降り頻る月たちの天空に-------第1章 <1>-------
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「アスカ、なに見てるんだ?」
 ショーレンは訝しげに声を掛けた。今まで自分の隣で真剣に画面を見入っていたはずのその目が、何やら楽しげに宙を見つめている。
 自分もそちらの方に視線を向けてみたが、そこには何もない、いつもと代わり映えのないコンピュータルームの白い天井があるだけだ。
「いや、別に。いたずらネズミが天井をとおった気がしただけさ」
 アスカはぺろりと舌を出した。
「なあに言ってんだか。ここにネズミがいるかよ。研究棟に行けばラットは居るかもしれないがな」
 冗談と知りながら、ショーレンは大げさに両腕を広げた。
 あまりに解決の糸口が見えてこない調査に少し疲れたのか、息抜きでもしようというのだろう。軽口を叩くその目にも楽しげな光が浮かんでいた。
「ふふん。おっきいのが居るかもしれないぜ。知らぬはショーレンばかりってな」
「いるもんなら見せてみな」
 このコントロールタワーには、人間以外の生物が入って来れないように設備が整えられている。中枢機械をいたずらでもされたら困るからだ。
「ほら、そこ」
 にやりと笑って、アスカはショーレンの足元を指差した。
 洗いざらしのジーンズの足許に、ちょろりと白い物がうごめいている。それは、小さなハツカネズミだった。チィと鳴き声をあげて、赤いまんまるな目がショーレンを見る。
「……おーまえなぁ、こんなことに魔術使うなよ」
 ショーレンは呆れたように、しかし可笑しくて仕方がないというようにネズミをつまみあげた。ただの軽口に、わざわざ本物のネズミを出してくるあたりが、アスカのアスカたる所以だ。
 本人をよく知らない人間から見ると、鋭角的な顔つきのせいか冷たそうだと言われるこのアスカの、どこかとぼけた言動はショーレンには笑いしかもたらさない。
「おまえはホントおかしな奴だよ。なあ、ルフィア」
 思わず吹き出しながら、ショーレンは反対隣にいる女性に同意を求めた。
「ショーレンだって、負けずに変だと思うけどね。私は」
 どこかの悪ガキのようなやりとりをしているこの二人が、優秀な学者と魔術者なのだと思うとおかしくて仕方がなかった。
 こんな姿を一般の、特にアカデミーに対して信仰のような感情を抱いている者たちが見たら、さぞや驚くことだろう。
 ルフィアはくすりと笑った。
「そーれーに、今は停電のことをマジメに考えてほしいな。ショーレン博士に、アスカ導士」
 わざわざ敬称をつけて、笑いながらそう呼びかけてくるルフィアに二人は顔を見合わせた。
「まーったく、ルフィアちゃんにはかなわないな」
 おどけたように言うと、ショーレンはコンピュータに向き直る。脱線してしまった思考を切り替えるように軽く頭を振ると、邪魔くさそうに袖を肘までまくりあげ、目の前のキーに触れた。
 軽やかに、あらゆるキーを操作しながら膨大な量の情報を引き出し、そして考え得る限りの式をあてはめていく。それによってディスプレイに打ち出される多くの情報を、先程とは打って変わった真剣な表情で、3人はそれぞれ見つめていた。
 アスカはその内容を左眼に装備したコンピュータにリンクさせると、情報を整理するように壁に寄り掛かって目を閉じた。
 ショーレンの打ち出す情報に、魔術者としての見解を加えて新たな式を作り、自分のコンピュータで解析をする。そうすることで何か新たな情報が見付かるかもしれなかった。
 それをチラリと横目で見て、ショーレンは笑った。
 この友人の凄いところは、科学も魔術も併せて扱ってしまうところであろう。
 ティアレイルがどんなに天才的な魔導士でも、そして自分が、どんなに優れた科学者であっても、このアスカにはかなわない。そうショーレンは思うのだ。
「ん? 何だよ、ショーレン」
 自分を見る視線に気が付いたのか、アスカは分析をやめて顔を上げた。
「おまえってオールマイティーな人間だなあと思っただけさ」
 ショーレンはキー操作する手を休めることなく、力強さを感じさせる笑みをその頬に刻む。
「便利なものは使うってのが俺の信条だからな。まあ、そう考えるってことは、俺はいわゆる一般人ってことなのさ」
 アスカはそう言いながら、肩を竦めてみせた。
 人は自分にとって便利なものを使って生活している。遠いところに行こうと思えば車や飛行機などの乗り物を使うし、暗いと思えば明かりをつける。科学で解明できない不可思議なことに対しては魔術研を頼る。
 人々はそうして、平和で便利な生を楽しんでいるのだ。アスカは、自分もその中の一人でしかないのだと言う。
 その返答があまりにらしくて、ショーレンは可笑しかった。
「ちょっとストップ、ショーレン!」
 不意にルフィアが驚いたような声を上げ、ショーレンの服をひっぱった。
 その声に、キーを操作するショーレンの指が止まり、アスカに向けられていた視線がディスプレイに戻る。
 ルフィアは画面の左端で点滅する赤い表示を二人の青年に示しながら表情を曇らせた。
「これ、どういうことかしら」
「……何だ? コントロールタワーが発している『指令』を、妨害するモノがあるっていうのか!?」
 ディスプレイに表示されるそのグラフィックに、ショーレンは息を呑んだ。
 各地のコンピューターのすべてを統括しているこのタワーから発せられる『指令』が、ある一定の場所で別の『ちから』とぶつかり合い、消滅しているのである。
 それは、科学派の力を象徴するコントロールタワーが築かれてより、初めての出来事であり、また考えもつかないことだった。
 だからこそ、今まで大本であるコンピュータと、その周辺しか調べていなかった。それを怠慢と責めるのは、あまりに厳しい。
「このままじゃ『夜』を『朝』に切り換えることも出来ないんじゃない? 停電どころの話じゃないね……」
 そう呟くルフィアの表情は僅かに青ざめ、普段は活力に富んだ瞳に不安げな影がさしていた。
 それもその筈である。このタワーからの指令が届かなければ、現在天空を彩る『夜』は、決して明けることがない。
 『朝夜』の訪れがこのコントロールタワーによって人工的に行われているのだということは、科学技術研究所と魔術研究所の人間だけが知る、最高機密だった。
 このレミュールを治めている議会の主席でさえ、そのことは知らない。
 この秘密を守るという点に限っては、二つのアカデミーは協力し合い、民衆に対し様々な情報操作を行ってきたのである。
 それが、過去に起きた『ある事件』を人々の記憶から消し去る為に始められた行為であるということを、事件から数百年経った現在、知る人間は既にいなかったが。
「朝が来なければ、みんな動揺するわ。停電ですら人々に与えたショックは大きかったっていうのに……」
 ルフィアは色の異なる左右の瞳に懸念の色を浮かべ、呟いた。
 停電が起きたことで、今まで無条件で支持されてきた科技研への信頼が揺らいだのは確かだ。そして今度は朝が来ないなどということになれば……。
「だからいつも言っていたんだ。すべての支局を『無人管理コンピューター』だけにしておくのは危険だって。幹部達が科学派の威信などにこだわるから、こういうことになるんだ」
 ショーレンは苦々しげに溜息をついた。
 科学派の幹部たちは、このコントロールタワーでの一括操作こそが民衆にその力を示す最高の物だと信じ、それを誇りにしていたのである。
 それは、前時代の空間レーザーシステムの弱点を完全克服した『R・L・S』……リファイン・レーザ・システムを開発したことによって得た、科学派の強い自信でもあった。
 このコントロールタワー以外の支局をコンピュータのみの管理にし、すべての操作を一箇所だけでやることの危険性を、何度もショーレン等現場の所員が指摘していたにも関わらず、幹部がそれを無視し続けたのは、その自信ゆえの傲慢というより他はなかった。
「地上はまだいいさ。R・L・Sに支障がおきれば、支局に所員を派遣するか光ファイバーに切り換えればいいだけだからな。だが宇宙はそうはいかない!」
 夜を明けさせることが出来ないかもしれないという焦燥感に、ショーレンは拳を壁に叩きつけた。
「……緋月は宇宙そらにあるんだぞ」
 唇を噛み、ショーレンは呟く。
 ―― 緋月。それが、現在この惑星に朝夜の区別を与えているものなのである。
 緋月は月であると同時に『人工太陽』でもあった。だから緋月を太陽に変換作動させなければ、朝は来ない。西からのぼり東へ沈むと思われている緋月は、実際は太陽へと変換され、東から西へと還っていたのだから。
 その緋月は、五十余年前に『R・L・S』が開発されて以来、コントロールタワーで制御されるようになっていた。
 当時の総統が『自分たちは人々の生活を握っている』という自己陶酔を得たいがためだけに、それまで『自動』だった変換システムを、わざわざ『手動』へと変えてしまったのだ。
 現総統に代替わりした時、再び自動変換に戻すという案も出たが、結局は当時の幹部たちに反対され、現在も手動で変換されている。
 それが、このような事態を招くことになるとは ――  。
「指令が打ち消されている箇所は?」
 アスカは寄り掛かっていた柱から身を起こし、ショーレンに訊いた。
「ん? ああ。ポイントD5。コントロールタワーから上空、およそ三万km地点だ。その少し先にレーザー受信衛星があるんだがな……」
 ショーレンはキーを叩きながら、苦笑混じりにそう応えた。
「指令がそこにたどり着く前に消滅してしまうなんて、『天下無敵のR・L・S』が聞いて呆れちゃうよね」
 自らが所属する科学派を揶揄するように、ルフィアはいたずらっぽくそう言った。
 そうすることで自分の心を落ち着かせ、溢れそうになる不安を打ち消そうとしていた。ルフィアは自分が弱い人間だと思いたくなかったし、思われたくもなかった。
 ふと、晴れた夜空を思わせるアスカの瞳が鋭い刃を含んだように閃いた。魔術者としての感覚が、何かを感じ取っていた。
「ショーレン、月に何か異常はないか調べてくれ。奇妙な違和感があるんだ。それに今日はティアがやけに月を気にしていたようだったしな」
 その要請に、ショーレンは無言のままキーを弾く。そしてすべての表示を確認した上で、彼は信じられないというように、しかしまた興味深いというように、その瞳に複雑な眼光を灯してアスカを見上げた。
「ビンゴ……だぜ、アスカ。緋月と蒼月から正体不明の『ちから』が放出されている。それが互いにぶつかり合い、全く別の『ちから』に変化しているようだ。その『波』がレーザー受信衛星の周辺まで影響を及ぼし、ここからの指令をすべて消滅させている。……これはすごいな。初めて見るタイプの『ちから』だ」
 どんな妨害も受けない物として科学派が開発したR・L・Sを打ち消す新たな物質の存在は、普段はコンピューターばかりいじっているショーレンの、科学者としての興味を呼び起こしたようだった。
 機器の扱いが優れているため、コントロールタワーの管理を任されているショーレンだが、彼本来の専門は『惑星流体力学』と呼ばれる分野で、様々な波動ちからの伝播や生成。消滅過程などを研究する科学者なのだ。
「ショーレン、その新しい『波』ちからは純粋な科学的要因で発生したものではないと思うぞ。蒼月がどこの管理下にあるかは、知っているだろう?」
 意志の強さを伺わせる瞳を、新しい玩具をもらった少年のように弾ませるショーレンに、アスカは楽しげに声をかけた。
「魔術研究所だろ、知ってるさ。だが凄いことには変わりはない、そう思わないのかよ、おまえは?」
 自分の興味に水を差された科学者の青年は、拗ねたようにアスカを見やる。
 魔術だろうが科学だろうが、新しい力が生まれた事には変わりがないじゃないか。ショーレンの目はそう訴えている。
 そんな子供のような反応をするショーレンがおかしくて、アスカはくすくす笑った。
「まあな、確かにすごいさ」
 緋月から発せられる力は恐らく科学的な力。そして蒼月からは魔力だろう。
 その二つの相反した力がぶつかることで、新しい『ちから』を生じたという事実は確かに興味深い。
 それが、二つの勢力に何かしらの変化を生むかもしれない。そう思うと、アスカもその『ちから』に興味を引かれた。
 お互いの興味を理解したショーレンとアスカは、好奇心旺盛な悪ガキめいた笑みを交わし合い、そのまま一気に『語り合い』に突入しそうな雰囲気である。
「もうっ。今の状況をすっかり意識の彼方に追いやってしまうんだから、二人とも」
 ぽかり、ぽかりと、ひとつずつ軽くげんこつをくれてやってから、ルフィアは怠けもの生徒を指導する教師のように、ふたりの青年を見やった。
「ほんと、二人ともすぐ脱線するんだもんなぁ。さっきも言ったけど、今は停電のこと考えようね」
 お説教らしい言葉を吐きながらも、可笑しさをこらえているのか、その色違いのふたつの瞳は完全に笑っている。
 ルフィアが本気で怒っているわけではないと見た二人は、短く「ラジャ」と応え、まるで示し合わせたように、揃いもそろって格好つけた敬礼をしてみせた。
「呼吸あいすぎだよ、ふたりとも〜」
 あまりにぴったりと息が合ってしまったのが可笑しくて、3人とも笑い出す。
 先程までは、夜を明けさせることが出来ないかもしれないという不安で重く沈みつつあった空気が、一気に軽くなっていた。
 あまりに暗い思考に走っていたら、いい考えも浮かんで来るはずがない。適度な明るさが必要だよなと、アスカとショーレンは笑って顔を見合わせた。
「ショーレンさんっっ!!」
 不意にコンピュータールームの扉が開き、耳を塞ぎたくなるような甲高い声と共に、神経質そうな顔をした女性が飛び込んできて、その和やかな空気は壊された。
「……いたんですか、ハイウィンド導士」
 女性は部屋の中にアスカの姿を見つけると露骨に嫌悪の色を浮かべ、憎悪にも似た視線で睨めつける。まるで、その視線で射殺してやろうとでもしているかのようだ。
 アスカはうんざりしたように天井を仰いだ。彼女はアスカが科学技術研究所に出入りする事を好まない人間の一人だった。
 確かに魔術研の制服のままここに来る自分が悪いのかもしれないが、その都度この目をされると、うんざりもする。
 しかも、今日はその視線がいつに増して憎悪に満ちていた。
「アスカは俺が呼んだんだ。それより、俺に何か用なんじゃないのか、メルサ女史?」
 ショーレンは悪意に満ちた眼光を遮るように、長身を二人の間に割り込ませる。
 メルサはしかし、勝ち誇ったような笑みを浮かべてショーレンを見上げ、そしてアスカを糾弾し始めたのだった。
「今回の停電は魔術派の陰謀だと判明したんですよ、ショーレンさん。魔術派はその魔力で我らがR・L・Sを妨害し、人々の科学派に対する不審を煽ろうとしているのですよ。身に覚えがあるんじゃなくて? アスカ=ハイウィンド!」
 叫びながらメルサは懐からレーザーガンを取り出し、ぎこちない動作でそれをアスカに向ける。いつも余裕然としたこの魔術研の男が、慌てる姿が見たかった。
 しかし、それで怯むような可愛い神経をアスカは持ち合わせてはいなかった。慌てるどころか、余りのばかばかしさと、そのメルサの居丈高な態度に、思わず笑い出してしまったのである。
 まさかそんな結論を出してくるとは。これが笑わずにいられるか ―― 。
「おいおい、やめてくれよ、そういう単純な逃げに走るのはさ。停電の原因だけなら、アスカにも手伝ってもらって、もう突き止めてあるから」
 三人で原因を突き止めたばかりのショーレンとルフィアは、科学派上層部の出したその結論に、頭が痛くなった。
 彼女が銃を撃てないと分かっているショーレンは、頭を抱え込みたい気分でメルサをなだめにかかる。
 しかしメルサは笑い続けるアスカを睨むだけで、ショーレンの言葉に耳を貸そうとはしなかった。ルフィアが声をかけても聞く耳をもたず、ただただアスカを睨み続ける。
「アスカ=ハイウィンド、白状なさい!」
 メルサは笑い続けるアスカに足音高く近付くと、その心臓に銃を突き付けた。彼女が引き金を引けば、すぐにアスカは命を落とすだろう。
 その、どうあっても白状させようというメルサの態度に、瞬間、アスカの瞳が鋭い冷たさを帯びた。自分に銃を突きつける女の手を躊躇なく掴みあげると、人を食ったような態度でメルサを見おろす。
 彼のその口許には、滅多にお目にかかることのない冷笑が刻まれていた。
「そんな馬鹿げたことを言ってないで、さっさと緋月を動かすための努力をしたらどうなんだ。くだらないことを話し合うばかりじゃ何も解決しないんだよ。そんなだから科学派は無能だって言われるんだぜ。ちょっとはマトモなことを考えろ」
 たとえ今の立場が逆だったとしても、魔術派がこのような結論を出すことはなかっただろう。魔術派にとって科学派は格下であり、"科学派ごとき"が自分達の力を妨害できるなどという発想が出てこないのだ。
 その意識の違いが良いとは思わない。しかし、あまりに馬鹿げた科学派上層部の考えに、アスカは侮蔑の念を抑えることは出来なかった。
 こんなことでは、いつになったら停電が直るか分かったものではない。
「…………」
 あまりに冷ややかな眼光と声音に、メルサは怯えたように頬を引きつらせた。銃を持つ力も萎え、ぽとりと床に落とす。
 アスカは深いため息をついてから、諦めたようにメルサの腕を放してやった。
 ふらりと、力が抜けたようにメルサはしゃがみ込み、呆然と床を眺めやる。
「ショーレン、俺はもう帰るわ」
 そんな女性を冷やかに眺め、これ以上ここにいるのは立場上良くないと判断したのか、それとも自分の手伝える事はもうないと思ったのか。アスカはすたすたとメルサの横を過ぎ、扉に向かった。
 ショーレンは小さな溜息をつくと、ドアに手を掛けている友人に片手で拝むような真似をする。
「悪いな、アスカ。せっかく手伝ってくれたのにさ」
「ふふん。これで一週間の昼飯代が浮いたと思えば安い物さ」
 アスカはにやりと笑ってみせた。
 ぱちくりと、ショーレンは瞬きをした。そして意味を理解すると、
「げっ……一週間かよ」
 まいったというように天を仰ぐ。それが空約束にならないのが、彼らの友人関係だった。
「最高のランチを楽しみにしてるよ。じゃあな、ルフィアも」
 楽しげにショーレンを眺め、そしてルフィアに軽く手を振ると、アスカは今度こそ部屋を出て行った。
「あいつ、けっこう食うんだよな」
「私も一緒におごったげるよ」
 ぶつぶつこぼしていたショーレンに、ルフィアは笑う。そして、床にへたり込んだままのメルサに視線を向けた。
「それより……だいじょうぶ? メルサ女史」
 あまりに呆然とした様子の同僚が心配になったのか、ルフィアは気遣うように手を差し伸べた。
「アスカくんって普段おちゃらけてる分、怒るとおっかないんだよね。まあ、さっきのは貴女が悪いんだけどね」
 肩をすくめ、ルフィアは苦笑を浮かべる。
「…………」
 アスカがいなくなったことで恐怖心がおさまったのか、メルサはゆっくりと立ち上がった。アスカに対する怒りと、腰が抜けて座り込んでしまった自分への羞恥で体を震わせながら、彼女はショーレンとルフィアを睨み付け、そして、火を吹くような勢いでコンピュータールームを飛び出していった。
 魔術者の肩を持つショーレンとルフィアの側には、一秒たりとも居たくないという様子だ。
「ねえショーレン、早いところ総統に話に行こう。あの様子だと魔術研究所に怒鳴り込みかねないよ、メルサも幹部たちも」
 ルフィアは溜息をつき、そう提案する。今回のこの馬鹿げた判断に総統がタッチしていないことは、正式な所内通達が来ないことからも明らかだった。
 それに、何よりも彼らの敬愛する現在の科技研総統は、柔軟な視野を持っている人物なのだ。その総統があんな結論を認めるはずがない。
 ショーレンは、やってられないというように腕を広げ、苦笑を浮かべた。
「ホントはあの新しいちからの性質を見極めてから報告したかったんだけどな」
「悠長なことは言ってられないよ。もしかしたら、緋月に行くことになるかもしれないんだよ」
 ルフィアは友人ををなだめるように、軽くその肩を叩く。
 その言葉に、はっとショーレンは表情を引き締めた。確かに、あの新たな『ちから』への対策がすぐに出来るとは思えなかった。
 そうなれば直接緋月に行って、夜を明けさせるしかないのである。
「そうだった。さんきゅ、ルフィア。俺も、考えの凝り固まった幹部と同じになるとこだった」
 ショーレンは深い海のような瞳に強い笑みを浮かべ、ルフィアに礼を言う。
 夜明けまで、もうあまり時間がない。人々をパニックに陥らせないためにも、まずは、それを一番に考えなければいけなかった。




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