++ 君のその手に在るものを ++
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「今日もマジシャンのお兄さん居るかな?」 近所のスーパーで夕飯の買い物を済ませて帰る途中、妹の晴奈はまんまるく大きな黒瞳を輝かせてそう言った。 両手にしっかりと持ったスーパーのビニール袋を軽く蹴飛ばすように歩きながら、藤乃森の公園に続くゆるやかな階段を嬉しそうに見上げる。 いつも楽しい"魔法"を見せてくれる"マジシャン"が、晴奈は大好きだった。 「トマトが入ってるんだから蹴っ飛ばさないの」 足癖の悪い妹を軽くたしなめるように、美鈴はぺちりと晴奈の足を叩く。 はーいという間延びした返事と共にぴょこんと舌を出しておどける妹の無邪気な様子に、美鈴はさらに眉をしかめ、ふいっとそっぽを向いた。 どうして妹がそんなに明るくしていられるのか。美鈴には不思議で不思議で仕方がなかった。昨夜、二人でずっと可愛がってきたカナリアの"チイ"が、籠の掃除をしようとした時に飛び出したきり居なくなってしまったというのに。 昨日はあんなに泣いてたのに ―― もうケロリとしているのだから薄情に過ぎる。 「ねえ、おねえちゃん。少し寄り道していってもいい? 晴奈、マジシャンのお兄さんに会いたいな」 「……マジシャンなんて胡散臭いだけじゃん。手品なんてタネも仕掛けもあるんだよ。魔法だなんてばっかみたい」 自分の気持ちも知らず、うきうきと訊ねてくる妹に腹が立って、思わず美鈴は嘲るようにそう言っていた。 手品なんて見る気にもなれないし、母親に頼まれたこの買い物をさっさと済ませて、チイを探しに行きたかったのだ。 「お姉ちゃんは見たことないからそう思うんだよお。今日は一緒に見に行こうよ。本当に本当の魔法なんだもん」 晴奈は大好きなマジシャンの名誉を守るように、幼い頬を上気させて姉を見やった。マジックを観る者たちの中にも『あれには仕掛けがあるんだ』と言ってそれを見破ろうとする子供たちが居ないわけではなかった。 けれども晴奈は、ぜったいに魔法なのだと思う。一度だって、自分は仕掛けらしきものを見たことがないのだから。 「ね。いいでしょ? もしかしたら……頼んだら、チイを魔法の手で出してくれるかもしれないよ」 きゅっと姉の服をつかんで、晴奈はまんまるの瞳を懇願の色に染める。 「………………」 もしかすると晴奈も晴奈なりに、チイのことを考えていたのだろうか? 美鈴はちょっぴり表情を和らげた。 マジシャンに出してもらうなどと、馬鹿げた発想ではあるけれど。サンタクロースの存在をまだ信じている妹には、当然のことなのかも知れない。 「……十五分だけだよ」 手品で、居なくなってしまったチイが帰ると思ったわけではないけれど、妹の必死な眼差しにほだされたように美鈴はこくりと頷いた。 「ありがとう、おねえちゃん!!」 晴奈はぱあっと嬉しそうに顔を輝かせて、交代で持っていたスーパーの買い物袋を姉に預けると、飛ぶように階段を駆け上って行った。 「この 二人が藤乃森の公園に辿り着くと、噴水近くのあずまやで二十歳を少しこえたくらいの青年がひとり、五人ほどの子供たちに囲まれるように明るい笑顔で立っていた。 胡桃色のうしろ髪をひと房だけ伸ばし、蒼いリボンで結んでいるのがいかにも胡散臭いと美鈴は思った。 妹の晴奈に言わせれば、お兄さんに似合っているからいいのだと笑う。確かに、どこか人好きのする柔らかな表情に、不思議とリボンの蒼が似合っていた。 マジシャンは増えた二人の観客ににこりと笑顔を見せてから、松毬をもった右手にふわりと自分の左手を重ねるように置いた。 「それじゃあいくよ?」 ややハスキーな、けれどもよくとおる優しげな声音で青年は言う。 ごくりと息を呑んで彼を見つめる子供たちの視線が、これから何が起こるのか。じっと待つように一点に集中する。 「いち。に。さんっ」 さんと同時に手を開き、青年はゆったりとした動作で松毬も何も無くなった手のひらを子供たちに向けた。つい一瞬前までは確かに彼の手の内に在ったのに。それは跡形もなく、綺麗さっぱり消えているのだ。 ざわざわと。子供たちは松毬を探すようにざわめいた。 「なくなっちゃったかぁ。どこいっちゃったんだろう?」 楽しそうに言いながら、青年はくるりと子供たちを見回すように視線をめぐらせる。そのチョコレートのような甘い茶色の瞳がぴたりと美鈴の所でとまると、彼はにっこりと嬉しそうに笑った。 「あ。みーつけた。そこのピンクの服を来た君、ちょっと前に来てくれるかな?」 「え? わたし??」 とつぜん笑顔を向けられて、美鈴は慌てたように周囲を見回した。しかしやはり、ピンクの服を着ているのは自分だけだ。 「うん。僕にその買い物袋を見せて」 青年はそっと右手を差し出して、やって来るのを待つようにわずかに首を傾けて少女を見やる。 自分に差し出されたその右手の細い指が、長くて綺麗だと美鈴は思った。 「……はい。どうぞ」 「ありがとう」 おずおずと買い物袋を差し出した美鈴に青年は優しく目を細めると、「やっぱりあった」と言って相好を崩した。 「こんな所に紛れていたようだよ。松毬はトマトが好きなのかな」 にんじんやジャガイモ。そしてトマト。さっき買ったばかりの野菜たちが入った買い物袋の口を開いて、ほらねと美鈴に見せる。 松毬は、トマトの隣に寄り添うように確かに袋の中に入っていた。 青年に促されて、美鈴はそれを拾い上げるように袋から出して皆に見せる。わあっと、子供たちの歓声が上がった。 「……ばっかみたい」 大喜びで手を叩く周りの子供たちに、なんだか美鈴は逆に冷めてしまった。こんなものは、袋を渡したあとに彼が入れたに決まっているではないかと思うのだ。 実際に入れているところを見たわけではないので黙っていたけれど ―― 。 そう思って青年を見やると、彼は美鈴の思いを察したのか否か。ふわりと小さく笑って見せた。少し長めの前髪を軽くかきあげるように笑んだその表情が、まるで子供のようだと思う。 「ああっ! やっぱりそうだよ。おれ、昨日テレビで兄ちゃん見たぞ!!」 ふいに、一番前に陣取っていた少年が、頬を真っ赤に上気させてそう叫んだ。 「希代のクロースアップマジシャンだって言われてた、えっと……ナルサワマホだったっか、なんとかっていうあれ、兄ちゃんだよなっ!?」 着ている服も。青年本人がかもしだしている雰囲気も。テレビで見た澄ました印象の青年とあまりに違っていたからなかなか気付けなかったけれど。髪をかきあげたその仕草が同じだと気がついた。 「ぜったい、そうだよ!!」 興奮のあまり、少年はがっしりと青年の両の腕を握り締める。 くすくすと、マジシャンは笑った。 「うん。そうだよ。でも、よくあれが僕だと分かったね」 営業中とプライベートではかなり雰囲気を変えているのだけれどねと、マジシャンの青年 ―― 「やっぱりそうなんだ! なんでここではカードマジックとかやってくれないんだよお? 昨日のテレビですごかったあれ、見たいよー」 いつも公園で見せるのは、その辺にある物を使ってのマジックだった。今日は道に落ちていた松毬。昨日は確か子供がもっていた中華まんだったか。 少年につられたように、他の子供たちも口々にその"すごいマジック"とやらを見たいと騒ぐ。この青年がテレビに出るほど有名なマジシャンだとは、みんな思いもしなかったのだろう。無邪気な好奇心が顔中に溢れている。 「うーん。ごめんね。営業中しか、アレはやらないんだよ」 ちょっぴり困ったように、青年はぽりぽりと指先で軽く頬を掻いた。 「わかった。仕掛けが出来てないからだろーっ!」 「あはは。そういうわけじゃないんだけどねえ。オンオフの切り替えは大事なんだよ」 うそぶくように片目を閉じて、悪戯な笑顔を浮かべた青年は不意にパチンと指を鳴らした。 ふわりと。鮮やかな黄色のコスモスが一輪。その手に現れる。 「その代わりに、一輪ずつこれをみんなにプレゼントするよ」 最初に出したコスモスの花びらにふうっと優しく息を吹きかけてから、左手で一瞬だけ隠すように覆う。そうして再び真秀の右手が子供たちの前に現れた時には、それは七本の花になっていた。 「……す、すごい……」 美鈴は思わず呟いた。 こんなに近くでその手許を見ていたのに、まったく仕掛けが分からなかったのだ。一瞬、妹の晴奈が言う通りに、魔法なのだと信じてしまいそうになる。 営業などと言うからには、やはり彼はタネも仕掛けもある 「ね。ね。すごいでしょう? やっぱり魔法でしょう?」 晴奈は姉が感嘆の声を上げたのが嬉しくて、満面笑顔になる。 「だからね、おねえちゃん。チイのこと頼んでみようよお」 おねだりをするように姉の腕を大きく揺すりながら、晴奈はにこにこと同意を求めてくる。美鈴は少しためらってから、こくんと頷いた。 本気で信じたわけではないけれど ―― やってみても良いかもしれない。 「は……晴奈がしつこいから、OKしたんだからね。別に私は魔法なんて信じたわけじゃないんだから」 自分自身にいいわけをするように、あたふたとそう言って、美鈴はわざとしかめっ面をして見せる。 「うん。それでもいいの。おねえちゃん、大好き」 晴奈はえへへと笑って、姉の腰に抱きついた。 「はい。お二人さんにも秋桜のプレゼントだよ」 ふいに優しい声が降ってきて、美鈴と晴奈は顔を上げた。 すぐ目の前で、腰をおろすように自分たちに視線を合わせるマジシャンの、甘いチョコレートのような瞳がにっこりと笑い掛けていた。 「あ……ありがとう」 「ありがとございまーす」 二人がそれぞれ花を受け取ると、青年も嬉しそうに目を細めた。なんだか照れくさくなって、美鈴はふいと視線を逸らす。 周りにいたはずの他の子供たちは珍しい黄色のコスモスをもらって満足したのか、すでに公園のあちこちに散らばるように遊びまわり、ここに残って居たのは美鈴と晴奈の二人だけだった。 「どういたしまして。それよりも、いま話していたお願いって僕にかな?」 さきほどの姉妹の会話が聞こえていたのだろう。真秀はやんわりと二人の顔を見やる。 「うんっ。お兄さんにお願いなの」 晴奈は伸び上がるように両手を挙げて、青年の服をひっしとつかんだ。 「うん? 僕に叶えられるお願いならいいんだけれど」 「あのね。昨日、おねえちゃんと晴奈のチイが居なくなっちゃったの。それを魔法で出して欲しいなって、そう思ったの」 優しく頭を撫でてくれたマジシャンに、晴奈は勢い込んでお願いをする。 手品でそんなことが出来るわけもない。妹の申し出に、きっと彼は困るだろうなと申し訳なく思いながら、美鈴はそれでもやはり、一縷の望みをかけるようにじっと青年を見やった。 「うーん……」 案の定、彼はいささか困ったというように眉根を寄せた。 「きみたちの"チイちゃん"tかあ……」 口の中で呟くようにそう言うと、長い指で軽くこめかみを押さえてゆうるりと天を仰ぐ。 お手上げということだろう。当然のこととはいえ、美鈴は青年の仕草にほんの少し落胆した。本気で魔法を信じたわけではないけれど、やはり気落ちはするものだ。 晴奈もその雰囲気を感じ取ったのか、哀しそうに青年を見やる。 「無理、ですよね? やっぱり」 ほんの僅かな沈黙も耐えられなくて、思わず美鈴はそう訊いた。妹の晴奈に変な期待を持たせるよりも、きっぱりと不可能だと言ってもらった方がすっきりするというものだ。 「…………」 青年はそんな問い掛けに、ふっと視線を天から少女に戻す。 少女たちがそれぞれ真摯な眼差しで自分を見ているのを感じて、青年の口許がふわりとほころんだ。 「よーし決めた。とっておきのマジックを見せてあげるから、こっちにおいで」 どこか不思議な笑みを宿して、真秀は少女たちを木陰に手招いた。 「え……? あ、はい」 困り顔から突然あかるい笑顔になったマジシャンに驚きながらも、二人は彼が示す場所へと歩み寄る。 「でも、今から見せるマジックは他の人には秘密だよ」 ぱちりと軽くウインクをして、青年は口許に軽く人差し指をあてた。 その仕草がまるで子供のようで、美鈴はくすくすと笑って頷いた。それを見て、晴奈も姉の真似をするように、笑いながらこくりこくりとやって見せる。 真秀はそんな二人を可笑しそうに眺めると、片膝をつくように、ベンチに座った二人に視線の高さを合わせた。 「二人とも、さっき僕が渡した秋桜を返してもらっていいかな?」 差し出される右手に、二人はそっとコスモスを返す。 マジシャンはいちどそれを恭しく額の前に戴いてから、再び胸元まで降ろし、どこからか取り出した空色のスカーフをさらりとかけた。 「チイちゃんが戻って来るようにって、つよーく想っているんだよ?」 にこりと笑顔で念を押すと、青年は軽く目を細める。 「あ……!?」 目の錯覚だろうか。一瞬だけ、彼のチョコレート色の瞳が光を帯びたように見えて、美鈴は大きく瞬いた。 けれどもすぐに、そんなことは意識の隅に追いやられてしまった。何故なら ―― 。 「チイだっ!!」 いち。に。さんと言いながらスカーフを開いた青年の手には、黄色い花びらのコスモスではなく、美しい羽を持つカナリアが、ちょこんと首を傾げるように載っていた。 間違いはない。左の翼に白い雫型の模様があるこのカナリアは、美鈴の、そして晴奈の大事な"チイ"だ。 「お兄さんは、やっぱり本当に本当の魔法使いだったんだあっ!?」 歓喜の声を上げながら、晴奈ははしゃいだように叫ぶ。青年はくすくすと可笑しそうに笑った。 「そう思ってもらえたなら、 「ってことはやっぱり、これにもタネや仕掛けがあるの?」 「さて。それは企業秘密だ」 ぽんぽんと、笑顔のままで二人の少女の頭を軽くたたいて、マジシャンの青年は立ち上がった。 「はい。それじゃあ、チイちゃんを返すね。しっかりと可愛がってあげるんだよ? これはオマケ」 何故かさっきよりも少し掠れたような声でそう言うと、彼は子供でも運びやすそうな簡易ゲージをどこからか取り出して、チイを中に入れる。 「うんっ。もちろんだよ。ありがとう、お兄さん!!」 「……ありがとう」 元気に晴奈が言って、美鈴は再び目の前で行われたマジックに不思議そうに首を傾げながらお礼を言う。 「どういたしまして。それじゃあ、僕はそろそろ帰るかな。君たちも、気をつけてね」 にこりと笑いながら軽く片目を閉じて見せると、青年はひらひらと手を振った。 「うん。ばいばーい」 晴奈も美鈴も青年の背に大きく手を振ってから、ゆっくりと家路につく。買い物袋を美鈴が持って、晴奈がチイの籠を抱くように歩きながら、きっとお母さんもお父さんも驚くだろうなと、二人で笑顔を見合わせた。 「お兄さんのマジックのことは内緒って約束だから、親切な人が探してくれたって言うのよ。晴奈」 「うん。わかってるよお」 晴奈は宝物を抱くように、チイの入った籠に頬を寄せた。 「―― あっ!!」 ふと、美鈴はあることに気がついて大きな声を上げた。 (私たち、お兄さんに"チイ"がカナリアだってことも言ってなかったのに……) こぼれんばかりに目を見開いて、美鈴は青年がいた場所を振り返る。けれども既に、青年の姿はそこになかった。 「……まあ、いっか」 とっても不思議だけれども。きっと、自分たちには分からないタネと仕掛けがあるのだろう。思わず可笑しくなって、美鈴はくすくすと笑った。 「おねえちゃん、どうしたの?」 「なんでもないよ。さ、晴奈。早く帰ろう」 ぽんっと促すように妹の晴奈の背を押して、美鈴は歩き出す。これからは、なんだか手品が好きになりそうだと、美鈴は思った。 『カナリア』 おわり
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