降り頻る月たちの天空に-------第3章 <1>-------
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 ▲ 第3章-------<1>----------------▼


 レミュールの夜が明けなくなってから、既に一週間が経つ。
 そのあいだ魔術派の発表を信じて黙っていた人々も、いっこうに明ける気配すらない夜空に、不満と不安はピークに達していた。
 いつもならば自分達の不安を打ち消してくれるように、穏やかな微笑みで安心感を与えてくれるティアレイルが、何故か民衆の前に出てこない。
 それどころか夜が明けなくなってからこっち、ティアレイルの姿を見かけた者もいないのだ。そのことが、余計に人々の不安を煽っていた。
「ティアレイル大導士はどこです? こんな時こそ我々の不安を消してくれるのが象徴の役目というものでしょう! それが何故いないのですか?」
「総帥を出せ、いったいどうなっているんだ?」
 魔術研究所の中央聖塔の前にたくさんの人間が集まって何やら叫んでいた。もう、『日蝕』で納得出来る範囲は越えてしまっている。
「ふ……む、まずかったかな。議員達を安心させるためとはいえ、日蝕と言ったのは」
 総帥室の窓からそれを見やり、ロナはうんざりしたように溜息をついた。今更ながらに彼は、日蝕と言ったことを後悔していた。
 日蝕と発表したあとすぐに、ロナはアカデミーが持つ特殊な権限を使い、すべての日蝕に関する情報を封鎖・封印していた。
 図書館も、コンピューター端末も、レミュールにおける全ての情報網は、他者にはそうとは知られず科学・魔術の両アカデミーが抑えている。
 都合の悪い情報は秘匿し、アカデミーに都合の良い情報だけを開放する。自転停止の事件以来、魔術派と科学派はそうして勢力を高めながら、民衆に対する情報操作を行ってきた。
 それを今回、ロナとルナは科学・魔術両代表の権限をもってアカデミーに発令し、そして実行していた。
 そのため一般の人間が日蝕の詳細を知ることは叶わないはずだった。
 けれども、人々は何故かそれを知った。しかも、どこでどう間違えたのか日蝕イコール凶事の前兆などという、原始的な解釈までもが人々の間に広まっていた。
 月が落ちるということを考えれば、あてずっぽうとはいえ、その解釈は真理をついているとも言える。だからこそなお性質たちが悪いと、そうロナは思った。
「ティアレイルくんがやろうとしていたとおり、人工太陽の故障だって、みんなに秘密をばらしてしまえばよかった?」
 ルナは兄に紅茶を入れてやりながら、美しい頬に微笑を刻む。
「いや、こんな時に両アカデミーが『嘘つき』だなどと知られたら、よけいにパニックの収拾が付かなくなる。大導士もそれくらいは分かっていたはずなんだが、あの時は何故か公表することにこだわっていたな。……セスとかいうコラムニストにも、何か話したようだしね」
 先日アカデミーの目に留まる前に、ゲリラ的に発刊された雑誌を投げ捨てながら、ロナはしきりに右手で顎を撫でる。
≪――人はもっと自分の目で物事を見、そして考えなければいけない。今はただ、科学派と魔術派が我々が生活しやすいようにと、すべての環境を整えてくれている。だから、人は自分でものを考えなくなった。
 与えられた情報をそのまま受け取り、それが正しいのか間違っているのか、自分で判断しようとはしない。すべてにおいてアカデミー任せにするのが我々の現状だ。
 日蝕という発表があったあと、ティアレイル大導士は私にこう言われた。『少し自分で調べてみるといい』と。そのとき私は、人は、もっと自分で考えなければいけないのだと、彼にそう諭されたような気がした――≫
 今回の『日蝕』で民衆が動揺しだしたきっかけは、セスが書いたこの記事が原因といってもいい。ひいては、彼に情報を与えたティアレイルの……。
「衝動的なものだったんじゃない? あの子はまだ若いから。でも、今はそんなことを考えるよりも、みんなの不安をどう静めるかが重要でしょ」
 兄のその老人のような仕草が気にいらなかったのか、ルナは眉を跳ね上げ、いささかつっけんどんな物言いになった。
「……だな」
 応えながらロナは、軽く空を見あげた。一週間前よりもさらに、月が近付いているように見える。
 まだ他の人間には判別出来ないだろうが、そのうち一般の人でも月が近付いていることが分かるようになる。そうなれば、さらに混乱が広がることは火を見るよりも明らかだった。
「うまくいっていないようだな。大導士たちは……」
 ソファに体を投げ出しながら、ロナは溜息混じりにそう呟く。その拍子にテーブルを蹴飛ばし、ルナがいれてくれた紅茶を床にぶちまけた。
 陶器の割れる硬質な音が部屋に響くと、ロナは自分のせいだと言うことを棚に上げ、嫌そうに顔をしかめた。
「落ち着かないみたいね。珍しいじゃない? ロナがそんなに苛々しているなんて」
「……ああ。何かとても嫌な感じがするんだよ。こんな感覚は初めてだな」
 妹に図星を指されたことに苦笑を浮かべ、ロナは両手で髪をかき上げた。
 長年生きてきた中で、こんなに気分がざらつくような感覚を味わったのは初めてのことだった。
「 ―― !?」
 刹那、魔術研究所の敷地内にある湖上の大鐘楼の鐘が、狂ったように鳴り響いた。長い間、けっして鳴り響くことのなかった静寂の鐘が、まるで悲鳴を上げるように音を出したのである。
 ロナは胸を突かれたように目を剥いた。
「……ロナ、湖が燃えているわよ」
 ルナは窓の外を見やり、信じられないというように茫然と呟いた。
 本当に燃えているわけではなかった。まるで蜃気楼のように、あざやかな紅影が湖面に立ち上ぼっているのである。
 それは夢幻的な光景で、しかし、どこか恐ろしい感覚を見る者に与えた。
 外に集まっていた人々はその光景に驚き、やはり凶事の前触れと恐れ騒ぎ立てる。魔術研究所の所員たちは、その対応に大わらわとなった。
「D・Eで何かあったのかもしれんな」
 ぽつりと、ロナは悲観的な言葉を漏らす。
 いつの間にか自分の隣に立ち、窓外を眺めていた兄の言葉にルナは息を呑んだ。
「あの湖とD・Eのどこかが、同空間にあるという話を信じているの?」
 古月之伝承の最後の方に記された、子供のたわごととも思えるその言葉を思い出し、ルナは軽く首を振った。まさかこの兄が、そんなことを信じているとは思わなかったのだ。
「今までは半信半疑だったがな。今……あの紅影ほのおの向こうに人が見えた。D・Eに行ったはずの、ティアレイルたちの姿がね」
「 ―― !」
「あの大鐘楼は魔術研が創設される以前からあったものだ。カイルシアの弟ルーカスが建てたものだと言われているが、同空間に存在するD・Eとレミュールとの環境混同を防ぐ封印だという説と、二重結界のために遠視出来ないD・Eの様子を見るための魔法陣だという説がある」
 ロナは淡々と、代々魔術研究所総帥の間で伝わってきた話をする。
 ルナは無言のまま、いろいろな出来事を整理するようにうつむいた。
 自分は科学者だが、一応カイルシアの血を引く『ラスカード家』の人間である。魔術者の直感や、影視・遠視能力などの信憑性の高さは熟知していた。
 それに彼女は兄の言うことなら大抵は信じることにしている。
「ロナはどっちの説が正しいと思うの? それとも、独自の説があるのかしら?」
 いつものように艶やかな笑みを口元に刻み、ルナは兄を見やった。
 ロナは微笑を浮かべた。
「ルナ、確かめに行ってみるかい?」
「でも……結界があるんでしょう?」
 どちらの説が正しいのか、大鐘楼の中に入ってみればすぐに分かることだった。
 それなのに今まで真偽を確かめた者がいなかったのは、大鐘楼にはルーカスの強力な結界が張られ、彼が死んでから結界の中に入れる者がいなかったからだ。
「ああ。だが、さっきの紅影のせいで大鐘楼の結界が弱まったみたいだからな。今なら入口を開くことが出来そうな気がする。もしあそこがD・Eを見る魔法陣なら、ティアレイル大導士たちの様子を見ることが出来るだろうし、行く価値はあると思うが」
 彼らに何かあったのではないかという考えが、ロナの頭からずっと離れなかった。
 自分ですら行ったことのない『死した土地』に彼らを送り込んだのは失策だったかもしれない。そうロナは思っていた。
「魔法陣だといいわね。あの子たちがショーレンと合流できたのかも気になるし」
 いつにない真剣さを帯びた妹の口調に、ロナは苦笑を浮かべた。やはり、彼女も自分と同じ後悔を抱いているようだった。
「……外から行くと周りがうるさいからな。ここから直接入るぞ」
 ロナはそう言うと、ルナを連れて大鐘楼に転移する。
 思った通り大鐘楼の結界は弱まっていた。今まで入れなかった大鐘楼の内部に、すんなり転移できたことでも、それは明らかだった。
 内部に着くとロナは真っ暗な闇を照らすように炎灯をつける。
 数百年もの間、誰も使っていなかったというのに、まるでそこだけ時が止まっていたかのように埃のひとつもなく、しんと静まり返った空気が、妙に肌に冷たい。
 ルナは寒気を感じ、ひとつ身震いをした。
「ここが大鐘楼の中心なの? 特に何もないように見えるけど……」
 本棚やテーブルなどの家具が置かれているだけで、魔法陣や封印など、魔術の存在を表わす物は何も見当たらなかった。
 ロナは念入りに部屋を見ていたが、ふと、気付いたようにテーブルの上におかれていた銀の燭台を取り上げる。
「……ルーカスはおもに炎を扱う魔導士だったらしいな」
 言いながら、ロナはその燭台に残っていた親指の爪ほどのろうそくに火をつけた。
 数百年振りに灯されたろうそくの火は、ごうっと音を立てて螺旋を描くように立ち上ぼる。その螺旋の炎の中に、見知らぬ大地が浮かび上がった。
 遥かに広がる青い空と、その下に広がる色褪せた荒野 ―― 。
「 ―― これ、D・E!?」
 驚いたようにルナが叫ぶ。
「そうみたいだな。ルーカスはここでD・Eを遠視していたようだ」
 ロナはその光景を食い入るように見つめ、そう言った。
 見たい場所を見るというよりも、炎はD・E全体をゆっくりスクロールするように映像を作りだしている。
 その映像のほとんどが、何物も存在しない荒野だった。川や泉らしき跡はあるが、水が湛えられた所はほとんどなく、ひび割れた底がその姿を露にしている。
「死した大地とは聞いていたけど、これほどとは……」
 ルナは茫然と呟く。自然の息吹というものが、ほとんど感じられない。
「この環境の中ではあまりに不自然な、豊かな自然につつまれた場所が幾つかあるようだが……?」
 ロナは不審そうにその場所を見つめた。もっとよく見えるようにと、感覚を研ぎ澄ませる。しかし、まるでそれを拒むように、ロウソクの炎はかき消され、そしてD・Eの映像はとぎれた。
「……残念だ。もう少しで大導士たちの姿も見られたかもしれないのに。あの樹木の中に彼らの気配を感じたのにな」
 再びロウソクに火をつけようとしても、まるで炎が拒否しているかのように何故か火が付かなかった。軽く舌打ちをして、ロナは燭台をテーブルに戻す。
 ルナは訝しげに兄の顔を見上げた。
「ここはD・Eと同空間なんでしょ? それなら普通に遠視できるんじゃないの?」
「ここは弱まってるとはいえ、ルーカスの結界の中だからな。彼が決めた方法でなければ遠視出来ない。そして彼の『炎舞視』の媒体であるロウソクはもう使えない。それでも見たければ、この結界内の『力場』を変えるしかないのだが……」
 それでは時間がかかり過ぎる。ロナは溜息をついた。
「そう。仕方ないね」
 ルナも深い溜息をつき、壁に寄り掛かる。
 そのとき突然、何かが落ちて来た。まるで自分の存在を知ってもらいたいというように、ルナの肩をかすめて床に落ちる。それは、深紅の表紙のノートだった。
 ルナはひどく興味を引かれ、そのノートを拾い上げてページを開く。
「 ―― !?」
 そこには、古月之伝承には書かれていない自転停止の真実が記されていた。
「ロ、ロナっっ!」
 ルナは慌てて兄にそれを手渡した。
 それは、あまりに驚くべきことだった。まさか、D・Eの滅びが不幸な事故ではなく、起こるべくして起きた故意的な物だったとは ―― 。
 そしてノートの最後には、もっと驚くべきことが書きなぐるように記されていた。
 自転停止の後、D・Eと同空間にあるこの場所で、ルーカスはすべての生命を失ったアルファーダの様子を見ていたのだ。自分たちのしたことがどんな結果をもたらしたのか、それを見届けるつもりだった。
≪ ―― 我が兄カイルシアの全魔力発動によって死の大地となったアルファーダには、何故か一箇所だけ、緑豊かな場所が残っていた。
 そこには、ひとつの小さな生命が息づいていた。まだ生後まもないのであろう。白い布にくるまれた銀の髪の赤子が、柔らかな草木の中で眠っていた。
 まるで自然そのものが赤子を育んでいるように、そこだけが樹木で覆われ、風が子守歌のように優しく吹いている。
 それを見て、私はこの赤子が兄の言っていた『自分を超える存在』なのだと気が付いた。魔術の源である大自然を従えし者。いや、大自然に愛されし者……。
 この赤子が成人となったとき、どう行動するのか。それが、我らの新しい世界『レミュール』の未来を左右することになるだろう。
 私は、東と西を直接結ぶこの空間を閉じることにする。それが、今の私に出来る最後の『守護』である。
 この『文書』は亜空間に封印しておく。もし、再びこの文書が現れたならば、それは私の『守護』がついえたことを意味する。即ちレミュール崩壊の前兆である ―― ≫
 ルーカスの言葉は、それで終わっていた。
「信じられないわ。そんな、赤ちゃんが独りで生きていかれるはずがないじゃない」
 ルナは茫然としたように兄に訴える。
「確かに信じがたい話だ。だが、たわごとだと決めつけることは出来ない。確かに今、レミュールは破滅の危機にさらされているわけだしな」
 白色の瞳を僅かに細め、ロナは紅の表紙のノートを眺めやる。ルーカスは、いったいどんな気持ちでこれを残したのだろうか……。
「じゃあ、ティアレイルくんが言っていた『あいつ』が、その赤子だとでもいうの? 自転停止が起きたのは、もう何百年も前の事なのよ。自然に愛されたというその赤子だって、現在いるはずがないじゃない」
 ルナはいつもの彼女らしくなく、すべてを否定するような口調で兄に突っかかった。ルーカスの残した文書を信じられなかった。否、信じたくなかったのである。
 科学的にそんなことは有り得なかったし、心情的には、そんな哀しい存在がいることを信じたくなかった。
「ルナ、君らしくないな。我々だけは真実から目を逸らしてはいけない。そう約束しただろう?」
 ロナは優しい表情を浮かべ、そう言った。
 二人が総帥・総統となり<古月之伝承>を知った時、自分たちだけでも真実を見つめよう。そう誓ったのである。それが、犠牲となったD・Eへの最低限の礼儀だと思った。そして、カイルシアの子孫である自分達の義務だと……。
 ルナはふと瞳をあげ、自嘲的な笑みを浮かべた。自分がここで取り乱すことは、ひどく愚かしい。
「……そうね。ごめんロナ、今の私は忘れて」
 ほうっと息をつくと、いつもの毅然とした『総統』の表情を取り戻し、ルナは言う。ロナは、微かに頷いた。
「このルーカスの言葉の正否を知るには、やはりD・Eを遠視する必要があるだろうな。そのためには少し時間は掛かるが、この結界内の力場を変えるしかないか。ルナ、離れていなさい」
 そう言うと、ロナは軽く瞳を閉じて部屋の中央に立った。
 幾度か左手で空を切る動作をしながら、何かを唱えるよう僅かに唇を動かす。
 ロナの体からゆっくりと光が立ち上ぼり、足元から外側に向けて円を描くように魔力の『場』が生まれた。
 もとからあった『ルーカスの力場』と、わり込もうとするロナのそれとがぶつかり合い、放電するような音をたてて空気を震撼させた。
 それが何度も繰り返される。あとは、気力と集中力の問題だった。
 相手は既に存在していない分、こちらの集中力が続けばいつかはその『場』は崩れる。ロナは桁外れな集中力を発揮し、つくっては弾けて消える自分の『場』をおよそ一昼夜のあいだ創り続け、数百年間保たれていたルーカスの力場を完全に自分の物へと変えていた。




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