降り頻る月たちの天空に-------第1章 <3>-------
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 伝承以前、人間の生活は『科学』が主体であり、『魔術』などは架空の存在でしかない時代があった。
 人は、より高度な科学を求めて日夜研究を続けた結果、空前の科学力を手に入れていた。しかし、それは大きな代償を必要とした。
 ―― 自然環境の破壊と汚染。
 あまりに破壊され汚染されつくした自然を前にして、人々は茫然とした。
 荒れ果てた大地と空気。それは人が生きるための許容範囲をはるかに越えていた。自然は日々病んでいき、そして人も次々と病み、すべての生命が緩慢に訪れるであろう死に対し恐怖した。
 このままでは人の住めない惑星になることは、誰の目にも明らかだったのだ。
 そんな世界を生み出してしまった科学を死の象徴として忌避した人々は、科学を捨てることを決意した。それが、今から四百年前のことである。
 けれど、便利さになれた人々が、そう簡単にそれを手放せるものではない。
 人々は『科学』の代わりになるものを必死になって探し求め、色々なものを試みた結果、今まで物語の中にしか存在しなかった『魔術』を、現実のものとして操るすべを見つけたのだった。
 そして魔術を極めた魔導士たちは汚染された自然を元に戻すべく、『蒼月そうげつ』をこの世に生み出した。
 蒼月は魔導士たちの魔力の結晶であり、自然の再生力を助け、浄化を促す作用を持っていた。
 ゆうるりと、蒼月は死にかけていた大地に命をもたらした。少しずつ、少しずつ。けれど人の目には確かに、甦りつつある大地が映っていた。
 そうした効果が顕著に出始めた頃、人々は『魔術』に夢中になり、多くの研究が行われるようになった。
 魔術が自然との共生によって得られる力だということを忘れ、何物も顧みず、より高度な魔術を……より便利な魔術を……と。
 人は余りに賢く、そして愚かな存在だった。
 魔術が生活を支えるものとなってから、およそ半世紀。熱心に研究を続けた魔導士たちは、自然を越える『超魔術』を生み出した。
 それは人々の生活を豊かにする反面、科学の時と同様に大きな危険を伴っていることに、彼らは気が付くことが出来なかった。
 魔術がその源である『自然』を凌駕したことで、自然界全体のバランスが崩れ始めたのである。
 当時、地球を治めていた総代表カイルシア=ラスカードという魔導士は、それによって将来起こる『危機』を予知した。それは、地球の自転が止まり、そしてすべての自然が人に叛旗を翻すかのごとく、その生命活動を停止するというものだった。
 カイルシアはまず、地球の自転が止まることによって起きる弊害を取り除くために『流月るづきの塔』と呼ばれる塔を建て、みずからの魔力を結晶した黒水晶をその塔の最上階に置いた。
 そして、蒼月が地球の周りを一日で公転するように魔力の動きを変えさせた。
 『流月の塔』の水晶と、地球の周りを回る『蒼月』の魔力が連動することで、地球が自転しているのと変わらない環境。引力や大気。その他すべての影響を人工的に作れるようにしたのである。
 ―― いよいよ地球の自転が止まる。
 そう感じたカイルシアはたった独りで流月の塔に籠り、その時を待った。
 それから数日の後、流月の塔の真上に太陽がさしかかった時、彼の予知どおり地球は自転を完全に止めた。
 カイルシアはそれと同時に、みずからの生命と引き換えにその強大な魔力を全発動し、流月と蒼月の相互システムを作動させた。
 しかし―― 『事件』が起きたのは、まさにその瞬間だった。
 流月の塔を中心とした広大な大地が、カイルシアの強大な魔力の発動に耐えきれず、一瞬にして荒野に変わったのである。
 まるで生命力を奪われたように、草木は一瞬にして立ち枯れ、天を翔ける鳥、草原を駆ける動物たちも次々と大地に倒れ伏した。
 そして、人間も――。
 その被害に遭ったのは流月の塔の周辺。天空に太陽を戴いていた『昼』の地球。
 天空に月を戴いていた『夜』の地球は、カイルシアの……否、地球半分の生命と引き換えに、今までどおりの生活を保証されたのだ。
 事件を知ったカイルシアの側近たちは、カイルシアの名が傷つくのを恐れ、また、人々に自分達の責任を追及されることを恐れ、そのことを隠すことを決めた。
 荒野と化した『昼』の地球を『Dangerous Environment 』として封鎖し、そして残り半分の『夜』の地球を新天地であるとしたのである。
 ―― カイルシア様がその生命と引換えに、我々を新たな土地へと運んでくださった。ここは地球とは違う惑星ほし ――。
 彼らは地球の半分を犠牲にして生き延びたのだということを否定し、自らそう思い込むことで、失われた命に対する責任と恐れを払拭したのである。
 しかし『新天地』には太陽が昇らなかった。自転しないのだからそれは当然だった。
 そこで、カイルシアの側近たちは廃れていた科学を復活させ、『緋月ひづき』と呼ばれる人工太陽を作り、新天地としての環境を整えていったのだ。
 科学を復活させることに反対する者もいた。しかしカイルシアの側近達はわざと科学と魔術の2派に分かれ、両方を敵対共存させることで民衆の目を欺き、すべての情報を幹部レベルで掌握するよう謀ったのだった。
 『緋月』を守る『科学派』と、『流月の塔・蒼月』を守る『魔術派』。2つの派閥は人々に自転停止の事実を忘れさせるために、あらゆる情報操作を行ったのである。
 歳月が過ぎ、自転停止当時に生きていた人間がいなくなると真相は闇の彼方に消え、いつしか地球という名は過去のものとなった。
 そうして新天地レミュールという名だけが、唯一この惑星を表す名前になったのである ――。


 ロナは一気にそこまで語ると、深く息をつき、口を閉ざした。そこにはただ、静けさだけが広がった。
 今にも窒息してしまいそうな息苦しさが、部屋を包み込んでいた。
 ティアレイルは寒気を覚えたように、自分の体を抱き締めた。ルフィアもセファレットも僅かに青ざめ、凍り付いたようにロナを見やる。
 常に余裕然としているアスカでさえ、噛み締めた唇が破れ血が滲み出していることに気付かないほど、ロナの言葉に動揺していた。
 レミュールにとって『カイルシア』は救世主であり創世主であった。そして創世記念のセレモニーはカイルシアを讚えるために行ってきた。
 その、自分たちを取り巻く環境のほとんどが、先人のつくった虚偽であったのだ。
 ルフィアは呼吸を整えるように、深い息をひとつ吐き出した。
「三月というのは、流月の塔・蒼月・緋月の三つのことなんですね?」
「そうよ。……ねえルフィア、人工太陽が何故、蒼月のように惑星の回りを公転せずに、夜は月に変換してまでこちらの天空にあるのだと思う?」
 ルナはその切れ長の碧い瞳を細め、穏やかに訊いた。
 ルフィアは考えるようにうつむき、そして一つの結論を出したように顔を上げる。
「流月の塔の黒水晶と、蒼月の魔力の『連動』を妨げないため……でしょうか」
「正解」
 ルナは艶やかな笑みを浮かべて立ち上がると、デスクの後ろの棚から惑星儀を取り出して四人の前に置いた。
 それは彼らの見知った、半分以上が空白の惑星儀とは違い、D・E側にも幾つかの大陸が描かれていた。
「流月の塔が建っているのはこの辺りよ」
 そう言ってルナは、D・Eの中央にある小さな島に印を付ける。
「流月の塔・緋月・蒼月は、公転している蒼月を頂点として、常に巨大な二等辺三角形を宇宙に形成するように配置されているの。この位置関係が、互いの能力を妨げないために必要な形らしいわね」
 ルナは自分の両手を『蒼月』と『緋月』に見立て、惑星儀の回りに配置した。
 ロナの話で動揺している彼らに、少しでも考える要素と時間を与え、冷静さを取り戻させるつもりだった。
「三月の乱れは、その三つの配置が乱れ、うまく機能しなくなるということか……」
 アスカは軽く瞳を閉じた。確かに、その三つの機能が乱れれば、虚偽に包まれたレミュールが崩壊の一途を辿ることは、火を見るよりも明らかだった。
 不意に、セファレットは何かに気付いたように顔を上げた。
「古月が昔は公転していたと、総帥は言いましたよね。今は何故、公転していないんです? やはり緋月と同じ理由ですか?」
「いや、古月は違う。あれはもともと地球の一部からできた星だからね。地球が自転を止めた時、分身である月も、天空に縫い止められたように公転を止めてしまったのだそうだ」
 ロナはゆっくりとそう答えた。
 ティアレイルはその答えに、何か違和感を感じていた。
 本当にそれだけの理由で古月はこの天空にあるのだろうか。少なくとも自分は今まで、古月を含む三月がそれぞれの放出する『波』を中和させ、バランスを保っているのだと思ってきた。
 それが、全く意味のないものだとは思えなかったのである。
 ティアレイルは組んだ両手を額にあてるように、瞳を閉じてうつむいた。
 脳裏に描かれた『月』が、ぼんやりと何かの形をつくりだす。
「三角錐……か?」
 ティアレイルの口から小さな呟きが漏れた。それに応じるように、低い声が返る。
 ―― そのとおりだ。
「!?」
 ふいに頭の中に聞こえた声。ティアレイルははっと顔をあげた。
 今確かに、誰かが自分に話し掛けてきた。けれど。その声に聞き覚えはない。ここにいる者たちとは違う――。
 刹那、異物が入り込んでくるような奇妙な感覚がティアレイルの精神を襲った。
 少しの抵抗を試みる間もなく、それが胸郭を満たしていく。自分の心が何か透明な膜に包まれて、その目で見ているはずの光景が、まるで遠い夢の中を覗いているように思えてくる。
「……天空に浮かぶ古月・蒼月・緋月で形成される三角形。それを底面とし、地上の流月を頂点とした逆三角錐。その形が宇宙に月を浮かべる。その頂点である流月の塔が乱れれば月が落ちる。支柱を失った天のように……」
 まるで何かに憑かれたように、ティアレイルは言葉を発していた。
 彼の瞳は常のような穏やかな翡翠ではなく、何も映さないガラス玉のように見えた。
 ティアレイルは自分の意志ではなく動く体に、激しい屈辱感と嫌悪感を覚え、勝手に自分の身体を動かす『他人の意識』に反撃を試みる。
 その『他人』の意識に接触した瞬間、ティアレイルは息を呑んだ。
 それは『カイルシア』だった。実際に会ったことなどなくとも、その意識に接触しただけで、それがカイルシアであるとわかるほど、それは明確な『意識』だった。
 その圧倒的な存在を持った『意識』に対し、傷をおって弱っている大導士が抗し得るものではない。
 翡翠の瞳に見たものすべてを切り裂くような眼光が浮かび、宙を睨みつける。その眼光はティアレイルではなく、まぎれもなくカイルシアだった。
「D・Eに行かなければ。あいつを止めるために――」
「ティア!?」
 あまりに異様な幼馴染みの様子に、アスカはぐいっとその肩を掴んだ。
 ティアレイルから感じられる他人のような感覚が、アスカにそれをさせた。このまま放置しては、幼馴染みであるティアレイルがいなくなってしまう。そんな気がした。
「……アスカ……?」
 呆然としたように、ティアレイルは幼馴染みを見やった。
 ゆうらりと、ティアレイルの翡翠の瞳が普段の穏やかな色を取り戻す。他人が自分の内に入っているような不快な感覚は、波がひくように消え去っていた。
「ティア、だいじょうぶか?」
 どこか怒ったような口調で、アスカは幼馴染みの頬を軽く叩いた。ティアレイルは軽く頷き、自分を取り戻すきっかけを与えてくれた友人に「ありがとう」と笑む。
 ほっとしたようにアスカは息をつき、何もしようとせずに話を聞いていた総帥を軽く睨むように見た。
「……無事で何よりだ。大導士」
 苦笑して、ロナは部下たちを見やる。
 ロナもティアレイルの中にあった『別の意識』の存在に気付いていた。それでも何もしなかったのは、『別の意識』が語る情報を中断させたくはなかったからだ。
 それは人としては非情だと思う。しかし、必要であると判断した。
 自分にこういった利己的な部分があり、それを彼らが嫌っていることをロナは承知していたが、今更性格を変えることは出来ない。
「ええ、大丈夫です」
 頷きながらティアレイルは、ほっと息をつく。ロナの思惑などはどうでもよかった。自分の中に在った異物が、今はもう感じられないことが、彼を安堵させていた。
「世界崩壊の原因はわかったし、あとはどう防ぐかですね」
 セファレットは原因がわかったことに、少しだけほっとしたように皆を見回した。
 ティアレイルの予知した未来はあまりに恐ろしい。できることならすぐにでも予知を変えたかった。
「D・Eに行って流月の塔の乱れを修正すればいいのかな?」
 ルフィアは慎重な表情で言う。D・Eに行けばショーレンを見つけることもできるし、一石二鳥ではある。だが、そう簡単にいくものなのか少し心配だった。
「大導士、止めなければいけない『あいつ』とは、誰のことかわかるか?」
 ロナは確認するように大導士のティアレイルの翡翠の瞳を覗き込んだ。
「今はわかりません。しかしD・Eに行き、『その人』に会うことがあれば、おそらく分かると思います」
 あの言葉は自分が言った言葉ではなく、カイルシアの言葉である。本来ならわかるはずはない。しかし会えばわかる。そういう確信がティアレイルにはあった。
 カイルシアの意識にはティアレイルを喋らせた意識と、もう一つ他の意識が存在していた。それは誰かを牽制するような鋭い意識だった。恐らくその牽制していた相手が『あいつ』なのだろう。
「……そうか。なら大導士にもD・Eに行ってもらうことにしよう。本当はここで人々の動揺を抑えていてほしいところだが……」
 仕方がないというように、ロナは吐息を漏らす。
「ティアレイル大導士。魔術派の象徴として、自分の予知した最悪の未来を変えるよう努めてもらいたい。アスカ導士、セファレット導士、イスファル女史も同様だ。<古月の伝承>を聞いた以上、それなりの責任を持ってもらう」
 総帥として、ロナは淡々とした口調でそう言った。本当なら自分とルナが行けばよいのかもしれない。だが、役職上この地を離れるわけにはいかないのである。
 ロナの得意技の『残像』も、長期間は使えなかった。
 アスカとルフィアは軽く笑った。言われるまでもなく、彼らはD・Eに行くつもりだった。なにせD・Eにはショーレンがいる。助けに行かなければならないのだ。
「わかってます。じゃあ、こちらの問題はお願いしますね、総帥」
 このまま当分の間は夜が明けることはないだろう。そうなれば、この状況が日蝕ですむはずがなく、人々はパニックになるに違いない。
 アスカはそれを見越したように言うと、にやりと笑った。
 ロナは溜息混じりに笑い、頷いた。
「出発は明日でいいな。それまでにこちらで物質的な準備はしておこう。君たちは精神的な準備をしておくように」
 ロナはそれだけ言うと、四人を退室させた。やるべきことはたくさんあった。
「……D・Eか。カイルシアの作った塔が、その子孫である我々2人がアカデミーの責任者となった時に乱れるとは、皮肉なものだ」
 ロナは軽く苦笑を浮かべると、ルナと視線を合わせる。
「そうね。でも、私たちが責任者となったから……かもしれないわよ」
 真理を突くようなまなざしで、ルナは兄に応えた。
「…………」
 無言のまま、ロナは遠い空を見はるかすように窓外に白色の瞳を向ける。
 そこには蒼月が再び戻り、三つになった天空の月が、夜世界を優しく照らしていた。



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