降り頻る月たちの天空に-------第3章 <3>-------
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「小夜と左京だったのか……」
 ぼうぜんと二人が消え去った塔を見上げていたティアレイルたちの耳に、静かな、けれども深い哀しみを宿した声が届いた。
 ふうわりと、流月の塔の周囲の砂が流れるように揺らめいて、初めて出逢ったときと同じように穏やかな風の中からイディアが現れていた。
「どうして……こんなところに来ていたんだ……」
 その存在自体を失ってしまった小夜たちに問いかけるように、イディアは睫毛を伏せて唇を噛んだ。ここが、危険な場所と知っていたはずなのに……。
 トリイの町の小夜と左京はこのアルファーダに在って唯一、自分たちのおかれた状況を理解している人間だった。
 カイルシアの全魔力発動によって生まれた忌まわしい閃光で、すべての生命が死に絶えているのだということ。そして……その現実を受け入れることの出来ない、否、そうと知る間もなく命を奪われた者たちのこころが、このアルファーダに住む者たちすべてなのだと ―― 。
 決して癒されることのない恐怖と怒り、そして哀しみにつつまれた魂たちが少しでも優しく穏やかな時を過ごせればいい。そう自分が始めたことを理解し、そして力をかしてくれていた、唯一の存在だったというのに ―― 。
「……俺たちを、止めに来たんだ。アルファーダを守りたいって」
 アスカはどこか辛そうに、晴れた夜空のような紺碧の瞳を細めた。
 目の前にいるイディアにどんなことを言えばいいのか。二人のことをなんと伝えればいいのだろうか? 誰も上手い言葉を見つけることが出来なかった。
「アルファーダを……」
 ふと、イディアがこちらを見た。その美しい翡翠のような瞳に浮かぶのは、深い悲しみ。けれども、それが強い意志へと転じて閃いた。
 悲しみに揺れる深い眼差しが風に溶け、激しい憎悪が立ちのぼる。すっと細められた強い双眸で、イディアは『レミュールの人間たち』を睨み据えた。
「どこまでも……この地を犠牲にしようというのだな……おまえたちは……」
 玲瓏な声が怒りを孕み、静かな、しかし、それゆえに恐ろしい言葉を紡ぐ。
 左京がその最期に望んだように。イディアの憎悪を抑えていた心の箍が、彼らの死によって壊れたのかもしれない。万物をも凍らせてしまいそうな、冷たく燃える翡翠の瞳が、じっとティアレイルたちに注がれていた。
「イディア様っ!?」
 いつも穏やかな空気をまとい、優しく笑んでいたイディアとはあまりに違う雰囲気に、リューヤは切なげにその名を呼んだ。
 大好きなイディアのその怒りと哀しみが、リューヤには痛いほど分かる。しかしイディアにそれをさせてはいけない ―― そう思った。
 しかしイディアを呼ぶその声は、憎悪に身をゆだねた彼には届かなかった。
 ごおっと腹の底に響く遠雷のような地響きとともに、イディアのまわりの風がざわめいている。
「もはや、許すことは出来ない。レミュールの者……カイルシアの末裔たち。……すべて滅びるがいい」
「 ―― !?」
 すいっとイディアが軽く左手をあげるのと、黄金色の砂海から紅蓮の炎が吹き出したのは、ほぼ同時だった。
 まるで噴火した火口の中に放り込まれたかのように、炎と灼熱の風がティアレイルたちレミュールの人間をおおいつくそうとする。
 慌ててセファレットやアスカが周囲に結界を張りめぐらし、なんとかその瞬間は切り抜けた。けれども……それがずっと保てるとも思えなかった。
「ティア、ぼけてんなっ!」
 アスカは鋭く叫んだ。ティアレイルが、何故かぼんやりとイディアを眺めたまま、何もしようとせずにそのまま炎を受けようとしていたのを見咎めたのだ。
 自分の防衛術やセファレットの魔術だけではまったく歯が立ちそうにないと、すぐにわかった。悔しいが、格が違う。
 アスカは、ふと思い出していた。イディアが魔導士の中でも稀有な存在。自然を従えることが出来る存在だったということを。
 相手が自然を味方に付けているということ、それは、明らかにこちらの不利だ。
 アスカの防衛術はあまり『自然』とは関わりのない、みずからの気壁なのでそれほど影響はなかったけれど、やはり魔力を司る『自然』を相手取るとなれば、きびしい状態なのは確かだった。
「 ―― !?」
 切羽詰ったアスカの声に、ティアレイルはハッと我に返った。迫り来るイディアの炎にいま気付いたとばかりに目を見開き、さっと右手を翻す。
 アスカの気壁が破れ、セファレットの炎を遮る結界もたち消え、炎海と熱波が彼らを呑み込もうとした刹那、周囲に巨大な水柱が立ち上がった。
 ジュ……という耳障りな激しい音とともに、蒸発した水分が白い霧となって拡散し、人々の視界を遮る。そんな中で、ティアレイルとイディアの体からは、陽炎のようにほのかな光が立ち上ぼっていた。
 互いの意志を貫くように、炎と水が互いに鎬を削りあうように宙で踊る。それはまるで、自分自身と闘っているような、そんな錯覚をティアレイルに覚えさせた。
 イディアもまた同じ思いだったのだろう。なんとも形容しがたい不可思議な眼差しを、ティアレイルに向けていた。
「同じ……魂を有する存在もの……!?」
 どちらが発した言葉なのか。それとも二人が言ったのかもしれない。
 互いの魔力がぶつかり合ったそのとき、彼らは気がついた。自分と相手が、まったく同じ波長の魔力を有していることに。
 その波長が似ているという術者はいてもおかしくはない。けれども、まったく同じ者などいるはずがなかった。
 各々が持つ魔力の波長。それは、個々の生命の旋律なのだから ―― 。
 居るはずのない存在を目の前にしたその動揺が、隙のなかった激しい炎に緩みをみせる。そのことに気が付いて、アスカは指示を飛ばすように叫んだ。
「今のうちにショーレンたちはイファルディーナの中に入れ。防熱装置ぐらいついてんだろ!? 中からハシモトはイファルディーナを守れ。少しでも対象人数が少ない方が、俺は守りやすいんだよ」
 ティアレイルよりも優れているといわれたその防衛術の有効範囲は極めて狭いのだ。少しでも、余裕をもたせたかった。
 そうしてできることならば ―― イディアと話がしたい。そうアスカは思った。
「何故……同じなんだ……」
 周囲の人間が一斉に動く中で、ティアレイルはじっと、イディアだけを見ていた。
 自分たちがアルファーダにやって来た時。風の中に感じたイディアの感覚と自分の波長は確かに似ていると思った。けれど、違うと分かってしまえばその差異を判別することも出来たのに。
 外側から……上辺だけで感じたその波長は、確かに相違点があったのだ。けれども、今となってはその違いさえ分からない。こうして相手の魔力を直接受けてみれば、寸分も違わず自分とイディアの魔力の波長は同じだった。
 ―― どうして、あなたは幽霊なの?
 今はもういない小夜の言葉が再び甦り、ティアレイルは固く目を閉じた。自分は、いったい何者なのだろうか ―― ?
「ティア、おまえはおまえだぞ」
 ふいにアスカはしっかりとティアレイルの腕を取り、紺碧の瞳に強い意志を込めてそう言った。なぜ突然そんなことを言ったのか、アスカは自分自身でも分からなかった。
 ただ、言わなければいけない。そう思った。
「アスカ……」
 昔から、この年長の幼なじみにはこういうところがあった。ティアレイルの心などまるでお見通しだというように、彼のほんの小さな心の迷いも敏感に察知して、それを打ち消す言葉をくれるのだ。
 ティアレイルは安堵したようにアスカを見やり、ゆうるりと笑んで頷いた。
「おまえたちは流月の塔の力を修正し、三月のバランスを保つということがどういうことなのか、分かっているのか?」
 不意に、イディアの声が聞こえた。怒りと悲しみと自嘲と……いろいろな感情の入り交じった声音。
 自分の中に流れ込んでくるイディアの意識と記憶に呑み込まれないように凛と眦をあげ、ティアレイルは大地を踏みしめた。
「分かっている。再び塔の……カイルシアの魔力を発動させるということだ」
「それを知った今、我々に塔の力を修正する気はない!!」
 ティアレイルの声にかぶさるように、アスカはイディアに向かってそう叫んだ。
 それが、レミュールに対する裏切りであるとは思わない。この塔が存在する以外に、月を落とさずに済む方法が必ず他に在るはずなのだ。
 きっぱりとそう言いきった幼なじみに、ティアレイルは驚いた。
 このアルファーダに起きた悲しい現実と、レミュール崩壊の予知のあいだで迷っていた自分には、そうはっきり心を決めることなど出来なかった。けれども、アスカは既にそうと決めていたのだ。
 やっぱりアスカにはかなわない。ティアレイルは軽く瞳を閉じ、深く息を吐き出した。
「そんな言葉を……私に聞けと?」
 イディアは嘲笑うように、一度は緩めた炎勢を再び強めた。そんな話を信じろと言うほうが無理だ。それに……もし本当に魔力の修正しないのだとしても、塔はここに在り続けるのだ。
「イディア様!」
 不意に、リューヤがイファルディーナから飛び出した。
 危ないと叫びながら自分の腕をつかんで引き寄せようとするショーレンを、リューヤは必死な形相で振り返る。どうしても、イディアの側に行きたかった。
「アルディス、放してよ。炎が泣いてるんだ。風も大地も空も。みんな泣いてるんだよっ。このままじゃ……イディア様が壊れてしまうって!! だから、おれが迎えに行くんだ!」
 自分こそが今にも泣き出しそうな表情で、リューヤはショーレンに懇願する。
 瞬間、ショーレンはリューヤを抱き竦めるように身をかがめた。
 周囲をおおっていたアスカの守護の『気壁』とティアレイルの水柱が破られたことに気付いたのだ。
 慌てたのはアスカだった。気壁が破れて害が及ぶのは自分だけだったはずなのに、いきなりそこに二人も加わっていたのだ。軽く舌打ちをすると、アスカは急いで守護を掛け直そうと試みる。
 ティアレイルももう一度、炎と熱を遮るように術を補強した。
 しかし、まるで意思を持ったように唸りを上げる炎がすべてを焼き尽くさんと牙を剥き、レミュールの人間へと襲い掛かってくる。
 けれども ―― 彼らを呑み込むかに見えた炎がふいっと消えた。
 炎を生みだしていたイディアは翡翠の瞳を驚きに揺らし、じっとこちらを見ていた。
「リュー……」
 ショーレンに抱きかかえられながら必死に自分を呼ぶリューヤの存在に、ようやくイディアは気が付いていた。
「イディア様っ!」
「……町から出るなと言ったのに」
 イディアは僅かに瞳を細め、自分のもとに駆け寄ってきた少年の頭をそっと撫でる。彼にとって大切なアルファーダの人間……リューヤの出現に、イディアをおおっていた憎悪の気配が和らいだのが傍目にもわかった。
「お言葉に背いてごめんなさい。でも……イディア様が迷子になったら困るなって。それでおれ……アルディスと一緒に来たんだ。聖殿は焼けてしまったけど、湖の町に帰ってきてほしいです」
 リューヤは一生懸命にそう言った。イディアがどんな過去を持っているのか、ショーレンたちの話を聞いて知っている。だからこそ、リューヤは『大好きなイディア様』に自分たちのところへ帰って来て欲しかった。
 イディアは自嘲的な微笑を浮かべ、少年の瞳を覗き込んだ。
「ありがとう、リュー。だが、そんな風に思われるのは辛いな。私はレミュールへの憎悪にかられ、アルファーダの加護を忘れた。そのために小夜や左京を塔に奪われてしまったのだから……」
 リューヤは、ぶんぶんと首を振った。
「そんなことはないです。イディア様はいつだってアルファーダのことを一番に考えてくださってるもの。だからアルファーダは、ここに存在するのでしょう?」
 自分の気持ちを伝えようと、ひっしとリューヤはイディアの目を見つめ返す。
 イディアは複雑な思いを深い息とともに吐き出して、苦笑するよう目を細めた。
「どうして復讐に徹することが出来ないのだろう。憎んでも余りあるカイルシアの末裔たちなのに……」
 哀しげな眼光を翡翠の瞳に宿し、ティアレイルたちを見やる。
 一時は本気でレミュールを滅ぼしてやろうと思った。彼らが考えていたとおりに、この塔を破壊して月を落としてやろうと ―― 。
 しかし、いざやろうとすると何故かためらわれてしまう。
「イディア様は優しすぎるから……生命が失われることの哀しさを、誰よりも知っているから、だからレミュールの人たちでも死なせることが出来ないんです」
 リューヤは誇らしげに、そしてキッパリと断言する。
 イディアは目を伏せ、口許だけで笑った。
「復讐といっても……本当にしたい相手はもう生きてはいない。在るのは、あの忌まわしい水晶だけだからな ―― 」
 そして、何かに気付いたように、アスカを見やった。
「さっきおまえは流月の塔を発動させる気はないと言ったな。では、どうやって三月のバランスを保つつもりなのだ?」
「その前に、ひとつ聞きたい。あなたは三月のバランスを崩そうとしていたのか?」
 真剣な眼差しをイディアに向けて、アスカは訊いた。
 イディアはゆっくりと瞳を閉じた。
「……おまえたちも見ただろう? 小夜や左京を呑み込んだ魔力ちからを。アルファーダの植物も動物も……すべての生命は、この『流月の塔』と呼ばれるカイルシアの魔力の源となるために吸収されてしまう」
 自転停止のあの時、アルファーダのすべての命は失われた。けれども ―― それだけではすまなかった。
 今後ずっとこの塔と蒼月との魔力の連動でレミュールを守るために、その魔力を維持する多くの生命力が必要だった。それは、再生しようとする自然界の生命力だけではとうていあがなえない。
 だから ―― アルファーダで失われた生命は自然に還ることが出来なかった。
 一度その肉体から奪われた人々の生命力は……そのままこの地に縛られ残されたのだ。ゆっくりと、時間をかけて流月の塔が吸収していけるように ―― 。
「私はアルファーダに豊かな自然を取り戻したかった。ここに残されてしまった者たちの魂が安んじて暮らせるようにしたかった。だから『町』を造り始めたのだ。町は強力な結界になる。塔の魔力から守ることもできる。……恐らくそのために流月の塔が吸収できる生命力が減り、三月のバランスを保つことが出来なくなったのだろう。このアルファーダに命を取り戻そうとしたことが『三月のバランスを崩そうとしている』ことになるのなら、私はそれを否定はしないし、改めるつもりもない」
 止められぬ深い悲しみと、カイルシアへの怒りに包まれた翡翠の瞳が静かに語る。そこに、嘘はない。
 ――  やはりカイルシアはイディアの『町』造りを止めさせるために、ティアレイルたちをここに導いたのだ。
「…………」
 ティアレイルは無言のまま、唇を噛んだ。イディアの言葉に、反論など出来るはずもない。彼がやっていることは、決して間違ってなどいないのだから。
「アスカ、だったかな。次はおまえが質問に答える番だ」
 イディアはアスカの心底を見定めるように、じっとその紺碧の瞳を覗き込んだ。
 アスカはいつもの余裕のある笑みをその口許に佩き、頷いた。
 それは自分の考えに対する自信というよりは、他者にそれを信じさせるための笑みだったといってもいい。
「ショーレン、覚えてるか? 緋月と蒼月から出ていた『ちから』のことを」
 イファルディーナの中から出て、近くで話を聞いていたショーレンたちを見やり、アスカは訊いた。
「ああ、覚えてるぜ。R・L・Sを消滅させた、あの正体不明の『波』だろう?」
 いきなり話を振られて、ショーレンは訝しげにそう答える。
「あれは、すべてを排除する働きがあるらしい。おまえのシャトルも、だから爆発した」
 そのアスカの言葉に頷きながら、ふと、ショーレンは思い出したようにティアレイルを見やった。
「そういえば、あの時シャトルにティアレイルが来たような気がしたな」
「……行ったわけじゃない。転移させようと術を使っただけだ。場所を選べなくて、こっちに飛ばしてしまったけど」
 ティアレイルはそのときのことを思い出して、やや苦笑した。
「そうなんだよ、ショーレン。ティアがおまえを転移させようとした。けど、あの『波』のせいで、思うようにならなかった。ティアの魔力も、排除されたんだ」
 アスカはそう付け加え、周囲を見回した。
 シャトルを、そしてティアレイルの魔術をも排除したその力。それは無視出来ぬものがある。
 ふと、ルフィアは何かに気が付いたように、色違いの瞳をアスカに向けた。
「 ―― もしかして、蒼月・緋月の二つを、自ら発しているその『波』で排除させようっていうの?」
 アスカはご名答とばかりにパンっと手を叩き、軽くウィンクしながら、さすがルフィアだと楽しげに笑った。
「均衡を保てず落ちてくるなら、排除してしまうしかないだろう?」
 こともなげにアスカはそう言ってみせる。
 余りに突拍子もない言葉に、皆は一瞬唖然とした。
「月を壊してどうするのよ。朝も来なくなっちゃうし、それに何より蒼月をなくしたら、自転と同じ環境が及ばなくなってしまうのよ。元も子もないわ」
 セファレットは、思わず呆れたように言った。アスカという人物はその奔放な性格のわりには、意外と細かいところまで考えている人間だと思っていたのに買いかぶっていたようだ。そう言いたげに、非難するような視線がアスカに向けられる。
 アスカは心外だというように肩を竦めた。
「俺だって馬鹿じゃない。それくらいは考えているさ」
 そう言うと、アスカは何かを尋ねるように、ティアレイルを見やった。
 ゆうるりと自分を見返してくるその翡翠の瞳に、アスカは嬉しそうに笑んだ。『月を排除する』という要素を取り入れた新しい『未来図』が、ティアレイルの脳裏にほんの僅かではあったけれど、良い方向を示して描かれたことに気が付いたのだ。
「成功率は五分五分かな」
 ティアレイルは不確かな『未来図』に、そう判断を下す。
「……でも、やる価値はあると思う。アルファーダを犠牲にするよりは、ずっと良い」
 ティアレイルの答えに、アスカは力強い笑みを浮かべ頷いた。
「俺が考えたのは、二つの月を排除し、流月の塔の黒水晶の魔力をも止めてしまえば、この惑星は再び自転を始めるかもしれない……ということだ」
 アスカは一語一語を自分自身も確認するようにはっきりと言う。
 自転停止の真実をティアレイルに聞いた時、ふと、思ったのだ。カイルシアが自分の魔力で自転を止めたのならば、その魔力がなくなれば、再び惑星は自転を開始するのではないか……と。
 たとえ、その十数年後に止まるはずのものだったとしても、今と昔では惑星の環境も変わってきている。それに、自転停止の原因とされた超魔術の開発は、今はすべて封印され使われていないのだ。有り得ないことではない。
「ふうん。その考えにも一理あるな。問題も多そうだけどな」
 ショーレンは考え込むように呟いた。
 重苦しい口調のわりには、その瞳はまるで新しい遊びを思い付いた子供のように笑っている。
「まあ、まずは月をどうやって排除出来る状態にするか。そして、カイルシアの魔力を止めることが可能なのか、だな」
 そう言うと、ショーレンはにやりと笑った。けっきょくはアスカの考えに乗り気なのである。
「そう。それが一番の問題だな」
 アスカは頷いた。自分の考えはすべてカイルシアの魔力を押さえられるということが前提となっている。それが出来なければこの考え事態がレミュールを、否、この惑星すべてを滅ぼすことになる。
「おかしなことだな。私がこの塔の破壊をやめてみれば、今度はレミュールの人間がそれを壊そうというのか……」
 イディアの翡翠の瞳には、複雑な光が宿っていた。
 今まで自分が知っていたレミュールの人間と彼らでは、印象がだいぶ違った。アルファーダの犠牲を知らず安穏と暮らしている『カイルシアの末裔』たちとは違う。まっすぐに、己を律している者が持つ潔さがイディアは心地好いと思った。
「これ以上、アルファーダを犠牲にしていくわけにはいかないもの。それに、私たちは今までカイルシア時代に造られた虚偽うその中で生活してきたようなものだから、これからは真実の中で生きてみたいじゃない」
 ルフィアはあざやかな笑みを浮かべ、イディアの瞳を覗き込んだ。
「…………」
 イディアは無言のまま、深い溜息をついた。
 以前ティアレイルも感じたように、ルフィアの琥珀の右目と藍灰色の左目は、まるで『朝』と『夜』の ―― アルファーダとレミュールの共生を象徴しているように思える。
 そんな彼女の目を見つめながら、イディアの口許に寂しげな、しかし優しい笑みが浮かんだ。
「……分かった。おまえたちの言葉を信じよう。もしそれが可能なら、このアルファーダも本当の意味でよみがえることが出来る」
 自分の傍らで心配そうに成り行きを見守っていたリューヤの髪を軽く撫でながら、イディアは穏やかに言った。
 己自身を焼き尽くすかもしれなかった憎悪の炎は、緩やかに緩やかに、心の底へと再び鎮まっていた。




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