蒼き花 散りて星
〜 星生まれの咏 〜

 【降臨祭−01】

 神聖なる太陽王に仕える五人の神。木伯・火伯・土伯・金伯・水伯が人世に降臨してから百年。いわゆる、人間世界が現世に誕生してから百周年を迎えようとしていた。
 それを讃え感謝する『降臨祭』と呼ばれる神事が毎年、多くのあたらしい生命が芽吹く新緑の頃、五伯を祀る各地の神殿を中心に荘厳な雰囲気で執り行われている。
 けれども、共に人の世界を創造した他の四伯とは違い、神世に帰らずそのまま現世にとどまり、ずっと自分たちを導いてきてくれた水伯に対する人々の思慕と畏敬は他の四伯に対するものよりも深く、型通りの神事だけでは降臨祭を終わらせない。
 ここ神聖水伯宮では神殿ではなく人々が中心となり、一週間ほど祭りの賑わいが続くのが常だった。
 この時ばかりは厳かな雰囲気を持つ水伯宮も大いに賑わい、開放的で和やかな気分が周囲にあふれ、明るい空気に満たされている。
 しかも今年は百周年ということで、水伯がその麗しい姿を宮殿の外に現し、人々にお声をかけてくださるかもしれないと女神官がふと漏らしたこともあって、例年以上の人出で賑わっていた。
「最北の町ディースで仕入れたタペストリーだよ。買わないかい? 普段は五百レトのところだが、今なら三百に負けとくよ」
「そこの若いの、新鮮な果物はどうだい? 水伯様のお好きな桃もあるよ」
 両脇に並んだいろいろな出店から活きのいい声が上がる。
「アスレイン、何か食べるか? どれも美味そうだぞ」
 瑞々しい果物のたくさん並ぶ店棚を見て、ファゼイオは足を止めて提案する。この季節、たくさんの果物が収穫される。それが一堂に集まったかのように豊富な品揃えだった。
「うん。そうだね。本当に美味しそう」
 アスレインはにこりと笑って頷くと、どれをもらおうかと悩むように視線をめぐらせる。
「ねえ、おじさん。苺はないの?」
 他にもおいしそうな果物がたくさん並んでいたけれど、アスレインはそこにはない苺が食べたいと思った。朝にも食べたばかりだったけれど、苺は彼女が一番好きな果物なのだ。
「苺かい? うーん。嬢ちゃん。それは時期が遅すぎるなぁ。とうの昔に、どこも収穫が終わってるよ。来春まではどう頑張っても手に入らないんじゃないかな。それより今日は南の方から早々と入荷した、桃なんかがお勧めだよっ」
 店の主人はにこやかに笑いながら、オススメだという桃をアスレインに差し出してくる。
「……え? どこも、時期が終わってるの?」
 アスレインは美味しそうな瑞々しい桃の果実には目もくれず、きょとんと首をかしげた。
 今朝、自分は苺を食べたばかりだった。良く熟れた、とても美味しい苺。
 どこで手に入れてくるのかは知らないけれど、ユライアはいつもたいそう美味しい新鮮な果実や野菜を持ってきた。不思議なのは、時々その時期に他の店では見られないような季節外れのものも混ざっていることだった。
 今までずっと、他の地方から市場にやってきた行商の人間から手に入れているのだろうと思っていたのだけれど ―― 。
「ユライアったら。いつもどこで買っているのかしら」
 心底不思議そうに、けれどもどこか楽しそうに、アスレインの口許がほころんだ。
 もしかすると、自分が苺を好きだと言ったから一生懸命探してきてくれているのかもしれない。そう思うと嬉しくて、つい笑ってしまう。
 一緒に降臨祭に来てくれなかったことも。今朝の秘密めいた態度も。そんな小さな不満はすべて吹き飛んでしまうような気がした。
「アスレイン、どうしたんだ?」
 突然くすくすと笑い出した幼馴染みに、ファゼイオは少し驚いたようだった。軽く腰をかがめ、目を丸くしながらアスレインの顔を覗き込んでいる。
「ふふっ。なんでもないっ。ねえ、ファゼイオ。やっぱり果物はいらないわ。向こうの広場に行きましょうよ。何かやってるかもしれないよ」
 嬉しそうな笑顔のまま、アスレインは水伯宮の中ほどに位置する広場へと視線を向けた。
 毎年降臨祭にはその場所で、有志のものたちによって多くの催しがなされている。去年ユライアと来た時には、旅の一座が創世の歌舞を披露していたものだ。
「そうか? じゃあそうしよっか」
 何かアスレインにおいしい果物を食べさせてあげたかったけれど、要らないのなら仕方がない。ファゼイオはちょっと残念そうに頬を掻き、再びゆっくりと歩き出す。
 そのファゼイオの横顔を、道行く少女たちがチラリチラリと眺めながら通り過ぎて行くのを見て、アスレインはくすりと笑った。
「ファゼイオって善くも悪くも人目を引くよね」
「ああ?」
 とつぜんの言葉に、ファゼイオは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。アスレインは更に楽しそうに笑い、少年の焦茶の瞳を見やった。
「声も体も大きいし、それに、わりとかっこいいもんね」
 決して美形というわけではないけれど、全体から溢れ出るような覇気と闊達な焦茶色の眼差しがファゼイオを『いい男』に仕立てあげている。そんな気がした。
「へへ。アスレインにそう言って貰えんのってさ、何か照れるけどすっげえ嬉しい」
 ファゼイオはカラカラ笑うと、照れを隠すように茄子紺の頭をくしゃくしゃとかきまわした。
 その声もびっくりするほど大きい。一瞬皆がなにごとかと振り返ったほどだ。
「おーい、ファゼイオ。今日は愛しのアスレインちゃんと一緒か? なら、いいとこ見せてやれよ」
 水伯宮の広場にいた髭の男は、その声の持ち主がファゼイオと知ると勢いよく手を振りながら、よく陽に焼けた肢体を揺すって笑った。
 ゼンというファゼイオの叔父で、大陸中を歩き回って商売をしている男だった。
「何だよ、叔父さん」
「腕試しの試合に出場しないかって、言ってんだよ」
 ゼンはニヤニヤ笑いながら、親指で背後を指し示す。
 つられるようにそちらに視線をやると、そこには赤み掛かった金髪に長い鉢巻きをした若い男が立っていた。衣服の上からでも、鋼のように鍛えられた肉体の持ち主であることが分かる。
 叔父が行商の時にでも見つけたのだろう。この辺りでは見られない、一風変わった格好をしていた。
「こいつに勝ったら大陸の西側で取れた紅玉の胸飾りをやるぜ。滅多に取れない逸品だ」
 意味ありげにウィンクして、ゼンはファゼイオを促すように手を振る。
 その叔父の手元で揺れる綺麗な細工が施された胸飾りを見て、ファゼイオは俄然やる気になった。
「アスレイン、ちょっと行ってもいいか?」
「いいよ。頑張ってね」
 アスレインは明るい笑みを浮かべ、軽く手を振る。ファゼイオは任せろと言うように、ガッツポーズをつくってみせた。
「アスレインに、あのブローチやるからな」
 絶対に似合うから。そう言うと、ファゼイオはひょいっと柵を跳び越えて、広場に走り入った。
「先に一本取った方が勝ちだ。ちなみに、こいつに勝った奴はまだいないぞ」
 ゼンは甥っ子に木刀を投げ渡し、脅かすようにそう笑う。
 ファゼイオは軽く頷くと、不敵な笑みを浮かべ、相手に手を差し出した。
「ファゼイオ=ホンシュイだ。宜しく頼むぜ。手加減はなしだぞ」
「……ディーン=ラスカだ」
 男は軽くファゼイオを見やると握手に応じる。その、ファゼイオを見据える眼光は鋭かったけれど、僅かに口許に浮かぶ笑みがどこか柔らかな印象を与える青年だった。
 握手が交わされたのを期に、ゼンは何の前触れもなく『始め』の合図をする。
 ファゼイオが来る前までの試合でその唐突な試合開始になれていた周囲の観客たちは動揺もせず、やんやと囃し立てるように騒ぎだした。
 いきなりの開始に初めこそ慌てた様子だったけれど、すぐに態勢を立て直すことが出来た少年に対し、周囲から歓声が上がる。
 彼らにしてみればどちらが勝ってもいいのだが、さっきまで負け知らずのディーンと、まだ年若そうなファゼイオがどのように闘うのかが見ものだった。
「……なんか、すごいんだぁ」
 アスレインは圧倒されたように呟いた。こういう木刀などを使った試合が最近盛んに行われているのだということはファゼイオから聞いて知っていたけれど、見るのは初めてなのだ。
 武器を持った人間同士の激しいぶつかり合いが少し怖いような気もしたけれど、真剣に向かい合うその姿はひどく感動的だとも思う。
 昨年までずっと行われていたような、和やかな催しの方が好きだと思う反面、目の前で行われているこの試合も決して暴力的ではないのだと思えたし、しばし見入ってしまうような場面もあった。
 けれども。ふと、誰かに呼ばれたような気がしてアスレインは振り返った。
「 ―― !?」
 その蒼い瞳が、自分の背後に立つ人物を確認して、これ以上はないというくらいに見開かれる。そこにはマリンブルーの瞳がとても美しい、一人の女性が柔らかな微笑をたたえて佇んでいた。
 人にはありえない、流れるような淡い浅葱色の髪とその美麗にすぎる容貌が彼女の正体を雄弁に物語っている。この神聖水伯宮の主人である女性……水伯に相違なかった。
「す、水は……!」
 叫ぼうとしたアスレインの口を、女性はやや慌てたように押しとどめる。
 せっかく人々の注意が『試合』に向いているというのに、ここで騒がれ、水伯がいる事が知られては面倒だった。
「こんにちは、お嬢さん」
 人の輪から少し離れた場所に連れ、アスレインが落ち着くと、女性は改めて笑んでみせる。
「水伯様……ですよね」
 目の前に水伯がいるということが信じられないのか、アスレインはぼんやりと呟いた。
 水伯は婉然と微笑むと、誰かを探すように視線を巡らせ、そして軽く小首を傾げた。
「今日は、薄藍の髪をした方と一緒ではないのね」
「えっ? あの、ユライアのことですか?」
 なぜ水伯が自分達のことを知っているのか不思議に思いながら、アスレインは聞き返す。
 刹那、水伯の美麗な瞳がわずかに陰り、深い溜息と共に薔薇のような唇から透きとおった声がこぼれ落ちた。
「……ええ。そう。ユライア。……そうか。やはりあれは……ユライアだったのね」
 とうに分かっていたことを改めて納得するように、水伯は目を閉じる。
 だいぶ前にこの水伯宮から町の様子を見ていたとき、幸せそうに笑いながらこの少女と並んで歩いている彼を見掛けた。その時は、よく似た他人なのだと思った。
 それから度々二人の姿を見かけたけれど、それでもユライアだとは思えなかった。
 ユライアと似た人間など存在するはずがないということは分かっていた。けれども彼があまりに楽しそうで。幸せそうで。どうしても自分の知るユライアと結びつかなかったのだ ―― 。
「お嬢さん、彼に伝えなさい。早くこの町から立ち去るように」
 水伯は己の感情を飲み込むようにひとつ大きな呼吸をしてから、透きとおる湖水のような眼差しをアスレインに向け、いきなりそう告げる。
 思いもしなかった水伯の言葉に、一瞬アスレインは凍りついたように目を見開いた。
「……どういうことですか? なんでユライアが出て行かなければいけないの?」
 相手が神だということも忘れ、アスレインは遠慮のない口調で水伯に反問を投げかける。突然そんなことを言われても、理解も納得も出来ようはずがない。
「あなたはユライアのことを、どれだけ知っているのかしら。まったく知らないのではなくて?」
 水伯は少女の蒼く幼い瞳を覗き込みながら、どこか冷めた口調を紡ぐ。
 アスレインは強く唇を噛んだ。
「果物が大好きだってことや胡桃が嫌いなこと……それに、とても優しいってことを知ってるわ」
 水伯が指しているものが、そういった感情的な面ではないと承知しながらも、アスレインはそう言わずにはいられなかった。
 確かに、自分はここに来る以前のユライアを、まったく知らない。彼があまり触れたがらないからでもあったけれど、アスレインも無理に聞こうとはしなかった。
 彼女にとっては過去のユライアなどではなく、自分といま一緒に暮らしている現在のユライアの方が、ずっとずっと大切だったからだ。
「…………」
 水伯は深い溜息をついた。少女の反論が、哀れだと思った。
「そう。彼はとても優しい。でも彼の場合、それは『罪』なことなのかもしれない」
 誰に聞かせるわけでもなく独言のように水伯はそう呟く。だからといって目の前にいるアスレインにその呟きが聞こえないはずもなかった。
「 ―― 優しさが罪って、どうして!?」
 アスレインは詰め寄るように、水伯の腕をつかんだ。
 人間であるアスレインが神の腕を取るなどと、不敬な事であったに違いない。しかし、水伯はそれをことさら咎めたりはしなかった。
 ただその美しい瞳に影を落とし、もういちど深い溜息をついた。
「ユライア=ソーリエのことをまったく知らない貴女に、彼と一緒にいる資格はないのです。また、天もそれをお許しにはなりません。彼もそれは、分かっているはずです」
 脅かすような口調で、水伯はアスレインの疑問を封じてしまう。
「そ……んな!?」
 アスレインは水伯の言葉に愕然とした。反論しようにも、言葉が出てこなかった。
 相手が『神』だからではなく、ユライアがいなくなるかもしれないというその恐怖に、言葉を発する事が出来なかった。
 三年前にユライアが自分の前に現れて以来、そんなことは考えたこともなかった。この穏やかで心地よい生活がなくなることなど、想像も出来ない。
 ただただ蒼い瞳が凍り付いた海のように、水伯を凝視していた。
 わああっと、不意に周囲に湧き起こった大歓声がその冷たい沈黙を破る。
 アスレインは何が起きたのかわからないというように、凍り付いた瞳を歓声の方へ向けた。
 脇の広場では、多くの者が手を叩き、また、ある者は拳を天に突き上げながら感嘆とも揶揄ともつかない大声を上げていた。
 ファゼイオとディーンの試合に決着がついたのだろう。そうと分かったけれど、今のアスレインはそれどころではなかった。水伯の言うことのほんの少しさえも、納得できるものはない。
 水伯はゆうるりと髪を揺らすように頭を振った。この少女にもう少し時間を与えたいと思ったけれど、試合が終わってしまった以上、自分がここにずっと居るわけにはいかない。
「必ずユライアに伝えなさい。いいわね」
 ゆるやかに流れる浅葱色の髪をかきあげ、水伯は凛とした口調でそう言うと、試合見物が終わった人々に見つからないように、アスレインの返事は待たずにふわりと宙に溶け込んで消える。
「……いやよ。そんなこと、伝えるわけないじゃない」
 アスレインはぽつりと呟いた。
 水伯が言ったことは、納得出来ないことばかりだった。詳しい理由も何も言わない。ただ、出て行くようにと。そんな理不尽なことはないではないか。
「どうしてユライアが出て行かなければならないのよ。どうして……何も知らないと一緒にいてはいけないの!?」
 怒りと怖れに震える体を抑えるように、アスレインは服の端を強く握り締めた。そうしていないと、今にも自分は泣き出してしまうかもしれないと思う。
「絶対に、言わないから」
 アスレインは桜色の唇をぎゅっと結んだ。

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2003.7.17 up