『使い魔』
「レイフォード様。入ってもよろしいですか?」
部屋の大きな窓枠に腰掛けてぼんやりと夜空を見上げていたレイフォードの耳に、軽く扉を叩く音とどこか遠慮がちな少年の声が聞こえてきた。
レイフォードは一瞬、怪訝そうに片方の眉をあげた。
この屋敷に子供などいただろうか? しかも声は自分の名に様をつけて敬語も使っている。ここには自分と対等に接する人間しかいないはずだった。
友人であるセンリと、その妹だけ ―― 。
そこまで考えて、自分自身にあきれたようにレイフォードはふるふると頭を振った。
「……ったく、あいつらが居るわけないだろうが」
彼らは既に失われており、この屋敷には自分と、数日前から使い魔になったコウモリだけが住んでいるのだということを改めて思い出し、青年は一人ごちる。
「勝手に入って来てかまわないと、この間も言ったはずだ」
レイフォードは苦笑するように扉に向かって言った。もし部屋に入って来られたくない時があれば、それなりに封じる対処を扉に施しておくから、普段は勝手に入って来て良いと何度言っても、この使い魔は必ず自分の許可を取ろうとする。
単に融通が利かないのか。それとも生真面目すぎるのか。おそらく後者だろうと思い、レイフォードは仕方がなそうに息をついた。
「すみません。でもやっぱり勝手に入るのは気が引けちゃって……」
ダストは部屋に入りながら申し訳なさそうに頭を下げた。
「……ダストか?」
入室の許可を得て入ってきたダストの姿に、レイフォードの深紅の瞳が一瞬きょとんとまるくなった。そして、ややして可笑しそうに細められる。
入ってきたのは、人間で言えば十二・三歳くらいの少年で。賢そうな……けれどもどこかやんちゃな容貌をしていた。漆黒の髪と瞳が人のそれよりも深い闇の色だという他は、人以外の存在には見えない。
昨夜までは、彼はずっとハタハタと宙を飛ぶコウモリの姿をしていたのだが ―― 。
「あ……はいっ! やっと人型を取れるようになりましたっ」
嬉しそうに、ダストは笑った。レイフォードと血の契約を結んだことで、かなり強い魔力を得ることが出来た。けれど今まで最下級の力しか有していなかったダストにはその使い方がいまいち分からなくて、なかなか人型を取ることが出来なかったのだ。
かなり練習をしたのだろう。少し疲れたような、けれども晴れやかな使い魔のその表情に、くすりとレイフォードは笑った。
「若いんだろうと思ってはいたが、まだ子供だったのか。おまえ」
軽く手を伸ばし、その頭を撫でてやる。
「それにしても、よく数日でここまで出来るようなったもんだ」
「はい! でもまだ昼間はあまりちゃんと起きていられないです。ごめんなさい」
夜更けに眠って昼間に行動する主人に、ダストは申し訳なさそうに言う。使い魔が、主人が起きているときに眠っているなどというのはもってのほかだ。
自分はもともと夜行性のコウモリなのだから仕方がないとも思うけれど ―― やはり一緒に起きて居たいと思う。しかし太陽の光が強い時間は、ダストにはやはり辛いのだ。
「ばーか。そう簡単に起きていられるわけないだろうが。普通はヴァンパイアだって寝る時間なんだからな。 ―― まあ、どうしても起きて居たいなら、少しずつ慣らすしかないさ」
にやりと唇を吊り上げて、レイフォードはぽんぽんとダストの頭を軽く叩いた。
「レイフォードさま……」
ダストは自分の心にふうっと嬉しさがこみ上げるのが分かった。まるで人間の大人が子供を励ますときによくするようなその行為が、とても温かいと思った。
好んで人間に近い生活をしているこのヴァンパイアを、嫌っている同族は多く居る。けれどもダストは、そんな人間くさい行為がとても優しい気がして嬉しかった。
「はい。頑張りますっ! 掃除や料理も、一生懸命覚えますから。これからも、よろしくお願いします!!」
にこにこと、ダストは尊敬するご主人様に笑顔を向ける。
これから覚えないといけないことはたくさんある。それは魔族としての行為ではなく、他の魔族からしてみれば唾棄したくなるような『家事』という行為。
それでも、このご主人様と一緒に居るためなら頑張れるような気がした。
「まあ、のんびりと期待しておく」
はっきりと『家事を勉強する』といわれて、レイフォードは少し苦笑するような、しかしとてもあざやかな笑みをその口元に広げた。
自分がこの下級魔(コウモリ)を使い魔として認めたのは、ダストの"魔"らしくない素直な明るさ故かもしれないと、レイフォードはふと思う。
けっきょく自分は、同族らしい同族が嫌いなのだろう ―― 。
「あ、そうでした。レイフォード様。台所にあった葉っぱを使ってお茶を淹れてきたんです。あれってお湯を入れれば良いんですよね?」
にこやかに、ダストは生まれて初めて淹れてきた"紅茶"を主人に差し出した。
「ああ。そうな……!?」
手渡されたカップを見やり、レイフォードは一瞬固まったように目を見開き、そうして右手で軽く額を押さえて仰向いた。
左手に在るのは……紅茶の葉がぎっしり詰まったカップの中に、その葉を浸すように湯がそそがれているという、恐怖の代物だった。
「……やっぱり炊事だけは早めに覚えてくれ」
レイフォードはどこか可笑しそうに深紅の瞳を笑ませてそう言うと、その"紅茶"らしきものを一口だけ飲んだ。
自分の淹れたものを飲んでもらえたのが嬉しくて、ダストは頬を紅潮させながら頷く。早く、美味しいものをたくさん作れるようになろうと、そう思った。
それからどんどん家事のスペシャリストになっていくダストの、これはもう ―― 500年以上も前の古いお話。
『使い魔』 おわり
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