10万打記念キャラ投票1位
感謝短編 ユーシスレイア



『やさしい日常 遠き夢』


「おーい、ユールっ!」
 ふと、自分を愛称で呼ぶ耳慣れた男の声が聞こえて、ユーシスレイアは長い銀色の髪を揺らめかせるように振り返った。通りの向こうから予想通り赤毛の青年の姿が見えて、僅かに笑むように口端を上げる。
 父アルシェの部下であり、自分よりも三歳年長の友人。ヒューイ=ワイトが颯爽とした足取りでこちらに向かってきているところだった。
「ヒューイ、おまえがこの道を通っているということは、うちに何か用事か?」
 しばしその場で立ち止まり、ヒューイが隣にやって来るのを待ってからユーシスレイアは再び歩き出す。
 店や市が立ち並ぶ大通りはだいぶ過ぎており、この先にはもう民家しかない。ヒューイの住む家はこの通りとは正反対の区域にあるので、彼の目的地がカーデュ家だというのは察しが付いた。
「ああ、アルシェ様にお渡ししたいものがあるんだ」
 にこりとヒューイは笑った。
「俺が渡しておこうか? どうせもう家に帰るところだったんだしな」
 白金の瞳を僅かに笑ませて、ユーシスレイアは友の顔を見やる。既にヒューイの勤務時間は過ぎており、わざわざ家に来てもらうまでもなく自分がここで預かればそれで済む話だと思った。
 けれどもヒューイは可笑しそうに破顔すると、布でくるまれた細長い荷物を軽く指し示しただけで、それをユーシスレイアに渡そうとはしなかった。
「いや、いいよ。せっかくの極上カルヴァドスだからな。アルシェ様とユールと俺と。三人で飲まないと」
「……はは。そういうことか」
 布の隙間から見えるその銘柄に目をやると、確かにめったに手に入らない極上の蒸留酒カルヴァドスだ。それを一緒に飲むために、この友人はカーデュ家に向かっているのだと思うと可笑しかった。
「でもヒューイ、そんなもの良く手に入ったな?」
 それは一般に飲まれているカルヴァドスとは違う。王侯貴族が大枚をはたいてもなかなか手に入らないと言われる稀少な銘柄だった。
「ああ。実は先程フィスカ陛下から頂いたんだ。任務を復命した際に褒美でな」
 たくましい頬に笑顔を浮かべて、ヒューイは晴れやかにユーシスレイアを見やる。そうしてふと何かを思い出したように、更に楽しそうな顔になった。
「そういえばおまえは、この間の戦勝の褒美に短剣を賜ったんだって? 陛下はユールにはいつも武具だな」
 くすくすと、ヒューイは笑う。確かその前は長剣で、更にその前は駿馬だったとヒューイは記憶していた。他の者には今回のように稀少な酒だったり、珍しい果実だったり。高価な宝石。絵画やタペストリー。実に様々な褒美を文官武官の種に捉われず与える国王なのだが、ユーシスレイアに限ってはいつも戦に関わるものを下賜されているのである。
 ユーシスレイアの凛々とした戦姿を見るのが好きだと言って憚らないフィスカらしい選択だ。
「武具以外の物を頂いても、おれは困るだけだからな」
 苦笑まじりにそういうと、ユーシスレイアはすっと短剣を抜き放って見せる。
「それに、これは素晴らしい短剣だ。細工も見事だが、この刀身の冴えは他に類を見ない。過分な褒美さ」
「ほお……確かに一度見たら忘れられないような逸品だな」
 ユーシスレイアが持つ短剣の美しさに魅入られたように、ヒューイはゆっくりと頷いた。これほどの宝剣を与えるのだ。国王フィスカの、ユーシスレイアに対する期待の大きさが分かろうというものだった。
「名将ユーシスレイア=カーデュが持つに相応しい宝剣だ。あのラーカディアスト帝国が西大陸こっちに対して大幅な侵攻が出来なくなっているのは、おまえのおかげだからな」
 楽しそうに笑いながら、ヒューイは尊敬すべき友の肩を軽くいだくようにその顔を覗きこむ。
「アルシェ様とリファラス様が陛下の両翼を担い、おまえが我が軍を指揮している限り、ラーカディアストのような"邪悪"な国家に大きな顔はさせないさ。だろ、ユール?」
「ふ……そうだな。努力しよう」
 すべての真実を見据えるように強く煌く白金の瞳が、ゆるやかに笑みを宿す。
 己が生を受けた母国。大切な家族が居るこのカスティナの地を守ることが、自分にとって最も重要なことなのだと。この時のユーシスレイアはそう思っていた。


「あーっ。ずるーい。お兄ちゃんたちだけ!?」
 カーデュ家のリビングでくつろぎながら、アルシェ・ヒューイ・ユーシスレイアの三人が杯を重ねて談笑していると、むくれたようにシリアが部屋の中に入って来る。
 テーブルの上には、母セリカの作った美味しそうな小料理が所狭しと並んでいた。夕飯を食べたあとでおなかは空いていなかったけれど、目が食べたい。それに、せっかく兄が帰ってきたのにゆっくり甘えられないのも、シリアには少し不満だった。
「ほら、シリア」
 ぷくりと頬をふくらませて自分の隣に立った妹に、ユーシスレイアは可笑しそうに目を細めて笑う。
 テーブルに並ぶ料理の中から彼女が一番好きな南瓜のスティックを選び、それを自分のフォークに刺してひょいと渡す仕草は実に自然体だ。
 いつもは鋭い眼光を放つ白金の瞳が、今はにこやかに甘い笑みを宿している。カスティナの軍神として知られるユーシスレイアの、こんなふうに甘い表情を見ることが出来る人間などそうはいない。
 普段から戦という殺伐とした世界に身を置いているせいか、ユーシスレイアはこの歳の離れた妹の無邪気さを貴重な憩いとして、とても大切にしているようだった。
「……美味しい」
 ぱくんと南瓜を口に入れて、シリアはにこりと笑う。
 そうして自分を楽しそうに見ている三人の大人の視線に気が付くと、少し照れたように肩をすくめておどけてみせた。
「えへへ。邪魔しちゃってごめんなさい。ごちそうさまでしたっ」
 改めてそう言うと、シリアはぺこりと頭を下げる。ユーシスレイアに南瓜を食べさせてもらったことで、甘え心もちょっぴり満足したらしい。ここに居るのが父と兄だけだったなら、シリアもミルクを持って来て一緒に加わったところだが、ヒューイが居るのでさすがに席に混ざろうとはしなかった。
「ヒューイさん、ごゆっくりね」
 にこにこと明るい笑顔を残してシリアはリビングから去っていく。
 突然やって来たかと思えば、すぐに風のように去っていった無邪気な少女の様子に、部屋に残された三人は一気に吹き出すように互いの顔を見やった。
「まったく、シリアはいつまでたっても甘えっ子なんだからな。まあ、それを助長する兄も居ることだしな」
 にこにことアルシェは息子に笑顔を向けた。彼の妹への甘さは、父親である自分を遥かに凌ぐだろうと思うと可笑しかった。
「知ってますか? アルシェ様。巷の女性たちが話しているユールについての噂」
「うん? 知らないな。どんな噂だね?」
「おれの噂って……ヒューイ?」
 興味深そうにアルシェは部下を見やり、ユーシスレイアは訝しげに友を見やる。ヒューイはくすくすと笑いながら二人の視線を受け取ると、ゆっくりと言葉を継いだ。
「ユールはこの顔で、しかもあの強さですからね。女性たちに大変な人気があるのはアルシェさまもご存知でしょう? まあ、ユール自身はまったく興味を示してませんけどね」
「うむ。まあ、それは分かるな」
 こくりと、アルシェは頷いた。親の贔屓目ではなく、彼の容貌は凛々しく秀麗なものであると思う。そのうえ軍神として名高いこの息子には、貴族や諸侯の令嬢との縁談話が腐るほど持ち掛けられているのも確かだ。市井の女性たちの羨望の眼差しも熱い。にも関わらず浮名ひとつ流すことのない、非常に堅物な息子なのである。
「うちの姉が仕入れてきた噂なんですけれどね、彼女たちは『ユーシスレイア様の心を得ようと思ったら、まず最初に妹の方を落とせ』って言ってるらしいですよ」
 裏返せば、シリアに「この人がお姉さんになったら嬉しい」とでも言わせることが出来たなら、ユーシスレイアはそれで簡単に落ちるだろうという噂なのである。
「……それはまた、ずいぶんと飛躍した話だなぁ」
 苦笑するようにアルシェは息子に視線を向けてその端正な顔を見やる。ユーシスレイアは何とも言えない複雑な表情を浮かべながら、くいっとグラスに残っていたカルヴァドスを呷った。
「そんなにおれはシリアに甘いか?」
「甘い甘い。大甘だって。ねぇ、アルシェ様」
 くすくすとヒューイもアルシェも可笑しそうに笑う。この自覚のなさが、余計に噂を広げる元にもなるのだろう。
「うふふ。ユールはシリアだけじゃなくて、家族みんなに甘いんですよ」
 今にも歌いだすのではないかというような楽しげな女性の声が、その場にゆるりと割って入る。もうじき陛下に賜った極上のカルヴァドスは無くなるだろうと予想していた母セリカが、新しく"普通のカルヴァドス"を持って来てくれたようだった。
「ユールは、昔から家族をとても大切にする子だものね」
 セリカはカルヴァドスの瓶をことりとテーブルに置きながら、にっこりと笑って息子の顔を覗きこんだ。
「はぁ……まったく。母さんまで……」
「ははは。天下の"軍神さま"も、母親にはかなわんなぁ」
 二十七歳にもなる息子に向かって『子』はないだろうとアルシェは笑い、ユーシスレイアは僅かに照れたように苦笑する。そんな仲睦まじい家族を見ながら、ヒューイも楽しそうに声を上げて笑った。


 それは ―― 遠い記憶のやさしい日々。再び手にすることは叶わぬ遥かなまぼろし。
 ユーシスレイアは窓の外に広がる星空を眺め、静かに微笑った。
 ふと横を見れば、ゆったりとカルヴァドスの杯を傾ける褐色の肌をした青年の姿が視界に映る。
 先ほど思い描いた記憶の中には居ない男。けれども ―― いま己の在る場所には居るべき青年。
「ラス、もう少し……付き合え」
 空になったカルヴァドスの瓶を見やり、ユーシスレイアは立ち上がる。そうして部屋の隅に置かれた戸棚の前に立つと、中から淡い色彩の瓶を取り出した。どうやらそれはカルヴァドスではなく、シャンパンのようだった。
「喜んで。まだまだ夜は、長いですからね」
 にこりと褐色の肌に明るい笑顔を浮かべて、青年はそう答える。
 遠い日々のまぼろしではなく、今ここに在る、確かな日常。それを感じて、ユーシスレイアは白金の瞳をゆるやかに細めるように静かに笑った。
 窓の外にはいっぱいの星たちが。とうに西の空へと沈んだ月の光に焦がれるかのように、ゆらゆらとその輝きを地上に投げかける。戦いの中に身を置く男たちに訪れた、束の間の穏やかな休息の時間 ―― 。

『やさしい日常 遠き夢』 おわり

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10万打記念キャラ投票で1位だったユーシスレイア。感謝を込めて短編を書きました。
ちなみにこの短編は『月に沈む闇』本編が始まる以前の話が中心ではありますが、第3章4話に少しだけリンクする構成になっています(笑)
楽しんでいただければ幸いです。また、何かひとことご感想など頂けると嬉しいです(^-^)
ご投票くださった皆様、そして読んでくださった皆様。本当にありがとうございました。
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2007.02.02 up