複雑な感情を宿した白色の瞳が、確かにこちらを見ているように思えた。
―― カイルシアだ。
そう、ティアレイルは思った。
レミュールで古月之伝承を聞いたあの時、自分の中に入ってきた異物感と同じ感覚が、黒水晶の浮かぶ空間から発せられていた。
圧倒的なカイルシアの『意識』。しかし肉体を持たぬ意識は、それだけでは塵一つ動かすことも出来ない存在だった。だからこそ、あの時はティアレイルの身体を使ってその意思を示したのだ。そして今は ―― 。
「……カイルシアがいる」
ティアレイルは警戒するように、短くそう告げる。その言葉に、皆が凍りついたように天井を見上げた。
「今までカイルシアの魔力の結晶があっただけだったのに……」
セファレットは息を呑んだ。確かに、彼女にも感じられたのだ。今までなかった存在が、そこに生じているのを。
「迂闊だった」
きつく噛みしめた歯が唇を破り、ひとすじの真紅の流れをつくる。それを拭おうともせずに、ティアレイルは悔しげに頬を歪めた。
「私がカイルシアをレミュールから連れてきたのかもしれない。あの時……カイルシアが私の内に入り込んだ時から、おそらくそのまま潜んでいたんだ」
カイルシアの言葉を皆に伝えたのも自分なら、彼の意識をこうしてアルファーダに連れてきたのも自分なのだ。
そう思うと、ティアレイルは自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。
ただ、ティアレイルに入ったことはカイルシアにとっては大きな失敗だったろう。
確かにあの時のティアレイルはひどく負傷して弱っていたために、入りやすい状態にあったのかもしれない。
けれども怪我を癒し、体力を取り戻したあとは、魔術派の象徴と謳われる強大な魔力が彼の内に満ち溢れ、『異物』であるカイルシアの意識などは拘束され、自由がきかなかったに違いないのだから。
しかし今、ティアレイルは蒼月の軌道を動かすという大きな術を使ったため疲労している。まして、カイルシアは己の魔力の結晶を前にしているのだ。
だからこそ、ようやくカイルシアはティアレイルの内から抜け、再び彼らの前にその存在を現すことが出来た。
イディアを。否、今はこのレミュールの『裏切り者たち』を止めるという、新たな目的を果たすために ―― 。
「レミュールを滅ぼすわけじゃないだろうが。自転を再開させるんだ。とやかく言われることはないし、言われたくもないぜ」
アスカはわずかに唇端をつりあげ、水晶の浮かぶ天井を睨み付けた。
以前ならば、レミュールの創世主と信じていた『カイルシア』に対し、それなりの畏怖も敬意も持っていただろう。けれども、今回のことで皆カイルシアに対する敬意などは綺麗さっぱりと失せていた。
ただただ自分たちの行く手を遮り世界を滅ぼそうとする仇でも見るように、嫌悪の眼差しさえも、その瞳には浮かんでいる。
ふいに、黒水晶が異様な輝きを増した。
魔力の思考を司っていたプログラムは既にない。それなのに今までどおり、否、今まで以上の意思が水晶に漲っている。
まるで『閃光』を発動させようとしているかのように、左京や小夜が消えた時と同様の不快な……恐ろしい感覚が周囲に満ち溢れていた。
「どうして西側世界を犠牲にすることにこだわるのよ? 他に方法があるんだから、それでいいじゃない!」
ルフィアは左右色違いの瞳に激しい炎を宿し、姿は見えないカイルシアに向かって必死に叫んだ。
≪それは……危険すぎる賭だ……≫
ふうわりと、黒水晶から生じる光が人影を形づくり、静かな言葉を発した。今までは強大な魔力が結晶された、ただの無機物だった水晶が、今はまるでカイルシアそのものになったように躍動する。
「カイルシアの意識と魔力がひとつになった……のか?」
アスカは表情を強張らせ、茫然と呟いた。これでは、今までショーレンたちがやったことはすべて無駄になる。
せっかく魔力を発動させる『意志(』を止めたというのに、まさか本人の意志が働いてしまうとは ―― 。
≪……危険な賭けをするよりも、確実に東側が生存する方法を私は選ぶ≫
血の為せる業なのか、それはロナとよく似た、引き込まれるような口調だった。
だが、それに同調する人間がこの中にいるはずもない。
彼らは互いに緊迫した視線を交わしあった。
発動されるかもしれない黒水晶の魔力にどう対応すればいいか分からない。けれども、それをさせるわけにもいかなかった。
「とうに死んだ人間が、口を出すんじゃないっ! 選ぶのはおまえではなく、いま生きている俺たちだろうが」
ショーレンの意思の強さを伺わせる藍い瞳が腹立たしげに揺れる。うんざりするような押しつけだと、豪放にもショーレンは言い放った。
≪……………≫
それに対し、カイルシアは言葉を返さなかった。その代わり、黒水晶の輝きが一気に膨れ上がる。
実力行使ということなのだろうか? 眩い閃光を発しながら塔の天辺に浮かぶカイルシアの魔力が不気味な音を立てて揺らめいた。
「怒らせてどうするのよ、ショーレンさん!」
セファレットの金糸の髪が風を孕んで宙に舞い上がる。愛らしいすみれ色の瞳はその『魔力(』を抑えようと、きらめく刃に変化した。
≪おまえたちに私の魔力は抑えられない。無駄なことはするものじゃない≫
セファレットの抵抗に一瞬怯んだかに見えたカイルシアの魔力が、再び強さを増して宙に閃いた。
伝承当時、最強の魔術者と謳われただけのことはある。魔力を強める科学の力を取り除いた今も、カイルシアの力は強く、そう簡単に太刀打ちできるようなものではないようだった。
「なに言ってんだよ。止めなきゃ俺たちだって死ぬだろうが! そんなのまっぴらごめんなんだよ」
アスカは鋭い舌打ちをすると、セファレットに加勢するように水晶の周囲に結界を張った。この死をもたらす閃光を、再びアルファーダに広げるわけにはいかなかった。
イディアに、塔の魔力は発動させないと自分たちは約束したのだ。
「あなたが守るべき家族も仲間も今はいない。何故、まだこの世界にこだわる!?」
ティアレイルは氷で鍛えた刀剣のように怜悧な視線でカイルシアを睨み据えた。
彼の身体から、髪と同じ蒼銀の輝きがゆらゆらとほとばしり、セファレットやアスカとともに『閃光』が西側世界に広がるのを食い止めるように塔全体を包み込む。
≪東側の人間を殺したくはない……≫
「ちっ、狂人が!」
ショーレンは短くそう吐き捨てると、コンピューターに手を伸ばした。今までとは反対の、魔力を減じさせるプログラムがつくれれば……そう思った。
ルフィアもそれに加勢する。
しかしカイルシアを抑えている三人の魔力が、そう長く保つとは思えなかった。とくに、蒼月の軌道をも同時に動かしているティアレイルの消耗が著しかった。
「……っ!!」
危険信号が点滅するように、ティアレイルの脳裏に鈍い痛みが走る。
それを実証するように、ティアレイルの柔らかな蒼銀の輝きを持つ結界に亀裂が入り、次いでセファレットとアスカの結界にも綻びが生じた。
そして ―― カイルシアの魔力はその綻びを見逃すことはなく、爆発するような勢いで天に向かって広がりを見せた。
すべての生命を貪る死の閃光が、まるで翼竜のように頭をもたげ、天地を駆け抜けようとこの世に生まれ落ちるのをはっきりと感じ、五人は蒼白になった。
このままではアルファーダは再び死の愛撫を受け、朽ち果てる。自分たちもそれから逃れることは出来ない。
「何ひとつ守ることも出来ないで……こんなところで諦めるわけにはいかない」
ティアレイルは頭の奥に疼く鈍い痛みをこらえるように、ぎりっと唇を噛んだ。
気力を振り絞ってわずかな時間で蒼月の軌道を最終調整し、レミュールに送り出す。そして、全神経をカイルシアの魔力に向けた。
閃光を止めなければいけない。そう思った。
けれども、蒼月移動にかなりの魔力を費やしていたティアレイルにそれが可能なのか……否、たとえ万全の状態だったとしても、創世主といわれたカイルシアを止めることが可能なのか。それは、彼自身にも分からなかった。
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