++ 君のその手に在るものを ++
前頁目次次頁



Magic 004 『かぼちゃの魔法』


 藤乃森の公園の一角に、ゆったりと大地に触れてくつろげるような芝生のスペースがある。その芝生のスペースに色取り取りのレジャーシートを敷いて、五人の子供たちが楽しそうにお弁当を広げて昼食をとっていた。
 そぼろや卵で飾られたカラフルなおにぎりや、美味しそうなサンドイッチ。可愛く切り取られたタコウィンナーやウサギりんご。目にも楽しいお弁当を食べてきゃらきゃらと無邪気に笑っている。
 そんな子供たちを眺めやりながら、亜希子はにこにこと笑っていた。彼らはみんな彼女が開いている児童向けの絵画教室『おえかきあそび』の生徒たちだ。
 本当は今日はハロウィンだから、ジャック・オ・ランタンを子供たちに描かせようと思っていたのだけれども。あまりに天気が良かったので外の絵を描かせようと思い、こうして子供たちを教室から公園へと連れてきたのだった。
「あっきーせんせー。おべんとのあとは、かぼちゃ描くの?」
 お茶を飲むだけで何も食べていない先生に自分のサンドウィッチを持って来て上げながら、笑顔で幼女は小首を傾げる。
「ふふ。香澄ちゃんありがとう。いただきます。……このあとはね、お外にあるものを描くのよ」
 黒目がちな大きな瞳を楽しそうに輝かせて自分を見てくる幼女に、にこにこと亜希子は笑った。
「えーー。どうしてー? あっきーせんせーがんばってつくってたのに」
 不満そうに、幼女は破裂しそうなほどぷっくりと頬をふくらませた。大好きな"あっきーせんせい"が昨日の夜遅くまで『かぼちゃのランプ』を造っていたのを香澄は知っていた。
 亜希子がアトリエとして借りているのが、この幼女の家の一角にある離れの部屋だった。
「あはは。あれはね、いつでも使えるから良いのよ」
 次回の絵画教室の時にはハロウィンは過ぎてしまっているのだから、子供たちにお手製のジャック・オ・ランタンを描いてもらう事はないだろう。しかしそれはそれで別に良いと思った。
 子供たちの"おえかきモデル"としての役目はなくなってしまったが、かぼちゃのランプをつくることを自分はそれなりに楽しみもしたのだから。 
「ハロウィンは……きょうなのに?」
 それでも香澄は納得がいかないように、むぅっと上目遣いにじっと亜希子を見やる。
「うん。だいじょうぶなのよ」
 自分を気遣う幼女に優しい笑みを向けて、亜希子は香澄のたんぽぽの綿毛のような柔らかな髪をぽんぽんと撫でた。
「陽射しの下でお弁当って良いですね」
 ふいに、背後からやんわりと穏やかな、ややハスキーな男の声が聞こえて、亜希子と香澄はきょとんとうしろを振り向いた。
「あ、どうも。こんにちは」
 どこかのんびりした穏やかな口調で、芝生の外からこちらを眺めていた青年はにこにこと笑いながら軽く頭を下げる。
 青年のひと房だけ伸びた胡桃色の髪を結ぶ蒼いリボンが、風に吹かれてひらひらと揺れていた。
「あっ! マジシャンのおにいさんだ!!」
 亜希子はそのマジシャンというのを知らなかったけれど、彼の存在にいち早く気付いた生徒たちが、わらわらと近寄ってくる。
「あっきー先生しらないの? この公園でよく手品を見せてくれるお兄さんだよ」
 生徒の中で一番年長の浩介が楽しそうに笑って教えてくれた。その小さな少年の紹介を受けて、突然あらわれた青年はにこりと笑った。
鳴沢真秀なるさわ まほ鳴沢真秀です」
 子供たちに囲まれながら、青年はチョコレートのように甘そうな茶色の瞳を笑ませて亜希子に軽く右手を差し出してくる。
「こ、こんにちは。私は……この近くで絵画教室をやっている風間亜希子と言います」
 青年の人の好さそうな表情と口調が相手に親しみを持たせるのかもしれない。促されるままにその手をとって握手を交わすと、亜希子も笑顔になる。
 この手品師の青年に会うのは初めてだというのに、まるで知己であるような錯覚にとらわれて、亜希子は少し自分自身驚いていた。
 相手にここまで警戒心を与えない人間も珍しいと可笑しくなる。
「絵画教室ですか。じゃあ、お弁当のあとはこの子たちが絵を描くんですね」
 にこにこと明るい笑みを浮かべて、真秀は周りを囲む子供たちにぐるりと視線を向けた。レジャーシートの周りには、子供用の画板が幾つか重なるように置かれているのが見えた。
「ええ。天気が良いので、外で絵を描こうかと思って教室を出てきたんですよ」
「かすみは、あっきーせんせーのかぼちゃが描きたかったのになぁ」
 亜希子の言葉をさえぎるように、香澄がぷっくりと頬をふくらませていた。真秀の出現で話が途中になってしまったのが不満だったのかもしれない。
「えー。ぼく、おえかきより手品が見たいなぁ」
 浩介や他の子供たちはお願いするように"あっきーせんせー"を見やってから、おねだりするように手品師の青年を見上げた。
 香澄だけが、やっぱりほっぺたをふくらませていたけれども。
「えーっと……」
 ほんの少しだけ困ったような笑みを浮かべて、真秀は絵画の教師を見やる。手品をやるのは一向に構わないのだが、おえかき講座の邪魔をしては悪いと思った。
「もしよろしければ、子供たちに見せてあげてくださいませんか? 私も、見てみたいです」
 にっこりと亜希子は笑顔で依頼する。彼女がおえかき教室を始めたのは子供たちにいろいろな想像力を働かせて欲しいと思ったからだ。単に絵の勉強をさせようと思ったわけではない。
 香澄の不満顔は少し気にかかったけれど、きっと楽しい手品をみれば機嫌も直るだろう。
「そうですか? じゃあ、手品をやっちゃおう」
 とろけるような優しい笑みを浮かべて、手品師の青年は亜希子や子供たちにチョコレートのような瞳を向ける。
「でも、そうだなぁ。せっかくだから、みんなにはあとで僕の絵を描いてもらいたいな。僕をモデルに絵を描いてくれるかな?」
 青年は軽く片目を閉じていたずらな笑顔を見せながら、子供たちに提案するように言う。
「はーーーーい! かきまーーす!」
 4人の子供は元気よく返し、香澄だけが小さな口をへの字に曲げて深い溜息をついていた。


「みんなは、ハロウィンっていうお祭りを知っているかな?」
 真秀はさりげなく両手を子供たちに広げて見せながら、にこやかに問うた。
「外国のおまつりー! おかしもらうんだよなっ!」
「えーと。かぼちゃのおばけが出るんだよぉ」
「魔女やおばけに仮装するのー」
 子供たちがめいめいに答えを返してくるのを、マジシャンはにこにこと微笑みながら聞きいていた。
 ひととおり子供たちの答えを聞き終えると、真秀はスッと右手をゆっくりと高く頭上に掲げるように伸ばす。
「うん。そうだね。ハロウィンは万聖節の前夜に行われる伝統行事おまつりなんだけど……まあ、そんな堅苦しい説明はナシにして」
 伸ばした右手を軽くゆらめくように握りこんで、子供たちに注意を向けさせる。
「こんなモノたちがいっぱい出て来るお祭りだよね」
 にっこりと甘いチョコレートの瞳を細めるように笑ませて、パッと右手を開いて見せた。
 真っ黒なとんがり帽子をかぶった魔女や、白くてぷっくりしたシーツおばけ。黒猫や三角の目をしたオレンジ色のおばけかぼちゃ。
「うわー。すっごーい。やっぱりマジシャンのお兄さんは魔法つかいだぁ」
 手品師の青年が指を鳴らし、手を開くたびに次々と姿を現すハロウィンのマスコットたちに、子供たちは魔法をみるように目を輝かせて見入っていた。
 さっきまで拗ねた表情で真秀を見つめていた香澄でさえも、その不思議でワクワクするような光景に笑顔が満面に浮ぶ。
「……まほーだよぉ、あっきーせんせー」
「ええ。ホント、すごいわね」
 亜希子も初めて見る青年の妙技に、思わず目をまるくする。公園などで趣味で手品を見せているパフォーマーだと思っていたので、ここまで流麗な手品が見られるとは思っていなかった。
「じゃあ、この出て来たマスコットの中で一番ハロウィンらしいなと思うものを、あっきー先生に選んでもらおうかな」
 子供たちがそう呼んでいるからか、青年は亜希子を「あっきー先生」と呼びかけて、右手から現れた可愛らしいハロウィンのマスコットたちを広げて見せる。
「えーと、じゃあ……これかしら」
 あまりに青年の表情が優しくて、少しどぎまぎしながらも亜希子はかぼちゃおばけのマスコットを選んだ。
 やはりハロウィンと言えば、オレンジ色のかぼちゃ。ジャック・オ・ランタンだろうと思った。
「ありがとうございます。じゃあ、今度は皆に手伝ってもらおうかな」
 にこりと亜希子に微笑んでみせてから、真秀は子供たちへと視線を戻す。
「みんなは、ハロウィンのお祭りで仮装した子供たちがなんて言って近所のおうちを回るか知っているかい?」
 亜希子の選んだおばけかぼちゃを子供たちに示しながら、やんわりと質問を投げかける。
「Trick or treatって言っておかしもらうんでしょ?」
 最年長の浩介が答えると、くすりと真秀は笑った。
「うん。じゃあ、僕がこのかぼちゃおばけを手で包み込んだら、みんなでそう言ってもらえるかな」
 楽しそうに子供たちを見回して、真秀は左手にかぼちゃのマスコットを載せる。
 子供たちが意気込むように頷いたのを見て、手品師の青年は優しく瞳を細めて笑うと、その上にそっと右手を被せて見せた。
「と、とりっく・おあ・とりーと……」
 いったい何が起こるのだろうか? 固唾を呑んで見守る子供たちの前で、やんわりと青年は笑う。併せた両手を己の耳元に持ってくると、いたずらな瞳をくるりと子供たちに向ける。
「もう一度、言ってもらえるかい? かぼちゃおばけがね、声が小さくて聞こえないって言ってるよ」
「Trick or treat!!」
 元気よく、子供たちは大きな声を上げた。
 さわさわと、ゆるやかな風が吹いて青年のひと房だけ伸びた胡桃色の髪が踊るように揺れた。
「ああっ ―― !?」
 合わせていた手をゆっくりと開いた青年の両手の中には、さっき亜希子が選んだかぼちゃのおばけと同じコミカルな表情を浮かべたビスケットが6枚、どこか笑い合うように乗っていた。
「悪戯されたらかなわないからね。みんなにお菓子をあげるよ」
 にこにこと、青年は子供たちに一枚ずつそれを手渡していく。
「はい、貴女もどうぞ」
 一番最後に、おえかき教室の先生である亜希子にもビスケットが手渡された。
「あ……ありがとう」
 本当に、まるで魔法のようだと亜希子は思う。もちろん彼は手品師なのだから、種も仕掛けもあるのだろうけれど。隣に立っていた自分にも、それは一切分からなかった。
「じゃあ、今度はみんながこのお兄さんの絵を描く番よ」
 こんなに素敵な魔法を見せてくれたのだからお礼をしましょうねと、大喜びではしゃいでいる子供たちに亜希子は促すようにやんわりと言う。
 子供たちは元気よく「はーい」と返事をすると、自分の画板を取りにレジャーシートの方へと戻っていった。
「うん? どうしたのかな?」
 みんなが画板を取りに行っているのに一人だけその場に残っていた香澄に、真秀は穏やかな笑みを向ける。
 香澄は困ったように、そして拗ねたように、唇を尖らせて手品師の青年を見上げた。
「あのね……まほうはとてもすてきだったの。たのしかったの……。でもね、かすみは、きょうはあっきーせんせいのかぼちゃが描きたかったの……」
 べそをかくように、香澄はしゃくりあげるように肩を上下した。
「……あっきー先生のかぼちゃ?」
 詳しく話をしてごらんと、チョコレートのような甘い瞳で真秀は幼女に問い掛ける。その眼差しがあまりに優しかったので、香澄は安心したように亜希子が造っていたかぼちゃのことを青年に話した。
 本当に、あっきーせんせいは一生懸命つくっていたのだ。それを、自分は知っているのだ。
「そっかあ……じゃあ……」
 手品師の青年は一瞬ちらりと亜希子を見やり、そうして軽く微笑む。
「彼女なら……大丈夫かな」
 誰にも聞こえないように小さく呟くと、とろけるような笑みを香澄に向ける。
「どうしたの? おにーさん」
「ううん。じゃあ、僕と"あっきー先生のかぼちゃ"を一緒に描いてもらおうかな」
 にこにこにこと真秀は楽しそうに笑う。その言葉にぱっと顔を輝かせて頷くと、香澄はみんなと一緒に画板を取りにシートの方へと駆け戻った。
「あの、かぼちゃ……ここにはないですけど……」
 驚いたように亜希子は青年を見やった。そんなことを言われても、亜希子がつくったジャック・オ・ランタンはアトリエにある。今から取りに行くのでは、描く時間がなくなってしまうだろう。
「ハロウィンですからね。不思議なことも起こりますよ」
 相変わらず穏やかな笑顔につつまれた青年の、チョコレートのように甘い瞳が微かに光を帯びているような気がする。
 驚いてマジマジと彼の瞳を覗き込むと既にそこに光の波はなく、たださっきと同じ、優しい茶色の瞳があった。
 陽射しの加減だったのだろうか? そう首を傾げる亜希子の耳元に、ほんの少し今までよりも掠れたようなささやき声が届く。
「あっきー先生のかぼちゃだって、言ってくださいね」
 驚いて青年を見上げると、彼は悪戯っぽい笑みをその顔に宿していた。
「じゃあ、絵のモデルになる前にもうひとつ、最後の手品をするよ。これは、あっきー先生からみんなへのプレゼント、ジャック・オ・ランタン。ハロウィンの王様だよ」
 パンッと軽く手を叩いてから、右手を前に差し出してオレンジ色のスカーフを被せて見えなくする。
 そうして楽しそうに笑うと、パチンとその上で左手の指を鳴らしてスカーフをとった。
「わああ! かぼちゃのランプだーーー!!」
 子供たちは可愛らしいコミカルな表情のかぼちゃのランプに、大喜びで歓声を上げる。亜希子は、こぼれんばかりに目を見開いていた。
 確かにあれは、自分が造ったジャック・オ・ランタンだと思った。けれども ―― そんなはずはない。
 それに、さっき手品師の青年は亜希子に「自分のかぼちゃ」だと言ってくれと頼んでいた。それならば……似てはいるが、きっとあれは別物なのだろうと思いなおす。
「先生の造ったかぼちゃランプと、このお兄さんを一緒に楽しく描いて上げるのよ」
 やんわり笑顔で、亜希子は子供たちに言う。
「いま見えてるままじゃなくて、あなたたちが感じたように、描いていいからね。その方が、きっとマジシャンさんも喜ぶからね」
「はーーーい!」
 五人の子供たちは今度はそろって、元気よく返事をした。そうしてめいめい持って来ていたクレヨンや色鉛筆を使って、目の前でにこやかに笑う青年とかぼちゃのランプを描き始める。
 それはとても和やかで、自分の心がほんわかと暖かくなるように亜希子は思えた。
「……あ!?」
 青年が抱えるようにもつジャック・オ・ランタンの底面に、昨日自分がうっかり付けてしまった赤い絵の具の跡があるのを見つけて、亜希子は思わず息を呑む。
 けれども ―― 
(今日はハロウィンだもの。不思議なことがあってもおかしくないか)
 先程、この穏やかな青年が口にした台詞を自分の心の中で繰り返して、亜希子はにっこりと笑った。
 ゆるゆると、穏やかな時間が流れていく。楽しいハロウィンは、まだまだこれから ―― 。

『かぼちゃの魔法』 おわり


 Magic 003 『桜の夢』 目次 Magic 005 『偶然』(掌編) 


2006.10.29
Copyright(C) Maki Kazahara all rights reserved.