降り頻る月たちの天空に-------番外編-------


 ※ ルフィア&ティアの出会い/本編ネタバレなしです。



 ▲ 番外編3----『雨上がりの観覧車』----------------▼


 長い雨が続いていた。
 もう一昨日から。そして科学技術研究所の予報によれば、あと2日間この雨は降り続くのだと発表されていた。
 降雨時間は長いけれど、霧雨や小雨が主で雨量はたいして多くないため水害の恐れはないらしく、魔術研究所から災害予知の警報も出ていない。
 けれども、雨の日がこうも続くと気分的には滅入るというものだった。
「雨は嫌いじゃないけど、青空も恋しいなぁ」
 空色の傘を差しながらルフィアは溜息をついた。
 念願の科学技術研究所に入ることが出来てからようやく一年。本当は開発チームに入ってたくさん新しいものを創りたかったけれど、まだまだ新米の自分に回ってくる仕事は、たいしたものはない。
 今日などは、先年科技研がプランディールの海浜公園に建てた観覧車の、制御装置の不具合を調整に行くだけだった。
「青空の下でなら、この仕事ももっと楽しく出来るだろうなぁ」
 晴れの日に海辺の公園を訪れるのは気持ちがいいけれど、雨の日は人気もなくて少し寂しいとルフィアは思った。
「まあ、こんな日だからこそ、人も少なくて調整に専念できるかなっ」
 思い直したように呟くと、大きな伸びをする。
 どんな小さな仕事でもしっかりとこなして少しずつ実績を積んでいけば、きっと開発チームに入ることもできるだろう。そう自分を鼓舞させ、再び目的地に向かってルフィアは歩き出した。
 観覧車へ向かうための舗装された道も、長い雨に大きな水溜りが出来ている。それを器用に避けて歩きながら、ルフィアはふと、気配を感じて横を向いた。
「……猫?」
 薄紫や青の紫陽花が植え込まれた小路の脇に、びしょ濡れになった仔猫がうずくまるように座っていた。
 仔猫はルフィアに気がつくと、ぴくんと耳を動かして、みゃあと鳴いた。
 その仕草が可愛くて、思わずルフィアは顔をほころばせた。
 そっと近づいて、服が濡れるのも厭わずに仔猫を抱き上げる。人に慣れているのか、仔猫は逃げようとはせず、綺麗な緑色の瞳を軽く見上げてルフィアを見やり、そしてもう一度小さく鳴いた。
「迷子? それとも……」
 捨て猫か。ルフィアはじっと仔猫を見つめた。毛並は薄汚れてはいるけれど、よく見ると首に住所が縫いこまれた組紐が巻かれているので、飼い猫なのだろう。
 ただ、組紐に縫い取られたその住所はリデロ。このプランディールからは飛行機や船でも使わなければ行かれないような距離にある町の名だった。
「捨て猫だよ。飼えなくなったから、旅行に来たついでに捨てられたんだ」
「えっ?」
 突然かけられた言葉にルフィアが驚いて顔を上げると、黄色い傘を差した十歳くらいの男の子が手にミルクの小瓶を抱えて立っていた。
「君の、猫なの?」
 どこか怒ったような表情で佇む子供に、ルフィアはにこりと笑う。
「違うよ。友達の猫。誰かに拾われるまで、世話してって頼まれたの」
 少年は少し考えるように首をかしげ、そしてふるふると頭を振った。
「お姉さん、その子飼ってくれるの?」
 その言葉に、ルフィアは手の中に抱いた仔猫を見た。ふうわりと温かい、小さな躯。翡翠のように綺麗な緑の瞳が、じっと自分を見上げていた。
「……いいけど。でもこの子、住所を縫い取った紐をつけてるよ。本当に捨て猫?」
「うん。住所を残しておけば、もしかしたら拾った人が家に連れてきてくれるかもしれないって。そしたらパパも諦めてまた飼っても良いって言うかもしれないって。サナがこっそり住所を縫いこんだ迷子紐をつけてったんだ」
 でも、と少年は頭を振った。
「こないだ生まれたサナの妹がアレルギーだから、やっぱり……絶対にもう飼えないんだもん」
 『サナ』が仔猫を想うその気持ちも、飼う事が出来ないという家庭の事情も、この少年は子供ながらに理解しているのだろう。
 やはりどこか怒ったような、けれども寂しいような表情で、少年はルフィアと仔猫を見つめていた。
「そっか。じゃあ、私がこの子をもらっちゃおうかな」
 猫は好きだったし、今住んでいる家は動物を飼うことも可能だ。それに何より、この宝石のような目をした仔猫が可愛かった。
「ほんとっ?」
「うん。だから、安心していいよ。サナくん」
 少年の口調や表情から、おそらくこの少年こそがサナなのだろうと思った。
 動物を捨てるという無責任なサナの両親の行為は許せないことだけれど、この少年にそれを言うのは酷だ。
 ルフィアは明るい笑みを口許に佩くと、少年の頭をぽんぽんと優しくたたいた。
 少年は驚いたように目を見開き、そしてぺろりと舌を出した。
「へへ。ばれちゃったか。……でも、良かった。ヒスイの飼い主が見付かって。もう、リデロに帰らなきゃいけなかったから……」
 サナはそっと仔猫の頭を撫でながら、ルフィアを見上げて寂しそうに笑う。
「この子、ヒスイって言うの?」
「うん。目が、翡翠みたいだから……」
「そっか。じゃあ、ヒスイの写真。時々この紐に縫いこまれた住所に送ってあげるよ。だから、元気だしなね」
 にこりと笑い、ルフィアは少年の顔を覗き込む。
「 ――― ありがとう、お姉さん!!」
 ぱあっと明るい笑顔が幼い顔に浮かび上がり、サナは嬉しそうにルフィアに抱きついた。仔猫を飼ってくれるだけではなく、自分にその元気な姿を知らせてくれるというのだ。願ってもない話だった。
 サナは無邪気に喜び、そうしてルフィアと指きりをすると、名残惜しそうに何度も仔猫を振り返りながら、両親の待つ場所へと帰っていった。
 それを見送ってから、ルフィアは軽く息をついた。
「さて。どうしようかなぁ。この子、早く温かくしてあげたいけど……」
 少し困ったように、これから行くはずだった観覧車に視線を向ける。何時に行くとは言っていないけれど、おそらく所員はルフィアの到着を待っているだろう。
「仕方ないか。もうちょっと待ってね」
 ぺろりと舌を出して観覧車に軽く拝むような真似をすると、ルフィアは公園に設えられた四阿(あづまや)に入り、持っていたハンドタオルで仔猫の身体を優しく拭いた。
 あまり遅くなるわけにもいかないので、今すぐに乾かしてあげることは出来ないけれど、少しでも水気を取ってあげたかった。
 仔猫はアーモンド形の大きな翡翠の瞳を細めて、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「ふふ。ヒスイか。君にぴったりな名前だね」
 可愛らしい仔猫の仕草に、ルフィアはくすりと笑った。
 ふいに、ずっと大人しく身体を拭かれていた仔猫が、するりとルフィアの手をすり抜けた。ぴょんと地面に降り立つと、そのまま一目散に海の方へと駆けていく。
「あっ! ヒスイ? ちょっと待って!!」
 傘をさすのももどかしく、ルフィアはそのまま四阿(あづまや)の外に駆け出して、仔猫を追いかけた。
 けれども、あまりにすばしっこく小さな生き物は、ルフィアの目を掠めて木々の間へと姿を隠してしまう。そのたびに目敏く見つけて追いかけていたルフィアも、三度めでとうとう仔猫を完全に見失ってしまっていた。
「……どこに行っちゃったのよ」
 全身びしょ濡れになりながら、ルフィアは色違いの瞳をあたりに彷徨わせた。
「ヒスイー」
 雨に咲き誇る紫陽花の隙間を覗き込んだりもする。
 けれども、どこにも仔猫の姿はない。このまま見付からなかったらどうしようかと、ルフィアは思わず泣きたくなった。
 ぺたりと濡れた地面に座り込んで、途方にくれたように紫陽花の花弁を眺めやる。
「 ――― ?」
 ふと、ルフィアは顔を上げた。ずっと顔や身体にしとしと降りかかっていた雨が、急に途切れたような気がした。
「大丈夫ですか?」
 大きな紺瑠璃の傘をさした青年が、翡翠のような瞳に心配そうな色を浮かべ、こちらを見おろしていた。
 いなくなった仔猫と同じ綺麗な緑色の瞳がとても優しくて、ほんわりと心が暖かくなるような気さえする。ルフィアは不思議そうに、そんな青年の顔を見上げた。
 白い、かっちりとした海軍仕官の軍服を思わせる制服を着ていたので、その青年が魔術研究所の人間だということはすぐにわかった。
 こちらを見おろすその顔はまだ若い。とても穏やかな雰囲気をもつ端正な顔は、青年というよりは少年と言ってもいいように思える。
 しかし、アカデミーにはたいてい普学や専門校と呼ばれる高校を卒業してから入るのが一般的だったから、幼く見えるけれどこの青年もおそらく自分と同じくらいの年齢なのだろうとルフィアは思った。
 この年、普学の卒業を待たずに十七歳で魔術研に入所した年若い導士がいることを、科技研に所属しているルフィアが知る由もなかった。
「どこか、具合悪いんですか?」
 自分を見上げたまま、ぼんやりと返事をしない女性に、青年は軽く首をかしげ、さらに問い重ねる。
「あ、ううん。大丈夫。ありがとう」
 ルフィアは雨の中に座っていたのが気恥ずかしくて、慌てて立ち上がった。ずっと雨に濡れていたせいか、少し寒いような気がした。
 けれど、自分よりも長く雨にあたっていた小さなヒスイは、もっと寒いのではないだろうか? そう思うと気が気でなかった。
「あの……仔猫見ませんでした? これくらいのノルウェージアン・フォレストっぽい子なんですけど。目は翡翠で……」
 わらをもすがるような思いで、目の前の青年に訊いてみる。
 すると、青年は何故かきょとんと目をまるくした。そうして、ふわりと破顔する。
「 ――― 知ってるよ。この子でしょう?」
 傘を持っているのとは反対側の手に、青年は小さな仔猫を抱いていた。
 こんな目の前にいるのに気付いていなかったのかと、可笑しそうに青年はくすくすと笑い、蒼みがかった銀色の髪を揺らす。
「やだ、ほんと。あなたが連れてるのに気がつかないなんて、間抜けだね」
 ルフィアは驚き、そして照れたように軽く肩をすくめた。まさか彼が連れているとは思いもしなかったので、目がそちらに行かなかったのだ。
「でも良かった。ヒスイ、いきなり走り出していなくなっちゃうんだもの」
 心配したんだからと、青年の腕の中でくるまる仔猫の額を軽く小突く。仔猫はあくびをするように、みゃあと鳴いた。
「見つけてくれて、ありがとうね」
 ルフィアはにこりと笑い、魔術研の青年に顔を向ける。
「僕は何も。ただ、その猫が行きたがっていたから、連れて行く途中だったんだ」
「え? 行きたがってたって……どこに?」
 今度はルフィアがきょとんとなる番だった。
「この先にある港。この子の飼い主が乗ったフェリーが、さっき出航したんだ。それを見送りたいって」
 若い導士は、翡翠の瞳を細めて笑った。まるで、仔猫の心が分かるかのようだ。
 魔術研の導士というのは動物のことばも理解できるのかもしれない。そう思い、ルフィアは少し羨ましくなった。
「この子が、そう言ったの?」
「ああ。うん。そう。……でも、もう港からじゃフェリーは見えないだろうな」
 フェリーが出航してから、もう十五分は経っている。見送るにはおそらく遠ざかりすぎただろう。青年は残念そうに小さな息を吐き出した。
「観覧車に乗れば、もっと遠くまで見えるんじゃないかしら。ただ、雨に煙って見通しは悪いかもしれないけれど……」
 ただの通りすがりの仔猫のことを、まるで自分のことのように残念がる青年に、ルフィアは微笑むように言った。
「あ、そうか。そうだね。じゃあ、はい」
 くすりと笑って、青年は仔猫と自分の傘をルフィアの方へと差し出してくる。戸惑いながらも彼女がそれを受け取ると、青年はどこか子供っぽい笑みを浮かべた。
「もうすぐ雨はやむから。そうしたら一緒にその子とフェリーを見送ってあげて」
 科技研があと二日は降り続けるといった雨を、あっさり「すぐにやむ」と宣言し、青年は不思議な眼光をその翡翠の瞳に宿す。
 そして、ルフィアの頭上にかざすように軽く左手を上げた。
 ふわりと、光のような風が生まれた。
 その風がルフィアをつつみこむように流れ、そして消える。
 気が付くと、今までびしょ濡れだった身体が、髪が。きれいさっぱりと乾き、どこか温かな木漏れ日にも似た感覚だけがほのかに残っていた。
「濡れたままだと、風邪をひくから。おまけだよ」
 驚いたように自分を見上げてくる女性にゆうるりと笑顔を見せて、青年は軽く手を振った。そうして、もと来た道を戻るように彼女から離れていく。
「……あっ、傘!」
 四阿(あづまや)に傘を置いきたため濡れねずみだった自分に代わって、雨の中を歩き出した青年に、慌ててルフィアは声をかける。
「あげる。僕は、魔術で雨を避けられるから、別に要らないんだ」
 振り返りながらにこりと笑って言うと、青年はもう振り向かずに去っていった。
 初めて目の前で見た魔術の行使と、その青年の優しげな笑顔に惚けたように、ルフィアは茫然とそのうしろ姿を見送った。
 ややして我に返ると、ルフィアはふるんと頭をひとつ大きく振る。
「雨がやむ前に、観覧車の調整しないと」
 仔猫をふところに抱き、ルフィアは急いで所員たちが待っているだろう観覧車へ向かっていった。


 観覧車についたルフィアは、のちに科技研随一といわれるその能力を遺憾なく発揮して、その不具合をたったの五分で調整し終えると、ゆうるりと海に向かってまわる観覧車に、仔猫と一緒に乗り込んだ。
 他には乗っている者はいなかったから、自分が真上にたどり着いたらしばらく観覧車を止めて欲しい。そう、顔なじみの所員に頼んで ――― 。
「まだ、だいじょうぶ。きっとフェリーは見えるよ」
 寂しげな仔猫の毛並を優しく撫でてやりながら、ルフィアは言った。
 外は、つらつらと雨がまだ少し落ちてきている。
 けれども ――― 確実に空は明るくなっていた。雨に煙り見通しの悪かった海への視界が、急速に開けていくようにさえ、ルフィアには思えた。
「あ。ほら、ヒスイ。あの船じゃないかな」
 はるか遠くに小さく見える船影に、ルフィアは声を上げる。仔猫は、とんっとルフィアの腕から観覧車の座席へ飛び降りると、前足を窓枠にかけるように後ろ足だけで立ち上がり、じっとその船影を見た。
 そして寂しげに、けれどもどこか嬉しそうに。仔猫はみゃあと小さく鳴いた。
 その、翡翠のような綺麗な緑色の仔猫の目に、先程の青年の面影が重なった。
「もしかしたら……あの人が雨をやませてくれたのかな」
 先程までの重い鈍色の雨空が嘘のように、からりと晴れ渡った気持ちの良い青空へと楽しげに目を向ける。
 魔術者という存在がどれだけのことができるのか。それはルフィアには分からなかった。けれども、あの青年ならば出来そうな気もする。そう思った。
「……名前もきかなかったなぁ」
 残念そうに呟いて、ルフィアは再び青い空へと視線を向ける。
 雨の雫に反射するように、やさしく大地をつつみ込む陽の光。
 その空と雨上がりの観覧車を彩るように、かすかな虹がそっと、ゆるやかな弧を描くように海の向こうへとかかるのが見えた。


****


 それからひと月後。魔術専門雑誌サージュの記事で、その青年の姿をルフィアは偶然目にすることになる。
 十七歳という若さで今年入所したばかりの導士が、多くの予知やその魔力の強さによって、近ごろ魔術研究所内において頭角をあらわしているという記事だった。
「あの人、二歳も年下だったんだ……」
 驚いたように目をまるくして、けれどもルフィアはくすりと笑った。
「私も、負けないように頑張らないと」
 開発チームに入りたいという思いを諦めないように、意志の強い笑みをその色違いの瞳に宿し、ルフィアはその記事を大切にファイルした。

 彼女があの日、海浜公園で出逢ったのは ――― その頃から人々の口端に名前が上ることが増え、二年後には魔術派の象徴と謳われるようになる、ティアレイル=ミューア導士。その人だった。


『雨上がりの観覧車』 おわり


掲示板でgreenさんが読んでみたいと言ってくださったことから生まれたお話です(^-^)
き、気に入っていただけたら良いのですけれど(心配)
ルフィアはいつティアを好きになったのか。
実はけっこう昔からだったんですねー。ティアが魔術派の象徴になるよりも前ですから(笑)
かなり長期間の片思い。ルフィアはあれでなかなか一途なようです(笑)
でも科学派嫌いのティア。この時、ルフィアが科技研の人間だとわかっていたら、ティアは助けてあげたのかどうか。それは作者である私にもナゾですけれど(笑)
ちなみに、本編において科技研で再会したティアは、ルフィアのことを覚えていません(笑)
そういうことが在ったというのは覚えていても、彼女の顔までは……。不憫なルフィアです(^_^;)
本編とはかなり雰囲気は違う番外編。みなさまに少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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2003.5.18 up