Misty Night


第二夜 『聖夜の雪』 後 編



 レイフォードと別れて教会の裏手にまわったリュカは、そこにも誰も人がいないのを見て、残念そうに溜息をついた。たくさんの人たちと話が出来るかと思って楽しみにしていたのに、どうして誰も教会に来ていないのだろうか?
「みんな、雪だから外に出るのイヤなのかな」
 ちぇっと舌打ちをして、まるで八つ当たりをするように雪を蹴り上げる。まったくもって聖獣らしからぬ行動だった。
 人が居ないなら自分1人でここに居ても仕方ないし、もし誰かが来たとしても、レイフォードの言うとおりに雪と区別してもらえずに踏み潰されでもしたら大変だ。そう思い、レイフォードの待つ礼拝堂へと帰ろうとする。
「あれ? なんの音だろう?」
 教会をつつみこむように優しく茂る森の中から、ふと何か声が聞こえたような気がして、リュカは耳をピンと立てた。よおく耳を澄ませてみると、何やら子供の泣き声のようだ。
「ちょっと、見に行ってみよう!」
 礼拝堂へ向いていた足をくるりと90度回転させて、リュカは急いで森の方へと走っていく。
 森の木々は雪に深くおおわれていて道に迷いそうな気もしたけれど、自分の通ったあとに聖粉を撒いて行けば大丈夫だろう。
 リュカは珍しく知恵を働かせ、きらきらと光る聖なる粉を撒きながら森の中に入った。
 しばらく森を進んでいくと、木々の合間にわずかにひらかれた草地があった。子供の泣き声はそのすぐ近くで聞こえてくるのに姿が見えない。
「声はするのになぁ。どこにいるんだろう?」
 リュカは小さな腕を胸の前で組んで、考え込むように首をひねった。
 ふと、泣き声が止んだ。リュカの様子を伺うような緊張した気配が辺りにあふれている。その出所を探すように、リュカはきょろきょろと周りを見まわした。
「……りすさん、ここよ」
 ふいに緊張した気配が途切れ、幼い少女の声がリュカの耳に届く。もういちど周囲を見回して、ようやくリュカはその声の主を見つけることが出来た。
 雪をかぶったヒイラギの木の根元から斜めに横穴が掘られ、そのなかに子供はいた。
 穴の入り口には頑丈な格子がはめられ、外せないようにしっかりと鍵と杭が打たれていたけれども、小さなリュカにはその隙間を通ることが出来る。
 リュカは何のためらいもなく格子の中に入り込み、声の持ち主に近づいた。もしここにレイフォードがいたならば、無用心すぎると叱られたに違いない。けれども、ここに彼は居らず、そしてリュカを止めるものはいなかった。
「どうして、こんなところに閉じ込められているの?」
 リュカは目を丸くして、少女に問い掛けた。
 穴の中にいたのは、10歳にも満たないと思われる幼く愛らしい少女だった。
 可愛らしく巻かれた金色の髪に彩られた天使のように白くふっくらとした頬が、寒さと涙で真っ赤になっているのを見て、リュカは痛ましげに眉をひそめた。
 たたっと少女の肩にのぼっていき、小さな両手でその頬に触れる。
 少女は泣き腫らした目を小さな聖獣に向けると、ほんの少しだけ笑った。
「ミルティが悪い子だから……ここに居なさいって」
 言いながらまた哀しくなったのか、少女はぽろぽろと涙をこぼした。
「こんな雪の中に放り出すなんて、お仕置きだとしても酷すぎるよ。ミルティちゃんの家の人は鬼だよー!」
 こんな寒空の下に幼子を放り出すなんて、死んでしまうかもしれないじゃないか!! リュカは心から怒ったように腕を天に突き上げて叫ぶ。
「ううん。ミルティが悪いの。おじちゃんやおばちゃんの考えていたこと、言ってしまったから。ミルティは喜んでもらいたかったのだけど、それは言ってはいけないことだったみたい」
 叔父や叔母が考えていたこと。心の中の声を、自分は言い当ててしまった。
 2人が毎日のように心の中で強く願っていたこと。それは、病気で長く寝込んでいる祖父に早く神の許へ行って欲しいということだった。
 意味は良くわからなかったけれど、神様の許にいかれるのなら、それは良いことなのだろうとミルティ思った。だから、叔父と叔母の2人の望みが叶うようにと神様にお願いしたのだ。
 けれど、それが彼らの逆鱗に触れたらしいのだと、少女はさらに涙をこぼした。
 恐ろしい子だと、叔母は言った。こんな子を引き取るんじゃなかったと叔父は怒った。そして周囲の大人たちは、ミルティは魔性の子供だと叫び、ここに閉じ込めたのだ。
「そんなの、ミルティちゃんが悪いんじゃないじゃないかぁっ!」
 腹立たしげに、リュカは地団駄を踏んだ。
 まったくどうして人間は、いつもそうして何かを迫害しようとするのだろうか? ほんの少しでも自分達と違うものを見つけると、すぐに悪いことだと決め付ける。
 リュカは、レイフォードを悪しき者と決め付けているザレードの人間達を思い出して、さらに怒りで顔を真っ赤にした。
「待ってね、いま出してあげるから!」
 言うが早いがリュカはぴょんっと格子の鍵に飛びついて、鍵を開けようと試みる。しかし思いのほか頑丈に絡められた鍵と杭は、そう簡単にはずれそうにもなかった。
「………………」
 情けなさそうにミルティを振り返って、リュカはがっくりと頭を垂れた。自分の力では、ここから少女を出してあげることが出来そうにもない。
「りすさん、ありがと。でも、ミルティはここで、おじちゃんたちが許してくれるのを待つから大丈夫なの。きっともうすぐ許してくれるもの」
 真っ赤な涙目をにこりと微笑ませ、少女は小さな動物の頭を撫でた。
「おれは……リスじゃなくて聖獣なんだよ。だから、何でもできるんだよ!」
 健気な少女の言葉に、ひっしとリュカは叫び、そうしてもう一度いろいろな力を使って試してみる。けれども、鍵は少しも開いてくれようとはしなかった。
 悔しくて、リュカはまんまるの黒い瞳に涙を浮かべた。
「……ミルティちゃん、少しだけ待っててね。この近くにおれの友達がいるんだ。レイなら、絶対なんとかしてくれるから!」
 あふれる悔し涙をぐしぐしと腕でぬぐってから、リュカは格子を抜けて駆け出した。
 白く迷いそうな森の小道を、光る粉のあとを通って元来た道を戻る。早く、あの少女をあそこから出してあげたかった。温かいスープを飲ませて、そして心も体も温めてあげたい。
 リュカは雪に埋もれそうになりながらも、必死になって、レイフォードが待っているだろう礼拝堂へと走っていった。


「れいーーーーーーー!! お願い。助けてよっ!!」
 礼拝堂に駆け込んで、リュカは大声で叫んだ。
 当のヴァンパイアの青年は、祭壇前の階段に座り込んでいた。なにやら考え事をしているようで、深くうつむいたまま微動だにもしない。
「女の子が、雪の中に閉じ込められてるんだよ! レイっ!」
 返事がなかったので、レイフォードの肩に駆け上ってもう一度叫んだ。
「……ああ。リュカか」
 ちらりと、深紅の瞳が白く小さなものを映し出す。
 いつもなら「そこで大声出すな」と怒られるところなのに、レイフォードは、どこかほっとしたような表情をしていた。
 どうしたんだろう? リュカは大きな瞳をぱちくりとしばたいた。
 レイフォードはしかし、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべると、すっと立ち上がった。まとわりついてくる大きな外套の裾を軽くうしろに払うと、口許を軽くつりあげる。
「それで、女の子がなんだって? また、おまえは何かに首をつっこんだのか?」
 今朝、屋敷を出る前にダストが『拾いグセがある』と言ったけれど、それは自分ではなくリュカの方だ。この小さな聖獣はいつも、何やら面倒なものごとを自分の前に運んでくる。
 レイフォードは呆れたように溜息をつき、リュカを見やった。
「そうだった! レイ、女の子が穴の中に閉じ込められてるんだよ。こんなに寒いのに、お仕置きなんだって!!」
 そんなの許されることじゃないと、リュカは必死になって友人に訴える。
「仕置きってことは、何かやったんだろ。なら、仕方ないじゃないか」
 興味なさそうに冷たく言い放ち、レイフォードはそっぽを向いた。
「ミルティちゃんは悪くないよっ!」
 薄情なことを言うレイフォードに、リュカはひっしと詰め寄ると、抗議するように小さな拳で青年の頭をぽかぽかと叩いた。
 何故あの少女が叔父たちが心ひそかに思っていた願いを知っていたのかは分からない。けれど……その願いを叶えてみんなが歓ぶといい。そう思っただけのに。魔性の子供などと言って虐待するのはひどすぎるとリュカは思うのだ。
「魔性の子供?」
 ぴくりとレイフォードの眉が跳ね上がる。つい先程、同じ言葉を聞いたばかりだった。それを確認するように、レイフォードは祭壇の向こうにゆうるりと視線を流す。
「そうだよ。ひどいだろおっ、レイ! ……あれ?」
 友人の肩の上で飛び跳ねながら、リュカは自分達のほかにもう1人。この礼拝堂に人が居たことにようやく気がついた。その出で立ちに、彼が神官だということはすぐに分かった。
「神官さんが居たんだね!! じゃあ、なんでミルティちゃんのこと放っておくのさぁ! あの子の処罰を決めたのは神官さんなんだなーっ!」
 教会近くの森の中に閉じ込められているのだ。知らないはずがない。リュカは今にも噛み付きそうな勢いで、そう叫んだ。
「おーまえはうるさい。ちょっとは黙ってろ」
 レイフォードはリュカの口を押さえ込むように、フードの中に放り込む。
「……で、その女の子のことか?」
「ええ。ミルティは、人の心がわかるんですよ。人が、心から望んでいることが。あの子は昔から、それが良いことだと思うと一緒に願ってあげていました。そうすると、何故かその願いは叶ってしまうんですよ。でもそれが今回、最悪の形で知られてしまいましたね」
 ゆうるりと、神官は笑った。
 確かに最悪な形だろう。レイフォードは軽く舌打ちをした。祖父が神の許にいけるようにと願うこと。それは、祖父の死を願うことなのだから。
「やっぱりミルティちゃんは悪くないよ。ねえ、レイ。早く助けてあげようよ!!!」
 フードからぴょんと肩に飛び移り、リュカは友人の耳を引っ張った。その拍子に、ぽとりと何かが床に落ちた。それは、レイフォードの耳元で揺れていた美しい十字の形をしたピアス。
「ご、ごめん!! レイ!」
 友人が、この十字のピアスをとても大切にしていることをリュカは知っていた。慌ててそれを拾おうと肩から滑り降りる。しかし、レイフォードに押しとどめられた。
「…………」
 そっとピアスを拾い上げながら、レイフォードは一瞬、泣き出しそうな表情をした。けれどもすぐに感情の波を立て直すように、ぎゅっとそれを握り締める。
「……そういうことか」
 静かに呟いて、祭壇の向こうに佇む神官を見やる。
 神官は、どこか優しい笑みを浮かべて頷いた。懐かしい、友と同じ眼差しをして ―― 。
「リュカ、その場所に案内しろ。その子、出してやるよ」
 にやりと笑い、小さな聖獣を抱き上げる。
 リュカは嬉しそうに笑顔になった。床にぴょんと飛び降りると、レイフォードをいざなうように礼拝堂の外に走り出た。


「ミルティちゃん。待たせてゴメンね!」
 格子をすり抜けて、少女の前にリュカは走りこんだ。これで出してあげられる。そう思うと嬉しくて、ついつい弾んだ口調になる。
「……? ミルティちゃん?」
 けれども、何故か少女から返事はなかった。不思議に思って顔を覗き込むと、少女は先ほどと同じ座った姿勢のまま、ぐったりと瞼を閉じていた。
「レイっ! ミルティちゃんが!」
 リュカは慌てて叫んだ。こんな寒さの中で眠っては凍死してしまう。まだ息はある。けれども、ほんのかすかにだった。
 レイフォードは頷くと、そっと格子の鍵に触れた。リュカがいくらがんばっても解けなったそれが、音もなく開く。ふわりと穴の中から少女を抱き上げ、レイフォードはほんの少し微笑んだ。
 人の心からの願いをかなえようとした少女。今は力なく、ぐったりとしてはいたけれど、愛らしいその顔はまるで天使のようだ。
 リュカはそんな少女を覗き込むように、レイフォードの肩にひょこっと駆け上がった。
「ねえ、レイ。ミルティちゃん、大丈夫……だよね?」
「泣き疲れただけだ。死にはしないさ」
 ふだん凛と冴えた閃きを宿している深紅の瞳が、どこか暖かい。リュカはほっとして、まんまるな瞳を三日月のように細めて笑った。
「おまえ、そこで何してる!?」
 ふいに殺気立った声が響き渡り、木々の枝に羽を休めていた鳥たちが驚いたように一斉に飛び立った。
「その子は魔物の子供だ。祖父を呪い殺したんだ。近づくと、酷い目にあうぞ」
 木の杭を持った男が脇の茂みから姿をあらわし、こちらに近づいてくる。
 レイフォードはゆっくりと視線を男に向け、凄みのある笑みを唇に佩いた。
「おれには普通の子供に見えるけどな」
「聖木の杭で胸を打つと魔女は死ぬ。やってみれば、その子供が魔性の子供だっていうことがハッキリするさ」
 男は少女を抱きかかえる青年を睨みつけるように立ち止まった。
「そんなことしたら、魔女じゃなくたって死んじゃうじゃないかー!」
 思わずリュカは叫んでいた。胸を刺されたら人間だって死ぬし、聖獣である自分だって死ぬだろう。そんなことで白黒を着けようだなんて馬鹿げてる。
 不意に、レイフォードが笑い出した。
 笑いながらぐいっと男のあごを掴み、額を突きつけるように深紅の瞳で凝視する。魔の証ともいえるその色の瞳を間近に見て、男は腰を抜かしそうに驚いた。
「ま、魔……っっ!!」
「ふん。魔族っていうのはそんな物じゃ死にはしないんだよ。なんなら後学のために俺をそれで貫いてみるか? もちろん報復はさせてもらうが」
 にやりと恐ろしげな笑みを浮かべ、レイフォードは少女を抱いた逆の手で杭を持った男の腕を掴んでみせる。
 ひいっと声にならない声を発して、男はおそろしさにずるずると座り込んだ。
 目の前にいる青年の瞳が放つ尋常じゃない閃きに、自分は殺されるのだと思った。逃げなければと思いながらも、腰が抜けて動けなかった。
「……さて。帰るぞ、リュカ」
 ぱっと男の腕を放し、レイフォードはまるで何事もなかったような顔をして肩に座る小さな友人に目を向ける。
「なんだかレイが悪者みたいに見えたよお」
 あんなふうに人を脅かす友人を初めて見た。くさっても魔族なんだなぁと、レイフォードが聞いたらまた大きなげんこつが降ってきそうなことを思いながら、くすくすとリュカは笑った。
「ふん。こんなのいつもに比べたら序の口だ」
「いつもって!? レイ……いつもそんなことしてるのっ?」
 信じられないとばかりに、リュカは目をしばたいた。このヴァンパイアの友人は、決して人間に悪さをしないと思っていたのに。
「……言葉のあやだ」
 不本意そうに眉を上げ、レイフォードは頭を振った。
 そして腰を抜かしたままだらしなく口を開けて自分達を見ている男に一瞥くれると、すたすたと雪の上を歩き出した
 しばらく歩いて森を抜ける頃になると、突然リュカはあっと声をあげた。
「ねえレイ。もうミルティちゃん家に帰れないね。あんなふうに脅かしちゃったら、ミルティちゃんとレイは仲間だと思われるもん。魔族だって信じ込まれちゃったよ、絶対」
「そうだろうな」
 ちょっと肩をすくめるように、レイフォードは笑った。
「……そうだろうなって、レイ〜っ! もう屋敷に連れて帰るしかないよ? またダストに何か言われそうだけどさぁ」
 やっぱり聖誕祭に雪が降ると、レイは何か拾ってしまうくせがあるのかもしれない。リュカは可笑しかった。
「う……ん。……あ、あれ?」
 ふと、少女が目をあけた。レイフォードの外套にくるまれて身体が温まったからだろうか、さっきよりも少し顔色が良くなっているように見える。
「あ、ミルティちゃん、気がついた!?」
「うん。りすさん、出してくれたんだね。ありがとう」
 にっこりとリュカの毛並を優しくなでる。そして、自分を抱きかかえている青年に気が付くと、ふうわりと、花が開くように微笑んだ。
「ふふ。おにいさん。また、会ったね」
 嬉しそうに、ミルティはレイフォードの顔を見やる。レイフォードは苦笑するような微笑むような、不思議な笑みを浮かべてその目を見返した。
「ええっ? れ、レイたち知り合いなの??」
「……さっき、礼拝堂でな」
「???」
 リュカは理解に苦しんだように首をかしげた。さっきといえば、ミルティちゃんは閉じ込められてたじゃないか! ちゃんと説明して欲しいと、友人の肩の上で飛び跳ねる。
 レイフォードは答えなかった。ただ、小さな吐息をひとつ落とし、軽く頭を振っただけだ。
「おにいさん。お願い、叶った?」
「…………ああ」
 その応えに、幸せそうな笑みがミルティの頬に浮かび上がる。けれどもすぐに、その瞳が不思議そうにゆらめいた。願いが叶ったと言ったレイフォードのその表情が、ちっとも幸せそうに見えなかったからだ。
「……あした目醒めれば、露と溶けて消えてしまうこの雪みたいなものだ。そんなものは、俺は要らないんだよ」
 とても優しい眼差しをして、レイフォードはミルティをそっと大地におろす。
「それが、誰かに与えられたものなら、なおさら」
 ミルティは、大きな愛らしい瞳をより大きく見開いて、そして、ふわりと笑った。涙をいっぱい瞳にためながら。
「みんな……要らない?」
 レイフォードは深紅の瞳をわずかに細め、優しくその髪を撫でてやった。
「ああ。だからお帰り、おまえがいるべき場所に」
「…………」
「ねえ、ねえ、二人で何を言ってるのさぁ。おれにも分かるように話してよ!!」
 ぴょんぴょんとリュカは肩の上で飛び跳ねた。さっきから、何を言っているのかまったく理解できないのだ。ひとり取り残されてしまったようで、リュカは我慢できなかった。
 レイフォードは小さな聖獣をひょいっ肩から摘みおろすと、そのまま手のひらに座らせる。
「すぐに、わかる」
 だからしばらく黙っていろと、深紅の瞳がそう命じている。リュカはどうにも納得いかなかったけれど、仕方がなく黙ったままミルティを見た。
「 ―― 」
 ふいに、ミルティがぴくりと身体を震わせた。どこか痛みをこらえるような顔をして、そして、腕を大きく開く。
「ああっ! ミルティちゃん!?」
 リュカは信じられないものを見たように、目を見開いた。
 ふわりと、まっしろな翼がミルティの背で輝くように揺らめいていた。
 ―― 天使!? リュカは驚き、そしてレイフォードを振り仰ぐ。
「やはり、そうだったな。昔……あいつに聞いたことがあった。時々、天使が人の子に紛れ込むことがあるのだと。……リュカ、気付かなかったのか? お仲間だろうに」
 くすりと、レイフォードは笑った。
「し、知らないよぉ」
 驚いた表情のまま、リュカはぶんぶんと首を振った。
「ねえ、おにいさん。りすさん。ミルティがやったこと間違ってたのかな」
 小さな天使は哀しげな微笑をたたえ、ヴァンパイアの青年と聖獣を見やる。レイフォードはふっと表情を和ませた。
「間違いじゃない。……でも、甘やかしは人のためにならないってことさ」
「ふふ。おにーさんって、おかしなヴァンパイアさんだね」
 ミルティは楽しげに笑い、そして天を仰いだ。
「でも……そうかもしれないね。だから、ミルティは帰るね。りすさん、おにーさん、優しくしてくれて、ありがとう」
 やわらかに微笑んで、少女はふわりと舞い上がる。
「おれは、リスじゃないってば! 聖獣の、リュカだよー!」
 再び雪が降り出した銀色の空に、リュカは大声で叫んだ。空高く舞う天使に届くように。
 ミルティはちょっと笑うと、ひらひらと手を振って雪の空に消えていった。
「おまえって、ほんとに自己主張の激しいやつだな」
 リュカをちょんと摘み上げて自分の目の前にぶら下げると、レイフォードは可笑しそうに笑った。
「ふんだ。ミルティちゃんに名前を覚えてもらいたかっただけだよっ! そしたら遊びにきてくれるかもしれないじゃないか。せっかくお友達になったんだもん」
 ぷぅっと頬をふくらませて、リュカはじたばたと手足を動かした。
「俺はこれ以上、神の眷属なんかの友人は欲しくないね」
 皮肉げに口端をつりあげて、レイフォードは無造作にリュカをフードに放り込む。
「えっ? ともだち?」
 神の眷属といえば、自分ことだ。この青年の口から『友人』だと言ってもらえたのは初めてかもしれない。嬉しくて、リュカはフードから顔を出した。
「ふん。そんなこと言ってない」
 つんと横を向くと、レイフォードはゆっくりと帰路に着く。
「ねえ、レイ。そういえば、レイは何のお願いをミルティちゃんに叶えてもらったの? それに、いつレイのお願いがミルティちゃんに分かったのかなぁ」
 さっきの会話をふと思い出し、リュカはきょとんと黒いまんまるな瞳を友人に向けて楽しそうに問い掛けた。
「教えない」
 レイフォードはすげなくそう応えると、既に遠くになったサユラの教会を仰ぎ見た。
 あの時、自分は祭壇の前で目を閉じながら昔を思い出していた。そしてもう一度『彼』に会いたいと、確かにそう願ったのかもしれない。その強い想いがミルティに、あの優しい天使の子供に伝わったのだろう。
 けれどもう良い。所詮は……失ったものは還らないのだから ―― 。
「どうしたの? レイ」
「……冷えるな。雪がこれ以上つもるまえに早く屋敷に戻るぞ」
 言うが早いがレイフォードは大きな漆黒の外套をひるがえし、ふわりと宙に舞い上がる。
「へへっ。今日は天使を拾いそこねたね、レイ。そのことダストに教えてやろーね」
「ばーか。俺はいつも拾い物なんてしちゃいないんだよ」
 こつんとリュカにげんこつをお見舞いしてから、レイフォードはダストが温かなスープを作って待っているだろう丘の上の屋敷に帰っていった。


.........第二夜『聖夜の雪』 完



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